| カテゴリー: 過去のススメ |
先だってのススメで、沈思黙考のうち「沈思」を扱ったので、惰性で「黙考」をテーマにいたします。
この「黙考」なる言葉。
字面だけ追えば、「黙って考えよ」ということでございます。
よくよく観察してみれば、人とは、おしゃべりをしながらでは考えられないものでして、黙って口を閉じないと考えがまとまらないというのが実感かと存じます。
じゃあ、黙って口を閉ざせば、「考える」ことができるのか?といわれれば、んなーことないよというわけでございまして、黙って考えようとしても、雑念がアタマに浮かんでは消え、消えては浮かんだりするものでございます。
ここまででわかったことは、何か難問に遭遇し、じっくり考えなければならないときは、まず、携帯の電源を切り、おしゃべりの可能性を限りなくゼロにすることからはじめなければならない、というわけです。
お勉強の空間からは、いとしの無配慮な配偶者と腐れガキンチョどもを追い出さなければなりません。
まず、「おしゃべり」の可能性をなくすことが、考える第一歩でございます。
次は、雑念対策でございます。
雑念対策は簡単でございます。
基本的に雑念が起きるのは、疲れていたり、脳みそがオーバーヒートになっていたりなど、身体的な状態をのぞけば、「何を考えているのか」わかっていない状態が原因なのでございます。
考えるとは、最も簡単にいうと、筋道を論理だてて追っていくものでございます。
考えるための前段階には、具体的に絞られた筋道が必要なのでございます。
「何を、どう、何のメリット(解決)を求めて、ジックリ考えるのか?」
このようなテーマがキッチリ決まっていれば、雑念が入り込まず、スムーズに筋を追っていけるのでございます。
自分にとっての確固としたテーマが決まっていないと、スグに人は脇にそれてしまいます。コレ即ち、雑念の発生でございます。
ゲド戦記のような、テーマも伏線も、何も消化できていない映画を見せられた小学生は、スグにお菓子やジュースに関心が行き、お母様にたしなめられるのがオチでございます。
考えられないのではなくて、テーマとなるべき筋道を把握していないのが現実の姿でございます。
2006年8月17日 11:47 AM
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