独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

かりん糖は裏切らない

要は奮起踏ん切りなのでございます。
ときには後ろ髪惹かれる思いを断ち切って、机に向かわねばならないときもあるのでございます。
どうにも気が乗らない気が進まないときが、まあ3日に1回はあるものでございます。
こういうときは、うだうだグダグダしがちでございます。勉強したら余計に疲れる、暗黒の時間でございます。また勉強せざればココロ晴れやらず、なんとも荷厄介な時間になるのでございます。
こういうときは、儀式でございます。儀式といっても暗黒占星冥府魔道うんぬんではございません。
なあにいつもの通り、お菓子なり何なりと好きなもので己をお釣りなさいというわけでございます。
お茶菓子でも用意しなされ、しんどいならというわけでございます。
並み居る伝統文化には、菓子の影アリ由来アリでございます。
食べること、お口はとみに脳に響くものでございます。
なあに茶道だって、お茶菓子なければこれほどまでには流行るまい、酒肴の類が出なければ、並み居る武将に大名も何を楽しまんと余計にギスギスしただろうと、ときに思うのでございます。落雁ようかん砂糖菓子ひとつでも和気藹々となるものでございます。ですからケーキひとつでも買って帰れば次の日からサービスが違ってくるのでございます。汝ひとの気働き当てにするなかれ。
よくよく鑑みるに、わたくしたちのお勉強時間が無味乾燥・無色透明、あじけなきこの上ないものでございます。着ている服はジャージか寝巻き、髪はぼさぼさ、化粧落として化生畜生になっていることと存じます。
ほんのつまむ程度のお菓子でも、奮起の機縁となるものでございます。
茶にすると申します。つらいことしんどいことも茶飲み話にしてしまえ、それには茶菓子がよいお供ということでございます。
かりん糖でもなんでもを小皿に盛って机置き、味わいながら進めたところで何が不都合だろうかと考えても別段に思いつかないものでございます。
歳を経ると自分の好物すら、忘れてしまうものでございます。

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マスクで覆ってパクパクと

前回のススメは、わからぬときは口に出してみんということでした。
今回も声に出すお話でございます。
口にしてみる、声に出してみるだけでも効果はあるのでございます。
かつて大学受験の英語を受けし方は、長文読解の練習に音読をせよといわれたのではないでしょうか?
街に多々ある英会話学校も、黙読なんてやらないで講師生徒の会話を中心に授業を組み立てていることと存じます。
簡単にいえば、脳の使用量が多いから、声だし音読は推奨されるのでございます。
黙読、つまり目だけで追うのは、目と脳のふたつ。
音読では、目と口と耳と脳と多器官を使っているのでございます。
大雑把にいえば脳の使用量は2倍です。
太ってるね、と読むのと聞くのとでは、大きく違うかと存じます。
「激太解消!おなかスッキリ!」という広告文と、テレビにておなじきアナウンスがされたとき、脛にキズがある人は、テレビの音声の方にぎょっとハッとするものでございます。
音声も刺激の一種なのでございます。
いやな言い方ですが、試験とは記憶した量で決まってしまうものでございます。
覚えが悪いという人は、目だけでなく口、耳を使ってフルに脳みそを刺激して、記憶に残すようお励みになってみてはというアドヴァイスでございました。
時はあたかも花粉症の前触れ、季節がら寒波戻りて油断して、手ひどい風邪を引く頃でございます。
幸か不幸かマスクを被りしときは、外でもベンキョの機会が増えたと、暗記物をブツブツ唱えるが功徳となることでしょう。

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読めないのが普通である

いにしえに音読なる読み方がありました。
「子の曰く、晩酌抑えて菓子を食う、未だ嘗て飽かざるなり。お腹の肉も減るべからざるなり」
論語を素読せし世代がございました。孔孟老荘をスラスラ読みこなせし世代もございました。
素読音読は、遠く江戸から明治の中期までの学び方でございました。歓学院の雀は蒙求を囀ったと申します門前の小僧習わぬ経を読むと申しました。
声にだし耳にして学んでいたのでございます。
しかし豈にはからんや文語から口語に変わり、音読素読はおざなりになりました。
声に出す、口に出して読む学び方もあったのでございます。
さて、テキストの文章は読みにくいと相場が決まっています、法律なんて悪文の見本です、一読難解二読半解三読不可解なものでございます。
テキストは何度も読むという理由の一助は、その文章にあるのでございます。
その悪文と戦うのが資格試験の醍醐味でございます。これほどの悪文にはそうそうお目にかかれません。情け無用の悪文でございます。
ありし日の恋文より悪文でございます。その悪文の結果がいまの災いでございます。
さて、意味不明不得要領のわからない文章に遭遇しにっちもさっちも押せども引けども、愚や愚や汝をいかんせんとなったときは、声に出して読むとようございます。
というのも、骨子を理解していない文章を声に出すと詰まるからでございます。
その詰まりしが、考え違いのヘンな場所意味見落とした箇所なのでございます。
詰まるどもる果てには声にも出せない箇所をゆっくりと読む、文の構成を見直してみる、指で押さえながら読んでみるといった手当てをすると、なあんだと半解了知に至るのでございます。
声に出して読んでみん。
わからない対策のひとつでございます。

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