「類は友を呼ぶ」
「類友」のメカニズムはそこかしこ、あちらコチラで目にすることができるのでございます。
火を油を注ぐ、ということわざも「類友」はたらきを表しているのでございます。
上司役員お客様、怒られし時には亀になり何も言わずに反論しないのは、得てして怒りを増幅させないためでございます。
怒りは怒りを呼ぶのでございます、「類友」理論からすれば。
なんてことないひと言でさえ、カァ!!この野郎!!とアタマに血を登らせる可能性があるのでございます。登りすぎて、何を怒っているのか当の本人ですらわからなくなるのは、このメカニズム在りし故にでございます。
ですから黙ってお小言を、頂戴するのがよいのでございます。ひと言も反論しないで言い訳せず、理由云々述べないのが人の機縁を知りし者なのでございます。理性をもって怒るのは、ひとつの技術でございます。
このように「類友」は、日常茶飯事なのでございます。
怒りと同様、焦りは焦りを呼ぶものです。わけのわからん問題立て続け、解ける問題も解けなくなるものでございます。
焦りと同様、パニックはパニックを呼ぶものでございます。マークシートの記入のミスが、なぜか問題読解に影響しトンチンカンな解答解釈をするようになるのでございます。
「類友」を逆にいえば、違うもの同士は連れ添わないということでございます。
焦りから叡智は生まれませんし、混乱も理性を招きはしない。亭主奥方、類の友。
ですから、焦りなら焦り、怒りなら怒りの影響を、いかに食い止めるかが大切になのでございます。
お勉強でも、「類友」は同じく作用するものでございます。
諦めが諦めを呼ぶものでございます。
一問どうでもよく扱うと、次の問題もの次もどうでもよくなるのでございます。
「わからない」が更なるわからないを連続さしむるのでございます。
テキストに書いてあるのに解説にも書いてあるのに、当の本人アタマに血が登ったか焦ってスイミングアイなのか、なぜか読んでいないのでございます。それさえ読めば終わりなのに。
そして同じところをぐるぐると、自分の尻尾を追いかける仔犬のように駆けまわることになるのでございます。
感情というのは増幅するものだ、とまずは思うことから始めたく思います。
そして、カアッ!と血が登ったり、アタマがぐるぐるしだしたら、「お、来たな」と待ち構え深呼吸を3回やって、それから再開してみようと思うのです。
エネルギーの空吹かし、やる気の空回転の徒労から抜けだせると思うのです。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月20日 8:34 PM |
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職場はもとより学校で、電車店内家の中、通勤通路登下校、生きている以上人とのゴタゴタは避けられないものでございます。昨今ではネットでもいやな目に遭うとの事。
いやな人にいやな目に遭わされる事、意図的であれ無意図であれ、やはり当の本人はいやな気持ちをいやいやながらも引きずるものでございます。
ですから、普通に生きていたらお勉強中にうわの空になることも仕方のないことなのでございます。
悩み少なしあの頃で上の空、今日のお八つはなんだろな嗚呼愛しのあの人はいまいづこ?今日あの子は休んでたからつまらなかったなおやコレは恋ココロ?そんなバカなよせやい。。。てな日々だったでしょうから何ぞ今更?てな塩梅でございます。
眼前に愛する人がいてさえも、他の異性に目が行くもの。いわんや勉強をや。
ココロ穏やか脈拍静穏でないと、基本的に勉強に精がでないものでございます。
さざなみの如く波打つわが心中を、いかになだめるかでございます。
お馴染みの数字を挙げたく存じます。
2:8でございます。
人間関係、いい人2・普通6・意地悪2と相場が決まっているのでございます。
役に立つ人有用な人が2、毒にもクスリにもが6、イヤな奴が2の配分なのでございます。
意地悪な人に会うのは数字上、仕方のないことなのでございます。
なんだこいつと怒り心頭しても、新手の意地悪がでたなと思うがよいのでございます。「あ、来たな」
意地悪には、必ず遭うようになっているのでございます。規定事項の一種でございます。
無用に腹立つことなかれでございます。必ず2割あるもの。
雨の野郎コンチクショウと天気の文句を言うのが空しいのと同様に、ままならない浮世のことをアレコレ文句をつけても仕方がないのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月19日 10:15 PM |
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要は奮起踏ん切りなのでございます。
ときには後ろ髪惹かれる思いを断ち切って、机に向かわねばならないときもあるのでございます。
どうにも気が乗らない気が進まないときが、まあ3日に1回はあるものでございます。
こういうときは、うだうだグダグダしがちでございます。勉強したら余計に疲れる、暗黒の時間でございます。また勉強せざればココロ晴れやらず、なんとも荷厄介な時間になるのでございます。
こういうときは、儀式でございます。儀式といっても暗黒占星冥府魔道うんぬんではございません。
なあにいつもの通り、お菓子なり何なりと好きなもので己をお釣りなさいというわけでございます。
お茶菓子でも用意しなされ、しんどいならというわけでございます。
並み居る伝統文化には、菓子の影アリ由来アリでございます。
食べること、お口はとみに脳に響くものでございます。
なあに茶道だって、お茶菓子なければこれほどまでには流行るまい、酒肴の類が出なければ、並み居る武将に大名も何を楽しまんと余計にギスギスしただろうと、ときに思うのでございます。落雁ようかん砂糖菓子ひとつでも和気藹々となるものでございます。ですからケーキひとつでも買って帰れば次の日からサービスが違ってくるのでございます。汝ひとの気働き当てにするなかれ。
よくよく鑑みるに、わたくしたちのお勉強時間が無味乾燥・無色透明、あじけなきこの上ないものでございます。着ている服はジャージか寝巻き、髪はぼさぼさ、化粧落として化生畜生になっていることと存じます。
ほんのつまむ程度のお菓子でも、奮起の機縁となるものでございます。
茶にすると申します。つらいことしんどいことも茶飲み話にしてしまえ、それには茶菓子がよいお供ということでございます。
かりん糖でもなんでもを小皿に盛って机置き、味わいながら進めたところで何が不都合だろうかと考えても別段に思いつかないものでございます。
歳を経ると自分の好物すら、忘れてしまうものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月16日 10:10 PM |
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