独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

黙るが、実用

合格しても黙っているのが人のため、そして至るや我が身のためなのございます。
誰にも聞かれないのに、「あたくし、合格したざますのよ、オホホ」といえば、ご友人一同から村八分にされること畢竟でございます。
かのジェントルマン、白洲次郎さんは自分のことを一切話さないことで有名な御方でございました。
ついで奥様の白洲正子嬢も、知ったかブリの人を見ては「あら、お勉強ね」と茶化したものでございます。
自分のことをべらべら話すのは、「馬鹿にして」と自分から公言しているのと同じなのでございます。
知性というのは、秘めることで熟成するものでございます。
内面に満ちた知性こそ、美しさの根源でございます。
内面に満ちきった知性は、行き場を失ったといって消えさるものではございません。
出口をお肌に移し、えもいわぬフェロモンとなるのでございます。
花の華や 目には見えぬが 鼻にはわかる −
香水のごとくに、知性とは身にまとうものになるのでございます。
オニも18と申しますように、男性女性ともにお肌というのは、18をピークに数年は横ばい後は衰えるばかりでございます。
深剃りをすれば肌が荒れるようになったり、細かいアゴヒゲがキレイに剃れなくなったりするのは、お肌の弾力性がなくなってきたことが遠因なのでございます。
女性の肌云々については、わたくしの身の安全を考え、細かくは述べないものとします。
衰えゆく我が身を補うものが、知性でございます。
お肌や精力の衰えとともに、熟成された知性が生きてくるのでございます。
そう、ある年齢に達したら、知性で世渡りをしなければならないのでございます。
合格云々についてべらべらおしゃべりになることは、せっかくの知性の熟成を止めているが如しでございます。
樽詰めしたブドウジュースを、片っ端から飲んでいけばワインが出来なくなるのと同じことなのでございます。
3度聞かれて「合格してますの」と小声で言う奥ゆかしさが、身を修める術であると、甘納豆好きの祖母によくいわれたものでございます。

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受験宣言は考えもの

「わたしは、〇〇の試験を受けます」
試験のお勉強のやる気を出す方法として、みんなの前で受験宣言をすることがございます。
非常に良い手段と存じます。
プライドをかけ、自分を逃げれないように追い込んでしまえば、お勉強の強力な推進力となることでしょう。
しかし勉強宣言は、誰にでもすればよいというわけではございません。
宣言する相手を選ばねばならないのでございます。
もし、会社で資格取得が推奨されているからといって調子に乗ってはいけません。
タクシーの2種免許や証券外務員、ボイラーといった「なければ営業できない」資格の取得は、推奨されましょう。
しかしその他資格は、いかばかりかその真偽たるや、わかったものではないというのがわたくしの考えでございます。
ジックリと観察しなければ、取得者の末路がどうなるかわかったものではございません。
なぜなら資格取得制度が、会社の総意であったり、オーナーや社長の真の考えではないかも知れないからでございます。
単に人事コンサルが、資格制度を人事システムに組み入れただけかもしれないからでございます。
人事システムを作るのは、めんどくさいし手間がかかるものでございます。
ですから全外注・半外注して作ったといっても、昨今の社会環境を鑑みればおかしくないことでございます。
会社はこうはいっているけど、重要な立場にいる構成員がそう思っているとは限らないのでございます。
まさにタテマエ、ホンネの世界でございます。
人生で最も被害が大きいのは、嫉妬をこうむることでございます。
資格というのは、適当な努力を適当な期間、絶えずたゆまず投入すれば、合格してしまうものでございます。
「合格とは簡単なメカニズムである」と、わたくしは考える次第でございます。
しかし、中には『資格=能力者たる証』という公式が成り立っている人もおり、いらざる嫉妬をこうむるものなのでございます。
資格のお勉強は、ごく親しい人にだけ、コッソリ漏らすがようございます。
女房・子供の家庭関係、利害を離れたご友人は、「安全」でございます。
問題は、会社・仕事の人間関係でございます。
「この閥でキャリア形成をめざそう!」と思えるような、ほんとうに親しい上司や部下以外には漏らさないのがよろしいかと存じます。
人事シートには、難易度が低く嫉妬をこうむらない資格の取得を目指す、と書いておくのが吉でございます。
満面の「がんばってね」のひとことは、即、「・・・あいつ・・・」という嫉妬に変わるものでございます。
それがいつ人事考課に現れるか、当の本人でさえその嫉妬に気づいていないものなのでございます。

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お悩み枕詞:その6

「これだけ」でございます。
お悩みの原因の多くは、突然の雑用や予期しないアクシデントに由来するものでございます。
「アレもしよう、コレもしよう」と立てた計画が、おじゃんになってしまったからでございます。
こーして、あーしてと思っていたのに邪魔が入ると、前もって準備していたやる気や意欲といったエネルギーが、行き場を失ってしまいます。
発散先を失ったエネルギーは、どこぞで燃焼を図らんとするものでございまして、たいがいは「なんだよ、ちぇっ」といったクサクサ感でバーニングされるのでございます。
いやーな気分になるのは、このようなメカニズムがあるからと考える次第でございます。
しかし、憶えておいて損がない事実として、「本当に重要なことと、自分が重要と考えたことにはズレがある」ということでございます。
計画どおりにお勉強ができなかったからといって、ダメチンではございません。
意外に、忙しいときやトラブルがあったときのほうが、実になるお勉強になるものでございます。
土日や時間があるときは、アレもコレものお勉強計画をこなすことができましょう。
一方、アクシデントや急用によって時間がなくなったときは、そうは問屋が卸しません。
何を勉強するかを、パッと決めなければなりません。
「何をかせん!!」と絞ったあとに残ったものが、本当に必要欠くべからざるお勉強なのでございます。
逆に、絞り込めないときなどは、どれをいつやろうがオッケーなものでございまして、それほど重要なものではないのでございます。
重要ではないもので、くよくよする必要はないのでございます。
胃袋の容量に限界がございますように、同様に、脳ミソにも限界がございます。
お仕事や家庭のアレコレで、脳ミソのメモリが占められているのも、当然至極の普通の現象でございます。
土壇場での「これだけやろう」という絞込みが、血となり肉となるお勉強への機縁となるのでございます。

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