独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

アッチできコッチできず

よくある話でございます。ある箇所ができるようになれば、他の場所ができなくなっているものでございます。
あそこが出来るようになったと思ったら、こっちができなくなるものでございます。
この箇所を憶えれば、あの箇所は忘れているのでございます。
よくあることでございます。自分だけではない話なのでございます。
お勉強とは、いたちごっこでございます。追えば逃げ、逃げれば更に追い込まれるものでございます。
憶えんとしても憶えず、忘れずとしてもゴウゴウと流れる河川の如く、忘れてしまうものでございます。
憶え忘れのいたちっごは、自然現象でございます。
まず、この事実を受け入れることでございます。
まあどうせ忘れるだろう、と思っておけばよいのでございます。
意気込もうがなにを思おうが、忘れるものは忘れるものでございます。
ならば憶え忘れを受け入れて、気楽に構えて茶菓子でも一口二口つまみつつ復習するほうを、わたくしは選ぶものでございます。
誰しも徒労感はいやなものでございます。
せっかくやったのに、後から見直せばまっさらまっしろであれば、誰しもがっくりするものでございます。
要はこのあたりの加減でございます。
がっくりしすぎると、更に勉強が重くなっていやになります。
負けない!!と発奮するのも、健康的ではございません。だって、何度でも難解でもあることですもの、そのたびに発奮できる人なんていないざます。
「お、来たな」くらいに身軽に構え、忘れ忘れる現状を踏まえておさらいするのが、続けていけるやり方だと思うのです。

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ニヤリと笑うときもある

お勉強にも笑いはあるのでございます。
箸が転んでも笑い転げる年頃のあなた様かとは存じますが、その笑い方ではないのでございます。
アハハ、キャハハハハと歓喜に溢れた笑いでもないのです。
勉強の笑いは、ニヤリなのでございます。
薄暗い蛍光灯の下で、ニヤリと片頬を上げるのがお勉強の笑いなのでございます。ウフフ、フフフ。
基本的にお勉強は繰り返しが基本でございまして、最初は全くできなかった問題集も次第にできるようになるのでございます。
できるようになりゃこっちのモンで、やればやるほど実力がつきし実感を得ることができるのです。
手に取るだけで眠くなりしテキストも、次第にわしわし読みこなせれるようになり、直前期にもなればパッと開けば、どことどこが重要でアソコとココが弱いナァと判別するに至るのでございます。
このようなときは、できたできたパチパチパチ〜と拍手溢れし満面の笑顔ではありません。
ニヤリとするのが、お勉強のしきたりなのでございます。フフン。
ニヤリ笑いは、職人に通じるものがあるのでございます。
職人は新規の道具を作りません。コレまで作りしものと同じきを作るのが職人でございます。
目新しいものを作るのは、従来のものを作りに作った上での話であって、一種の才人でなければ馬鹿にされるだけの野暮話なのでございます。
職人は同じものを作り続けるからこそ、作られし道具は洗練に洗練され、ときに天才が現れて創意工夫が施されて次の時代に伝えられるのでございます。
洗練の極意は、もうわからないほどに道具に馴染み、一体化されている隠れた技術でございます。たとえをいいますと、目玉焼き用のフライパンの柄の高さ、角度、曲がり方をジックリ観察してください。そういう形でなければ使いにくいのでございます。その形でないとダメなのでございます。これをエクセレンスと表現するのでございます。
使って美しく手に持って優美なのが、洗練されしモノを使う功徳なのでございます。惚れ直すことでしょう、時には台所に立って諸君に見せつけるがよい。
勉強の喜びとは洗練の喜びなのでございます。エクセレンスなのでございます。
同じ問題を解くことによって、その問題の問い答えはもとより、試験の要領コツ感じから対策までを自分のものにしていっているのです。
解けば終わり、正解すれば次の問題、というものではないのでございます。
実際問題、問題を新しく作るのは困難ではっきりいうと、過去問を超える良問というのはなかなか作れないものなのでございます。
ですから、過去問演習をジックリした上での新規の問題集に取り掛かるのが、独学のセオリーになるのでございます。
繰り返せばニヤリと笑みが漏れるもの。

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あれれと思うときもある

試験は途中まで水ものでございます。
ある程度の線を越えるとコンスタントに点数を積み上げることができるのでございます。
それまでは、上がったり下がったりするものでございまして、汝煩う事勿れなのでございます。
できた!と思ったのに採点結果や模試の成績が芳しくないときもあるのでございます。
こういうときは、いつも以上通常の3倍ほど落ち込んでしまうものでございます。
アララこんなものかしら?と己に向かって要らぬ疑いをさしはさむものでございます。
自分で思うよりできていないことは、試験では日常茶飯事の事柄でございます。年中行事でございます。
ホント、茶飲み話のひとつでございまして、本当によくあるありふれしこと、誰でも一度は通る道なのでございます。ですから、無用に落ち込むこともないのでございます。
成績が悪かったり伸びていないナァことを発見するのは、誰でもいやなものでございます。
がっかりするのが人情でございます。
とはいえ他人の目から見ると、このような「できた感のある」伸び悩みは、ウンウンと頷くものでございます。
他人の目ではただのお多福、女房思うほど亭主モテもせず、亭主思う以上に女房色気あり、とかくに自己評価・自己認識の類は誤り多きものなのでございます。
このあらら感は、本当のことをいえば、初級なら中級へ中級なら上級へ移行したことを表すものでして、実力上昇の証拠なのでございます。
初級なら初級、中級なら中級を完全にマスターしたがゆえの現象なのでございます。
あともう少しで確実な実力を身につけられるのでございます。
中級に上がった者は早々に初級には戻りませんし、中級上級も以下同文。
できたのに取れていないのは、その原因を考察することで飛躍のきっかけになるものでございます。
ですから、あれれ感に惑わされず日々励むことが大切と思うのです。

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