独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

その意気は買う

試験というのは、ちょっぴり長い道のりでございます。
数ヶ月にわたる道のりで、しかも無給。そのうえ合否は定かでない、と来ております。
しかも調子の好不調もございます。何かと思うようには勉強を進められないものなのでございます。
やろう、やろうと思っても、つい晩酌テレビほかのことに身を任せるときもあるのでございます。
しよう、しようでは、全くやる気が出ないときもあることでございます。
このようなときは、無理にがむしゃらで進めても燃え尽きるだけなのでございます。
エンジン不調なのにアクセル目一杯なものでございまして、取り返しのつかない焼け付きの原因になるばかりでございます。
やる気が出ないなぁという状況に陥れば、終わることだけ考えればよいのでございます。
日々、終えることだけ考えておけばよいのでございます。
曰く、「〜〜したらヤメ。」曰く、「〜〜で終わる。」
日々の勉強を限定してやめることから勉強の組み立てるのでございます。
やろうやろうでできぬというのは、アタマの意識と実力の伸びのペースの歩調とがかみ合っていないときでございます。
アタマは欲張りでございまして、1日5ページできるようだと、スグに8ページに10ページに20ページにも、右肩上がりで作業量を増やしていくものなのでございます。
たいして実力というのは急激に伸びるものではなく、5ページが6ページに、6ページから8ページ、そしてずーと8ページの状態で伸び悩み、あるとき一気に10ページをはるか超えて15ページ20ページの実力がついてくるものなのでございます。
意図的にやる量を減らして作業を限定する。量を減らしても、急激に実力が低下することはありません。
やる量を減らしつつ実力を維持することも、勉強を気楽に構える秘訣なのでございます。

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気負えば必ず出来なくなる

あがり症の方がございます。人前で何かしようとするときに、胸はドキドキ脚ガクガク、手に汗握りわき冷たしという症状になる方です。
はっきりいいますとこの原因は、眼前の作業に集中できていないからでございます。
あがるのは、うまくやろうとするからだといわれます。
今以上の実力を当てにしている証拠でございます。目の前の作業は、いま持ちたる力でしかできないのでございます。
よく思われようとしたときに、あがるともいわれています。
いわずもがな目の前の作業を見ているのではなく、己の評価に目がいっているのでございます。これでは力も出し切れまい。
間違えないかしら、ヘタだと思われないかしらも同じき旨、結局、目下の作業に目がいってなく、何か別物に目が奪われているのでございます。
集中というのは、1点に絞ることでございます。
試験は合格・不合格と不可分のものではあります。ここに落とし穴があるのでございます。
「合格しなくては」という意識ほど、問題を解く上で邪魔なものはないのでございます。
問題を解くことに意識が集中できていないからでございます。
一問解いてはいけるかな?、一問間違えれば嗚呼困った!と作業の各所瞬間に要らぬ感情べったりとまとわり付くのでございます。
そもそも合格とは、目の前の問題を解いてそこそこの点数稼ぎ合格点を超えていれば、結果として合格になるのでございます。
問題を解いた結果が、合格なのでございます。まず合格ありきではなく、まず問題ありきなのでございます。まず問題だけに集中しなければ、合格なんて。
「合格しなくては」状態は、問題という目の前の作業とは別の、遥かに離れた地点に目がいっているのです。まさに、言とは逆の作用しています。
合格の実際の作業とは、問題を解くだけなのです。
問題を解くことだけに自分を持っていかねば、せっかく積み上げし実力の半分も出なくなると思うのです。
ちからを半分削がれれば、出来ないも同然なのでございます。一輪車と自転車が戦うようなものでございます。小学生でもわかる。

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少しに区切って

なんでも一時いっぺんに、やれはしないのでございます。
いっぺんに50問、ミッチリと100問の問題演習ができるのは、数回繰り返しあとの話なのでございます。
いくらなんでも最初から数百ページもできないものでございます。
100ページもできませぬ、50ページでも、25ページでもできないでしょう。
テキスト12ページくらい、問題なら3〜5問が進めていく上でのペースかと思います。
学習量が多すぎると集中力がもちません。復習もおざなりになるものでございます。
一度に百も二百もバリバリと、こなすのは奇人か天才のたぐいのみ、ゆめ参考にするなかれ。
少しに区切りをつけるのも、失われし勉強の技術なのでございます。
ぽっちりぽっちり区切りをつけるだけの技術でございます。
難しい問題も、ひとつの選択肢ごとに区切って考えていけば、わかりやすくなるのでございます。
小区切りが役に立つのは、わからない対策にあてたときでございます。
いちどきに4つ5つの選択肢、解こうとするから、余計にアタマは混乱するのでございます。
一選択肢・一選択肢に絞って考えてゆかば、見落とし無理解、記憶の抜け落ちを見つけるのでございます。あ、そうか、あ、ここだと思うものなのです。
一時に5つ選択肢できるのは、完成期・直前期あたりの脂ののりし時期でございます。それ以外、特に序盤であるならば、一問一肢にジックリ取り組むがあとあと資するのでございます。
一肢に集中してもわからぬなら理解できぬなら、文節用語に区切って、またも細かく区切りをつけて検証すればよいのでございます。
どんなに長い小説も、小分けに小分けを重ねれば、単に語句。どんなに問題多くあろうと、難しかろうとも、結局は選択肢の積み重なったもの、語句の集まったものでしかないのでございます。
テキストの記述にチンプンカンプンなら、鉢巻ぎゅっと引き締めて、同時におなかも引き締めて、一時間、この文章と格闘してやると臨めば、まあどんな文でも意が通じるものでございます。
できなければ、あとでやる、ほったらかせばよいだけの話。

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