美しい気分に浸れるお勉強もございます。
お勉強で困難なことは、いま、自分のやっていることに意味があるのかないのかがハッキリしないことでございます。
形のある手ごたえや張り合い、証(あかし)が欲しくなるのも、いた仕方のないことでございます。
ま、独学でございますと、このような思いは一層強くなるものでございます。
なにか、確固たる基準が欲しくなったときは、ご自身の美意識に、その基準を委ねるのがよろしゅうございます。
充実感のあるお勉強とは、整然とした秩序のある美しさがあるものでございます。
たとえ、お勉強の内容がわからなくても、「後もうすこしで、できるかしらん?」という仄かな希望を胸に抱けるものでございます。
コレに対して、暗中模索のぐだぐだなお勉強とは、アッチにフラフラ、コッチにフリフリしており、傍目でも見苦しいものでございます。
胸倉を掴んで、「焦ってはいけませんよ、しっかりやりませう」と罵りたくなるものでございます。
内容のあるお勉強
意味のあるお勉強
効果的にお勉強
といってもなんだか抽象的で、しっくりこないものでございます。
お勉強の進捗を計るに、
今日の勉強は進んだ、とか
20ページも進んだ、とか
〇〇の表を憶えた、とか
この章の定義を抑えた、といった指標がございます。
このような指標のほかに、「美しかった」という1点を置いておくと便利でございます。
テキストや問題集を、100ページ・100問やったとしても、焦りながらであったり、何か追われている子ネコのようであったり、やる気のない新人のぶっつけ仕事の如くこなしたとしても、「美しさ」の点からみると、全然ダメなことは小学生が給食の合間に悟れることでございましょう。
今日は美しかったな、と思えたお勉強こそが、あなた様のお勉強の様式でございます。
エネルギーを気持ちよく燃焼できたお勉強が美しいのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月12日 10:53 AM |
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数字をきれいに書くこと。
単純ですが、簿記のお勉強では、効果的な技術のひとつです。
しかも、誰にでもできて、今スグにでも実行可能なのがうれしいところです。
どれだけの人が、「1」と「7」をおざなりに書いて、計算ミスをしたでしょうか?
どれだけの人が、数字をくちゃくちゃに書いて、再度計算し直したでのしょうか?
(すべてわたしです^^;)
計算機の叩き方や解法や問題を解くにあたっての視点、ともに完全なのに、数字の取り違えで間違いを犯したときほど、カラダから生気は抜けることもございません。
まさに昇天でございまして、笑点なみの脱力感を味わえるのでございます。
よくよく考えてみれば、銀行の窓口のオネエサマ方を観察していると、必ず数字をキレイに丁寧に書いていることが見て取れます。
数字というのは、それ自体には意味を含まず、記号であることに気づいたのでございます。
漢字は崩して書いても、それ自体が意味を有するものであるから、くちゃくちゃな字でも意は通じるのです。
しかし、数字は記号です。
通じない形で書いてしまうと、仕事ではその他の人にどえらい迷惑がかかるし、手間がかかるので、「数字はきれいに、誰もが誤解しない形で書く」ことが、銀行の窓口では形式化したのでございましょう。
ま、このような事態は、銀行の窓口だけでなく、数字を扱う人には共通することでございましょう。
たいがい経理の人は、数字をきれいに書きますし、えてして文字もきれいですね。
「数字がでてきたら、きれいに書く。」
数字を扱う簿記は、いわずもがな、その他の資格のお勉強にも通じるものがございます。
文字を崩してくちゃくちゃに書くことに慣れている人は数字も同様に、しっちゃかめっちゃかに書いてしまう人が多くいると感じるものでございます。
「字はきれいに書け」というのは、耳にタコ、三半規管に牡蠣がひっつくほど聞かされる御言葉でございます。
しかし、わたくしは、実際的な面からこのようにいいたいのでございます。
「字はキレイに書かなくてもいいけど、数字はきれいに書かないといけない。」
逆にいえば、字は汚くしか書けなくとも、数字だけはキッチリ書いてさえいれば、実際のお仕事の面でも生活の面でも、簿記を代表とする資格のお勉強でも、ある程度無駄を排した作業が行えるものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月11日 11:49 AM |
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ボストンバッグに荷物を詰め込んだ人、たいそうな荷物を持って本試験に臨まんとする人がいます。
気持ちは良くわかります。
先だってのススメでは、外でお勉強をするときには、荷物を少なめ目にということをお伝えいたしました。
アレもコレもという意識は、疲れるだけでお勉強の中身が空虚になりがちだからでございます。
本試験のときでも、「アレもコレも」心理が働きます。
何かやり足りない、そんな気持ちが、巨大なボストンバッグに通じているのでございます。
とはいえ、不足感・焦燥感は、全ての受験生が共通して持っているものでございまして、多くの受験生は、コレまでに培ってきたもので、カバーしているのでございます。
基本的に、お勉強は努力の産物しかないわけでございます。
よく、本試験時には、「合格だけを考えた」方がよいといわれますが、この警句が意義を有するには、「お勉強をしてきましたよ」という物理的な現実があってこそなのでございます。
準備不足
時間不足
作業不足
不足不足の連続で、お勉強の絶対数がないならば、「合格だけを考え」ても詮無き事でございます。
わたくしが思いますに、本試験時にアレもコレも持って行きたくなるときは、試験の準備不足・物足りなさをカバーせんとする足掻きでございます。
あがきは結構でございます。
しかし、あがくならもっと次に資するあがき方をせんではないか、という次第でございます。
試験会場にたくさんテキストや問題集を持っていけば、準備不足をカバーできて、合格する可能性がアップするならば、3トントラックを手配した方が現実的でございます。
しかし、そうではないことは、小学生でもハナクソをほじりながらでもわかる自明の理でございます。
できないもの・ダメなものは、なにをしようとも、その時点では「ダメであり、できないもの」でございます。
わたくしたちにできることは、「次」どうするかでございます。
努力不足は、基本的に何をしようとも、絶対的な数の努力を覆い返すことは出来ません。
やった奴から受かる、それが試験の真髄でございます。
ですから、自分がやっていないと踏むのでしたら、次回の試験のために今回の本試験を生かさんとしたほうが、現実的かつ功利的なのでございます。
よーし、これだけは来年のためにおぼえよう
試験会場までの道は憶えた
こんな雰囲気なのね
他の人は、どんなテキストや問題集を使っているのだろう
ノートはどういう風に取ってるかしらん?
トイレの場所はどこだ
コーラの販売箇所は?
などなど、次の試験に活かせる情報は、そこかしこに落ちているものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年10月10日 10:38 AM |
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