お勉強というのは、どうしても日々の積み重ねの連続となるものでございます。
ときには、お勉強の内容ができなかったり、わからなかったりするものでございます。
しかし、このような壁や障壁があってもお勉強は続けねばならないのでございます。
わたくしたちのいう、「わかる」とは至極曖昧なものでございます。
「わかる」というモノは、少しも劇的なところがございません。
猛然と悟るというものでもなく、小躍りするものでもなく、バーゲンやセールでの「うはぁ?!これが3割引?ドーシヨー?!うわ!コレこんな安いの??」という高揚感もございません。
「わかる」状態に至ったときは、普通なのでございます。
普通というと曖昧至極でございますが、ほんと、わかるに至ったときは普通の感覚しかもてないのでございます。
「A?!△△つーことやろ」
「〇〇は××やん」
てな感じで、疑問の余地がないように思うに至ったときにはじめて、わかったというのでございます。
このようなわかった感を得るまでには、長いお勉強のぐだぐだタイムを過ごさねばなりません。
お勉強は、毎日毎日の積み重ねでございますが、だからといって、毎日毎日、実力が向上しているものではないのでございます。
やったけど できない
憶えたけど 忘れる
理解したけど わからなくなる
お勉強のほとんどは、ひっついたり離れたりを繰り返す男女のモドキでございます。
お勉強の1回1回は、精力を投入しなけばなりませんが、期待はしないことでございます。
お勉強をしていくにあたっては、ラッキーチャンスをいう考え方が有用でございます。
お勉強のラッキーチャンスとは、猛然と(このような表現がピッタリ)わかりだす時間・機会のことでございます。
つまり、突然、実力が伸びるラッキーな時間を掴むのが、お勉強の時間であると考えるのでございます。
ラッキーな実力アップ期間は、当然、参加した者にしか与えられないのでございます。
ヨコから入ってきても、お勉強の神様は公正でございますから、よこしまな者には雷を落として追い払うものでございます。下手をしたら祟られます。
(補足:菅原道真です^^)
ラッキーチャンスは、宝くじと同様で買わねば当たらないものでございます。
ですから、毎日たんたんと、できようができまいが、お勉強を進めるのが吉なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月5日 8:07 AM |
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「筆が縮む」という表現がございます。
絵をうまく描こうと意識しすぎて、のびのびと描けていない様を表しております。
アレコレ考えて逡巡した絵のタッチを、「筆が縮んでいる」と表現したのは、言い得て妙と存じます。
お勉強にも、アタマが縮むといいますか、ココロが縮むといいますか、自分の持っているやる気をスムーズにお勉強に投入できないことが多々ございます。
うまくやらないと
速くやらないと
速く憶えないと
正確に憶えなければ
正解しなければ
計画が遅れている
そして、最後にはごうかくしなくては!と思うようになるのでございます。
プレッシャーはお勉強とは切っても切れないものでございます。
しかし、全くの事実でございますが、このようなプレッシャーがあってお勉強がうまく行くのは、100回に1回くらいなのでございます。
プレッシャーは、ごくごくたまに、発奮の材料になりはしますが、たいがい、やる気のエネルギー漏れを起すだけでございます。
そうして、がんばった割には、なんとも不完全燃焼で終わるものでございます。
ぶっちゃけいうと、邪魔でございます。
目の前の作業をやるにあたっての不用意なプレッシャーは。
ぶんぶん飛び回るハエやプーンとうるさい蚊以上に邪魔をしているものがあることにお気づき下さい。
結局のところ、そんなプレッシャーから影響されて、追い立てられるようにアレコレお勉強しても身になることは少なかろうというのが実感でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月4日 11:04 AM |
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どんな資格試験もそれなりの、クセや傾向がございます。
お勉強の初期は、そのクセを見抜く課程でございます。
お勉強をしていくと、なんともわからないものに遭遇するものでございます。
それを恐れてはならないのでございます。
というのも、それが試験のクセを見極めるキーであることが多いからでございます。
「なんともわからないもの」に遭遇すれば、試験の計画や日程を度外視して、ジックリ取り組まねばなりません。
何度でもやってみる。
間違えようが、忘れようが、できた!と思ってもできていなかったよの壁を乗り越えて、何度でもやらねばなりません。
焦るのはわかります。
しかし、その「なんともわからないもの」をひとたび突破できれば、峠を越えたものでございまして、あとは下り坂。
お勉強の坂も越えて一息つけるものなのでございます。
ひとたび、キーを入手すると、遅れた分はスグに取り戻せます。
最終的に本試験には間に合いますので、他を犠牲にして、何度でも繰り返しても割が合うのでございます。
試験突破のキーとなるものを、「まーこんなもんでえーーか」とほったらかしにしておいたり、手を抜いておくと、あとあとになって「??」となって、取り戻すために時間を費やすものなのでございます。
以下は、2ちゃんのプロレス板より拾った職人論でございます。
上達の過程を、非常に明確に簡潔に述べた名文でございます。
非常に味わい深い文章ですので、一読をオススメするものでございます。
10年前(96年12月)の冬木語録−−−−−−−−−
ひとつのことがちゃんとわかると、あとのことは全部分かってくる。
プロレスもそう。
どんな技でもいいからひとつ完璧に覚えると、どんな技でも出来るようになっちゃう。
そういうものなんだよ。ひとつ考え方かえればいいの。
それができるまでに時間がかかるけど。
たまにそれを頭でわかんないのに、体でわかってしまう奴がでてくる。天才というんだよね。
ジャンボ鶴田だよ。三沢とか武藤とかああいうタイプ。 あいつら絶対、頭じゃわかんないんだよ。でも体が分かっちゃってる。
最終的には分かるんだよ。
1回でできるか、10回かかるか、100回かかるかってだけのこと。
俺は100回の方。
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冬木弘道というプロレスラーは、名職人でございました。彼の言を再び触れるにあたって、その思いを深めたわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月3日 10:23 AM |
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