独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

見た目もきれいに

外でのお勉強をするのも、よいものでございます。
カフェでテキストや問題集と格闘する女性の姿は美しいものでございます。
お勉強なさるお姿には、男性の視線を一身に集めるためにも、気をつけたほうがよろしいのでございます。
外でのお勉強でのポイントは、いかにシャープに、スマートに、エレガントに知的雰囲気を漂わせるかでございます。
どっさりと、テーブルにテキストや問題集を重ね拡げては、コーヒーが冷めるどころか、100年の恋も醒めてしまうものでございます。
「外でお勉強しよう!」といざ出かけんとすると、あのテキストも、あの問題集も、あのノートも、とかばんに何でもしまいたくなるのが人情でございます。
しかし、かばんに詰め込んでいいのは夢と弁当くらいでございまして、テキストや問題集などはあまり入れないほうがよろしいのでございます。
マックやカフェでのお勉強とはいえ、お勉強でございまして、ピクニックや行楽ではございません。
わたくしも「アレもコレも」かばんに詰め込むタチでございまして、重い目にあった割りには、進んだのはほんの数ページというのはざらなのでございます。
分析してみますに、外でもお勉強は、環境が変わって雰囲気が新鮮になるためか、意外に集中できて意外に進んじゃうものなのでございます。
ですから、もっとどっちゃりもって行けば、よりたくさんのお勉強効果を受け取ることができる、と考えたのがウンのつきでございます。
外のお勉強のときにアレもコレも持っていってしまいがちな人は、金の卵を産むニワトリのお話を思い出していただきたく存じ上げる次第でございます。
そう、金の卵を産むニワトリの中には、たくさんの金が入っているだろう、と思い立った愚かな男にはならないように申し上げるものでございます。
どっさりかばんに詰め込んで、重い目に遭っても、見た目はブサイクだし、お勉強効果もそれほどあがらないものでございます。
コンパクトすぎるかしらん?少なすぎるかしらん?くらいの準備で外に出るのがよろしかろうと存じ上げる次第でございます。
よりスマートに見せ、よりスマートのお勉強をこなすのが外のお勉強の醍醐味と楽しみ方でございます。
お勉強中の人の姿は、意外にみられているものでございます。
そこでどれだけ釘付けにするかでございます。
そして、いいお店の雰囲気作りに協力差し上げるレベルまで、到達するのがよろしかろうと考える次第でございます。

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無理をしないでやってみる

理想のお勉強は、無理をしなくても出来るようになることでございます。
つまり、やる気がゼロでも机の前に向かい、椅子に座り、おもむろにテキストや問題集を開けるようになれば、合格の切符は頂いたもの同然でございます。
切符の到着が、ただ遅れているのと等しくなるのでございます。
無理をするというのは、精神的にがんばることでございます。
「がんばろう!」「やらなくちゃ!」という発奮は、ニトログリセリンによってイグニッション(発火・点火、つまりエンジンの起動)しているだけに過ぎず、何度も繰り返せば、スグにエンジンはお釈迦になってしまうものでございます。
無理をして気合を入れてやるお勉強は、10回中、3回はうまく行くものでございます。
しかし、残りの7回は途中でへばってしまうものでございます。いわゆる、「中折れ」でございます。
仏門に惹かれる瞬間とはこのようなときでございます。
また、そのときのお勉強がなんとかこなせれても、翌日のお仕事やお勉強に支障を生みがちなのが、無理を効かしたお勉強なのでございます。
理想は、やる気がなくてもお勉強を進めることができ、ある程度の結果である納得や理解、記憶を得ることでございます。
そう、お勉強とは、必ずしも「やる気」が絶対条件なのではないのでございます。
無理して気張らなくても、お勉強をすることはできるのです。
簡単にいいますと、100のエネルギーがあるとして、精神的に「がんばらないと!」と思わねば奮い立たないときは、その心的な発奮にエネルギーの40%が投下されるのでございます。
残りは60。当然、お勉強にまわされるエネルギーは、少なくなってしまうので、アウトプットは低下するのが自然でございます。
無理のないお勉強とは、抵抗の少ないお勉強でございます。
抵抗を少なくするためには、生活とお勉強との折り合いを、見いだすことでございます。

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できなくてもやってみる

お勉強というのは、どうしても日々の積み重ねの連続となるものでございます。
ときには、お勉強の内容ができなかったり、わからなかったりするものでございます。
しかし、このような壁や障壁があってもお勉強は続けねばならないのでございます。
わたくしたちのいう、「わかる」とは至極曖昧なものでございます。
「わかる」というモノは、少しも劇的なところがございません。
猛然と悟るというものでもなく、小躍りするものでもなく、バーゲンやセールでの「うはぁ?!これが3割引?ドーシヨー?!うわ!コレこんな安いの??」という高揚感もございません。
「わかる」状態に至ったときは、普通なのでございます。
普通というと曖昧至極でございますが、ほんと、わかるに至ったときは普通の感覚しかもてないのでございます。
「A?!△△つーことやろ」
「〇〇は××やん」
てな感じで、疑問の余地がないように思うに至ったときにはじめて、わかったというのでございます。
このようなわかった感を得るまでには、長いお勉強のぐだぐだタイムを過ごさねばなりません。
お勉強は、毎日毎日の積み重ねでございますが、だからといって、毎日毎日、実力が向上しているものではないのでございます。
やったけど できない
憶えたけど 忘れる
理解したけど わからなくなる
お勉強のほとんどは、ひっついたり離れたりを繰り返す男女のモドキでございます。
お勉強の1回1回は、精力を投入しなけばなりませんが、期待はしないことでございます。
お勉強をしていくにあたっては、ラッキーチャンスをいう考え方が有用でございます。
お勉強のラッキーチャンスとは、猛然と(このような表現がピッタリ)わかりだす時間・機会のことでございます。
つまり、突然、実力が伸びるラッキーな時間を掴むのが、お勉強の時間であると考えるのでございます。
ラッキーな実力アップ期間は、当然、参加した者にしか与えられないのでございます。
ヨコから入ってきても、お勉強の神様は公正でございますから、よこしまな者には雷を落として追い払うものでございます。下手をしたら祟られます。
(補足:菅原道真です^^)
ラッキーチャンスは、宝くじと同様で買わねば当たらないものでございます。
ですから、毎日たんたんと、できようができまいが、お勉強を進めるのが吉なのでございます。

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