独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

読めないのが普通である

いにしえに音読なる読み方がありました。
「子の曰く、晩酌抑えて菓子を食う、未だ嘗て飽かざるなり。お腹の肉も減るべからざるなり」
論語を素読せし世代がございました。孔孟老荘をスラスラ読みこなせし世代もございました。
素読音読は、遠く江戸から明治の中期までの学び方でございました。歓学院の雀は蒙求を囀ったと申します門前の小僧習わぬ経を読むと申しました。
声にだし耳にして学んでいたのでございます。
しかし豈にはからんや文語から口語に変わり、音読素読はおざなりになりました。
声に出す、口に出して読む学び方もあったのでございます。
さて、テキストの文章は読みにくいと相場が決まっています、法律なんて悪文の見本です、一読難解二読半解三読不可解なものでございます。
テキストは何度も読むという理由の一助は、その文章にあるのでございます。
その悪文と戦うのが資格試験の醍醐味でございます。これほどの悪文にはそうそうお目にかかれません。情け無用の悪文でございます。
ありし日の恋文より悪文でございます。その悪文の結果がいまの災いでございます。
さて、意味不明不得要領のわからない文章に遭遇しにっちもさっちも押せども引けども、愚や愚や汝をいかんせんとなったときは、声に出して読むとようございます。
というのも、骨子を理解していない文章を声に出すと詰まるからでございます。
その詰まりしが、考え違いのヘンな場所意味見落とした箇所なのでございます。
詰まるどもる果てには声にも出せない箇所をゆっくりと読む、文の構成を見直してみる、指で押さえながら読んでみるといった手当てをすると、なあんだと半解了知に至るのでございます。
声に出して読んでみん。
わからない対策のひとつでございます。

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菓子を片手にいそいそと

要はエネルギー論なのでございます。
つまらないなら多少とも憩いと慰めをもたらさんとするのが、粋でございます。
もう女学生ではありません、青雲の志もつ書生でもございません。
学び場は学校ではありません。自由に時場所定め、やりたいようにやりやすいように身の振り方を設計すればよいのでございます。
メカニズムは働いているのでございます。
手狭家屋も広く見せよう床の間に、室内に畳と座布団ほかになし、自然と目が行く掛け軸欄間立花の類の仕様なのでございます。
生活という習慣は、洗練されたメカニズムの集合体でございます。意識せずとも従うが、洗練の極地なのでございます。
勉強がいやなら、せめて菓子の憩いで相殺すれば良き事でございましょう。
ぜんざいに香の物、汁粉に塩をお考え下さいまし、辛いに甘い、甘さには辛さで相互が引き立つのでございます。
それを、無理やりに、学校当時の記憶を引き継ぐ必要などないのでございます。授業中にお菓子を食べるなんてはしたないことでした、タブーでした。しかしいまはそうでなし。
目がショボショボするようならば、ブルーベリーの甘しジャムをタップリ塗りこめたトースト(バターも解けでんようにたっぷりと)をむしゃぶりつきながら勉学に励んでもよいのでございます。
100円で買ったミニ電燈で照明を増やしてもよいのでございます。
香を焚くも良し。
骨董の類、やは肌の白く澄んだ茶碗を眼前に置いて勉強してもよいのでございます。嗚呼ありし日の彼女もこうだった。
菓子盆、小鉢、湯のみに凝るもようございましょう。
試験とは問題が解ければよいだけの話しでございます。形式過程は問われません。いわんや私室の貴殿をや。
そのあたりの塩梅なのでございます。
呆然とテレビ見ながら菓子ツマミより、頭を動かしながらの方がカラダもアタマも舌も踊り喜び、一身に甘さを楽しめるものでございます。
むかし菓子道ありけり。
菓子道の極意とは、

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伸び悩み中はつまらない

お勉強は前提としてつまらないのでございます。
精神論や気合でなくて、アタマの良さや悪さ云々でなく、つまらないからやれないやらないできないのでございます。
ベンキョに忍耐強さが要求されるゆえんにございます。
とはいえ勉強に限った話ではありません。
なんでもできなきゃつまらないのでございます。
できるからこその、醍醐味面白味なのでございます。
幼児に高度のおもちゃを与えても、老人にパソコンを与えても、できない故にスグに放り出すのでございます。
車の運転も、同様でございましょう。
自動車学校が楽しくて仕方がない、という人はいないかと存じます。姑小姑を煮詰めたような教官にいびられて嫌味皮肉の百二百を受けるものでございます。
もういやだと、なんでこんな目に、と思った方も多いかと存じます。もう運転なんていいや、と思いつめし方もいらっしゃったことでしょう。
とはいえ晴れて免許取れ運転技術に習熟すれば、楽しくなってくるものでございます。いわんやドライブ縦列駐車に車庫入れ路駐1車線通行も路肩幅寄せも何のそのとなるからでございます。
なんでもできるようになれば、楽しくなるものでございます。料理洗濯家事裁縫、コピー取りから会議の手配電話の掛け方納品仕様契約の締め方部下のほめ方育て方上司役員への対処法経費水増し交際費の捻出なども、最初は右も左もわからずつまらないものでございます。が、なれるに従い面白みを味わっていくかと存じます。
ですから楽しい前のつまらないを、どうしのぐかなのでございます。
お勉強の宿命は、伸び悩みがあるということでございます。
すくすくと伸びるものではなく、つまらない下積みの果てに伸びるものでございます。
そのあいだはできないままで、つまらない。
しかしその間は、たんたんこなすしかないのでございます。どうしても時間がかかる。
あさがおは夜の闇を必要としているように、伸び悩んでいても後にラクもありゃできるもあるさと淡々こなすのが一番の近道なのでございます。誰かに相談しても栓はなく、やはり時間が解決するのでございます。

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