独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

目の前だけをやってみる

「筆が縮む」という表現がございます。
絵をうまく描こうと意識しすぎて、のびのびと描けていない様を表しております。
アレコレ考えて逡巡した絵のタッチを、「筆が縮んでいる」と表現したのは、言い得て妙と存じます。
お勉強にも、アタマが縮むといいますか、ココロが縮むといいますか、自分の持っているやる気をスムーズにお勉強に投入できないことが多々ございます。
うまくやらないと
速くやらないと
速く憶えないと
正確に憶えなければ
正解しなければ
計画が遅れている
そして、最後にはごうかくしなくては!と思うようになるのでございます。
プレッシャーはお勉強とは切っても切れないものでございます。
しかし、全くの事実でございますが、このようなプレッシャーがあってお勉強がうまく行くのは、100回に1回くらいなのでございます。
プレッシャーは、ごくごくたまに、発奮の材料になりはしますが、たいがい、やる気のエネルギー漏れを起すだけでございます。
そうして、がんばった割には、なんとも不完全燃焼で終わるものでございます。
ぶっちゃけいうと、邪魔でございます。
目の前の作業をやるにあたっての不用意なプレッシャーは。
ぶんぶん飛び回るハエやプーンとうるさい蚊以上に邪魔をしているものがあることにお気づき下さい。
結局のところ、そんなプレッシャーから影響されて、追い立てられるようにアレコレお勉強しても身になることは少なかろうというのが実感でございます。

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ひとつのことをやってみる

どんな資格試験もそれなりの、クセや傾向がございます。
お勉強の初期は、そのクセを見抜く課程でございます。
お勉強をしていくと、なんともわからないものに遭遇するものでございます。
それを恐れてはならないのでございます。
というのも、それが試験のクセを見極めるキーであることが多いからでございます。
「なんともわからないもの」に遭遇すれば、試験の計画や日程を度外視して、ジックリ取り組まねばなりません。
何度でもやってみる。
間違えようが、忘れようが、できた!と思ってもできていなかったよの壁を乗り越えて、何度でもやらねばなりません。
焦るのはわかります。
しかし、その「なんともわからないもの」をひとたび突破できれば、峠を越えたものでございまして、あとは下り坂。
お勉強の坂も越えて一息つけるものなのでございます。
ひとたび、キーを入手すると、遅れた分はスグに取り戻せます。
最終的に本試験には間に合いますので、他を犠牲にして、何度でも繰り返しても割が合うのでございます。
試験突破のキーとなるものを、「まーこんなもんでえーーか」とほったらかしにしておいたり、手を抜いておくと、あとあとになって「??」となって、取り戻すために時間を費やすものなのでございます。
以下は、2ちゃんのプロレス板より拾った職人論でございます。
上達の過程を、非常に明確に簡潔に述べた名文でございます。
非常に味わい深い文章ですので、一読をオススメするものでございます。
10年前(96年12月)の冬木語録−−−−−−−−−
ひとつのことがちゃんとわかると、あとのことは全部分かってくる。
プロレスもそう。
どんな技でもいいからひとつ完璧に覚えると、どんな技でも出来るようになっちゃう。
そういうものなんだよ。ひとつ考え方かえればいいの。
それができるまでに時間がかかるけど。
たまにそれを頭でわかんないのに、体でわかってしまう奴がでてくる。天才というんだよね。
ジャンボ鶴田だよ。三沢とか武藤とかああいうタイプ。 あいつら絶対、頭じゃわかんないんだよ。でも体が分かっちゃってる。
最終的には分かるんだよ。
1回でできるか、10回かかるか、100回かかるかってだけのこと。
俺は100回の方。
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冬木弘道というプロレスラーは、名職人でございました。彼の言を再び触れるにあたって、その思いを深めたわたくしでございます。

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微妙ならやってみる

「意味を求めてはいけません。」
こんな風にいわれると、なんだかカルトな宗教集団のようでございます。
しかし、愚者は雷同し、賢者はコレを選ぶという警句もございますので、もうちっとこのコトバから栄養を吸収しようというのが、今日のススメでございます。
簡単に結論から申しますと、「最初から意味を求めるな」ということでございます。
「意味」を求めるのはよいのでございます。
「やる意味」がないものほど、人を損なうものはございません。
「やる意味」があるからこそ、やる気の源泉たり得るのでございます。
しかし、問題は、やる前から意味を見出そうとすることでございます。
完全にわかってから、やろうとする人が多いのでございます。
大切なのは、わかる・わからんの比率が、2:8くらいになったらやってみるということでございます。
全体の2割がわかれば、とっととやったほうが、結局は早いのでございます。
何もしないのに、8割9割の理解までいこうとするから、全く物事が先に進まないのでございます。
一番大切なのは、やっていくうちにわかりだすことなのでございます。
やっていくうちに、コレまで受けた助言やアドバイスが、鮮やかに把握できてシックリしたり、腑に落ちるものなのでございます。
やってみることで、助言やアドバイスの受け皿が生まれるのでございます。
始める前から意味を求めては、どんなにすばらしい指導者から、全ての作業の意味や連関を授けられても使い果たすことはできないでしょう。
受けるところがないからでございます。
お手持ちの国語辞典や辞書を見れば、いたるところに「意味」がおちているものでございます。
意味は腐るほど、落ちているわけでございます。
辞典を全部読み、そらんじれば、意味を見出したことになるでしょうか?
要は、自分にとって知りたいことが、一番重要な意味たり得るのです。
曖昧で意味がボンヤリしていても、やっていくうちに自分の知りたいことがわかってくるのでございます。
知りたいこともハッキリしていないのに、最初から多くの意味を求めるのは、ムダで時間と労力とかカロリーのムダでございます。
「最初から意味ばかりを求めず、やってみなさいよ」という教訓が、スペースシャトルの飛ぶ時代になっても残っているのは、それなりの合目的性があるからでございます。
経験則的に、多くの人によって淘汰され峻別された警句、それが「やってみなければ、わからない」なのでございます。

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