独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

イライラ予防薬:カイゼン

風邪にカイゲン、試験にはカイゼンでございます。
カイゼンとは、みなさまご存知のように、「改善」のことでございます。
トヨタ自動車の車のつくり方のエッセンスが、カイゼンでございます。
トヨタ自動車の競争力を世界が認めざるを得ず、世界語になってしまったのが「カイゼン」でございます。
ちなみにわたくしは、トヨタの関連企業の株主でもあります。えへへ。
わたくしは、カイゼンというコトバが大好きです。
三河の気風を受け継いで、なんともお気に入りの言葉なのでございます。
カイゼンというものをわたくしなりに解釈すれば、たゆまず工夫する、と申してもよいでしょう。
工夫を終わらせない、というのが「カイゼン」の精神と考える次第でございます。
「カイゼン」の精神は、お勉強にも資するものでございます。
本を読んだり問題集を解くといったお勉強の各作業を、タテの線といたしましょう。
ページや問題をこなすだけのお勉強は、タテの方向のみに進むお勉強でございます。
タテ線だけのお勉強に、カイゼンというヨコ線を引いてみましょう。
作業のタテ線だけ伸びて、工夫のヨコ線が短いのは、とんがっていてなんだかいびつでございます。
ぶっちゃけいうと、作業だけのお勉強とは、つまらないものなのでございます。
やはり、タテとヨコのバランスが大切なのでございます。
『まっすぐなみちでかなしい』
と、種田山頭火は歌っていますが、直線というのは効率はよいかもしれませんが、うるおいを感じられないものなのでございます。
さばさばしてドライなタテ線に、工夫という「試行錯誤」ながらうまくいったときは楽しい、ウェットな意識をはさんでおくと、なにかと余裕が生まれるのでございます。
お勉強を進めていくうちに、どうしても人は、決まった手順、ルーティンが出来上がっていくものでございます。
こういう風にやる、私なりのやり方、オレ流、などは、結構至極でございます。
とはいえ、「モウちょっといいモノはないか?」と仮定すれば、更なる見地が開かれるかと存じます。
カイゼンというのは、どこかしこにある発展の余地を探し出すものでございます。
固定化してしまった手法とは、安定しているものではございますが、問題がひねられだしたり、問題の傾向が変わりだすとアレでアレなのが、その欠点でございます。
完成した手法・方法、やり方というモノは、ほとんどないと思し召されたく存じます。
お勉強をしていて、なんだか心中のイライラがあったときは、カイゼンの予兆でございます。
うまくいっていなかったり、いきそうにないなと感じているからこその、イライラでございます。
工夫を怠ったのでございます。

