独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

書くのもきれいに

数字をきれいに書くこと。
単純ですが、簿記のお勉強では、効果的な技術のひとつです。
しかも、誰にでもできて、今スグにでも実行可能なのがうれしいところです。
どれだけの人が、「1」と「7」をおざなりに書いて、計算ミスをしたでしょうか?
どれだけの人が、数字をくちゃくちゃに書いて、再度計算し直したでのしょうか?
(すべてわたしです^^;)
計算機の叩き方や解法や問題を解くにあたっての視点、ともに完全なのに、数字の取り違えで間違いを犯したときほど、カラダから生気は抜けることもございません。
まさに昇天でございまして、笑点なみの脱力感を味わえるのでございます。
よくよく考えてみれば、銀行の窓口のオネエサマ方を観察していると、必ず数字をキレイに丁寧に書いていることが見て取れます。
数字というのは、それ自体には意味を含まず、記号であることに気づいたのでございます。
漢字は崩して書いても、それ自体が意味を有するものであるから、くちゃくちゃな字でも意は通じるのです。
しかし、数字は記号です。
通じない形で書いてしまうと、仕事ではその他の人にどえらい迷惑がかかるし、手間がかかるので、「数字はきれいに、誰もが誤解しない形で書く」ことが、銀行の窓口では形式化したのでございましょう。
ま、このような事態は、銀行の窓口だけでなく、数字を扱う人には共通することでございましょう。
たいがい経理の人は、数字をきれいに書きますし、えてして文字もきれいですね。
「数字がでてきたら、きれいに書く。」
数字を扱う簿記は、いわずもがな、その他の資格のお勉強にも通じるものがございます。
文字を崩してくちゃくちゃに書くことに慣れている人は数字も同様に、しっちゃかめっちゃかに書いてしまう人が多くいると感じるものでございます。
「字はきれいに書け」というのは、耳にタコ、三半規管に牡蠣がひっつくほど聞かされる御言葉でございます。
しかし、わたくしは、実際的な面からこのようにいいたいのでございます。
「字はキレイに書かなくてもいいけど、数字はきれいに書かないといけない。」
逆にいえば、字は汚くしか書けなくとも、数字だけはキッチリ書いてさえいれば、実際のお仕事の面でも生活の面でも、簿記を代表とする資格のお勉強でも、ある程度無駄を排した作業が行えるものでございます。

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身なりはかろやかに

ボストンバッグに荷物を詰め込んだ人、たいそうな荷物を持って本試験に臨まんとする人がいます。
気持ちは良くわかります。
先だってのススメでは、外でお勉強をするときには、荷物を少なめ目にということをお伝えいたしました。
アレもコレもという意識は、疲れるだけでお勉強の中身が空虚になりがちだからでございます。
本試験のときでも、「アレもコレも」心理が働きます。
何かやり足りない、そんな気持ちが、巨大なボストンバッグに通じているのでございます。
とはいえ、不足感・焦燥感は、全ての受験生が共通して持っているものでございまして、多くの受験生は、コレまでに培ってきたもので、カバーしているのでございます。
基本的に、お勉強は努力の産物しかないわけでございます。
よく、本試験時には、「合格だけを考えた」方がよいといわれますが、この警句が意義を有するには、「お勉強をしてきましたよ」という物理的な現実があってこそなのでございます。
準備不足
時間不足
作業不足
不足不足の連続で、お勉強の絶対数がないならば、「合格だけを考え」ても詮無き事でございます。
わたくしが思いますに、本試験時にアレもコレも持って行きたくなるときは、試験の準備不足・物足りなさをカバーせんとする足掻きでございます。
あがきは結構でございます。
しかし、あがくならもっと次に資するあがき方をせんではないか、という次第でございます。
試験会場にたくさんテキストや問題集を持っていけば、準備不足をカバーできて、合格する可能性がアップするならば、3トントラックを手配した方が現実的でございます。
しかし、そうではないことは、小学生でもハナクソをほじりながらでもわかる自明の理でございます。
できないもの・ダメなものは、なにをしようとも、その時点では「ダメであり、できないもの」でございます。
わたくしたちにできることは、「次」どうするかでございます。
努力不足は、基本的に何をしようとも、絶対的な数の努力を覆い返すことは出来ません。
やった奴から受かる、それが試験の真髄でございます。
ですから、自分がやっていないと踏むのでしたら、次回の試験のために今回の本試験を生かさんとしたほうが、現実的かつ功利的なのでございます。
よーし、これだけは来年のためにおぼえよう
試験会場までの道は憶えた
こんな雰囲気なのね
他の人は、どんなテキストや問題集を使っているのだろう
ノートはどういう風に取ってるかしらん?
トイレの場所はどこだ
コーラの販売箇所は?
などなど、次の試験に活かせる情報は、そこかしこに落ちているものでございます。

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見た目もきれいに

外でのお勉強をするのも、よいものでございます。
カフェでテキストや問題集と格闘する女性の姿は美しいものでございます。
お勉強なさるお姿には、男性の視線を一身に集めるためにも、気をつけたほうがよろしいのでございます。
外でのお勉強でのポイントは、いかにシャープに、スマートに、エレガントに知的雰囲気を漂わせるかでございます。
どっさりと、テーブルにテキストや問題集を重ね拡げては、コーヒーが冷めるどころか、100年の恋も醒めてしまうものでございます。
「外でお勉強しよう!」といざ出かけんとすると、あのテキストも、あの問題集も、あのノートも、とかばんに何でもしまいたくなるのが人情でございます。
しかし、かばんに詰め込んでいいのは夢と弁当くらいでございまして、テキストや問題集などはあまり入れないほうがよろしいのでございます。
マックやカフェでのお勉強とはいえ、お勉強でございまして、ピクニックや行楽ではございません。
わたくしも「アレもコレも」かばんに詰め込むタチでございまして、重い目にあった割りには、進んだのはほんの数ページというのはざらなのでございます。
分析してみますに、外でもお勉強は、環境が変わって雰囲気が新鮮になるためか、意外に集中できて意外に進んじゃうものなのでございます。
ですから、もっとどっちゃりもって行けば、よりたくさんのお勉強効果を受け取ることができる、と考えたのがウンのつきでございます。
外のお勉強のときにアレもコレも持っていってしまいがちな人は、金の卵を産むニワトリのお話を思い出していただきたく存じ上げる次第でございます。
そう、金の卵を産むニワトリの中には、たくさんの金が入っているだろう、と思い立った愚かな男にはならないように申し上げるものでございます。
どっさりかばんに詰め込んで、重い目に遭っても、見た目はブサイクだし、お勉強効果もそれほどあがらないものでございます。
コンパクトすぎるかしらん?少なすぎるかしらん?くらいの準備で外に出るのがよろしかろうと存じ上げる次第でございます。
よりスマートに見せ、よりスマートのお勉強をこなすのが外のお勉強の醍醐味と楽しみ方でございます。
お勉強中の人の姿は、意外にみられているものでございます。
そこでどれだけ釘付けにするかでございます。
そして、いいお店の雰囲気作りに協力差し上げるレベルまで、到達するのがよろしかろうと考える次第でございます。

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