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引っ張られる感じ

「合格したいと思ってます」「受かりたいです」「夢はあるんです」
多くの人が、希望や夢を持たされていたり、持っていたりする昨今でございます。
他の人の夢や希望を聞くにつけ、わたくしは、「あーそうなんですか」と軽くうなずくだけでございます。
何を言うかより、瞳の色を見て、判断したいからでございます。
瞳の色が濁った暗色系なら、意味のない言葉の羅列と判断し、話半分・身半分、心半分で話の姿勢をとるのでございます。
コレはテレビや、雑誌の写真でも十分に使えるわざでございます。
株主総会の動画から、一般のセミナー・講習でも使える技でございますので、ぜひ、お試しくださいませ。
わたくしが好きなのは、実利でございます。
実際の作用がないモノは嫌いなのでございます。
目標や夢、希望はそれ自体、エネルギーがあるものでございます。
目標や夢、希望を語るときに、なーーんも他人に影響できなければ、それはウソであり幻でございます。
「暑苦しくてヤダネ」と陰口をたたかれるくらいまで、高めれれば、まず合格するものでございます。
最上な希望はかくの如しでございますが、次善の希望のあり方もございます。
本日のススメは、周りの人に暑がられない・嫌がられない、次善の希望をご紹介したく存じます。
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次善の希望とは、引っ張られる感じがする希望でございます。
がんばろう、ガンバッテーという励ましは、「現在の問題をどうするか?」のみにしか働きかけないのでございます。
徳川家康さんは、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」と申しております。
先ほどの「ガンバッテ励まし」とは、現在の重荷を後ろから押してもらっているのでございます。
しかし押すだけでは、にっちもさっちも物事が進まなくなるときがくるのでございます。
このようなときは、『押してだめなら引いてみよ』とのことわざのとおりに、引いてみれば動かなかった物事やお勉強の計画が、動き出すのでございます。
良い希望には、実利がございます。
それ自身、エネルギー値をもっていて、日々のお勉強の燃料投下になるものでございます。
なーーんの新鮮さも情熱も持てない目標や希望を掲げてお勉強するのは、お勉強の効能や作業能率以前の問題でございます。
時間のムダ、カロリーのムダ、酸素のムダ、無駄そのものでございます。なにより、不完全燃焼の雨あられでございましょうに。
風通しがよく、見通しが開けているのが、良き希望でございます。
未来に引っ張られるような感じ、これこそ、スムーズにやる気エネルギーを燃焼することができるのでございます。
希望から投げ縄が投げられて、首根っこから引っ張られるような。
希望から竿が投げられ、鼻にかかった釣針で、引っ張られるような。
どうしても達成したい理由や、ついつい期待してしまう将来像、憧れのハワイ諸島など、思わず自分が引っ張られてしまう希望を見出せば、お勉強の問題の大半は解決することでしょう。
良き希望を見出せば、やる気問題の9割が解決します。

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裏お勉強

先だってのススメでは、現実とは、希望と現状とで成り立っていると申しました。
現状は、誰にでもわかる、自明のことなのでございます。
本を読んだり、テレビを見たり、ネットをしたり、ご飯を食べたり、トイレへ行ったり、ノラネコにエサをやったりするのが、その人の現状でございましょう。
現状とは、日常生活のオンパレードでございます。たんたんと、望もうが望まざるとも進んでいくものでございます。
対して、希望とは、現状に較べたら、曖昧で抽象的でございます。
確固としたものがないものでございます。
掴み所がないからでございます。
なぜなら、希望に値するモノは、現状にくらぶれば、見出すのに苦労するものでございます。
ですから、丹念に希望の種を見つけては、シッカリ『水遣り』『日光浴』『肥料』『雑草取り』をして、キチンと間引きも行わなければなりません。
希望とはある程度まで、自分で育てなければならないのでございます。自分で育てなければ、先へ進んでいかないのでございます。
ある一定の線まで超えれば、自動成長するものでございますから、その線までは手をかけねばならないのでございます。
そこまで、希望を見出し続けれるかが否かが、じつは試験勉強の裏なのでございます。
この裏の罠を、あんまりよく知らない人が多いのでございます。
合格しても、無意味だなぁと思っていることにまい進しても時間の無駄でございます。
合格しても価値がないナァ、と思っていることを一生懸命がんばることは、非常に難易度の高い行為でございます。
そんなのは、1種の苦行でございまして、お釈迦様がトウのむかしに否定しておられます。
いまさらあんたがやらんでも、無意味さはすでに証明されているのでございます。
希望を見出す行為とは、日々の無味乾燥のお勉強にエネルギーを与える大事な存在でございます。
テキストや問題集だけに向かい合っていれば、結局、合格してもその資格は生きてこないものでございます。
希望とは、憧れの人やら、キャリア形成やら、自身の持てる履歴書やら、鼻高々やら、社会やビジネスの違った面が見えるやら、社会勉強やら、眼力によっていくらでも汲み出すことができるものでございます。
見つけ出さねばならないのが、希望でございます。
そこら辺に落ちているものではございませんし、仮に、落ちている希望なんて食えたモンではございませんよ。
落ちているたこ焼きを食べないのと同様でございます。
「希望を見出すこと」も怠ってはならぬ、お勉強の一種としてお考え下さいませ。
試験のことだけ考えてもいい人は、高校生まででございます。

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