独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

自己満足は救えない

自己満足に浸ってしまった人は、救いようがないのでございます。
ハッキリいえば、ネギ以下の存在に成り果てたのでございます。
畑のネギや大根ですら、太陽の光を浴びようと伸びよう伸びようとしているものでございます。
対して自己満足に陥った人は、これでえーわと伸びることを止めてしまっているのでございます。
こうなるとつける薬がございません。
わたくしは、己を育てるものは己のみ、と考えるものでございます。もちろん、恩師師匠先生先達上司等々との接触の中で、心中の触媒が反応するのはいうまでもない事でございます。
難しくいってますが、カンタンにいえば、男はオンナに磨かれ、女はオトコを踏み台にして育つということでございます。
自己満足は、この「成長のための反応」をみずから放棄しているのでございます。
「己を育てるものは己のみ」と申しましたのは、反応するものをまず自分で持ってないと成長しようがないからでございます。
考えてください、恩師師匠先生先達上司いい男いい女、彼らに携わった人すべてが成長しているわけではないのでございます。
いい人だけどクソ女房の場合もありまして、わたしはこの人からいい影響を受けて尊敬さえしてるのに、彼に一番近い女房がそうでないのですから、成長のキッカケとはどこに潜んでいるかわからない、人それぞれである事を如実に語っていると考える次第でございます。
自己満足で成長反応を閉じてしまうと、どんどん伸びる機会、それも機会の絶対数を失うのでございます。
三日遭わざれば括目して見るべし、と申します。人は、機会と機縁と出会いがあれば三日で変わってしまうものでございます。恋せし乙女とオクサマ方の顔を較べてなさいまし。あんなに。。。
数ある人間の悪徳のなかで、自己満足は嫉妬に次ぐ危険性を持つのでございます。
十分気をつけていただきたく思うわたくしでございます。

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ドザボリも悪くない

基本的に、わたくしは毎日コツコツとお勉強を進めることを推奨するものでございます。
なんもせずに寝てしまうよりかは、眠たいマナコをこすりながらの5分でも、お勉強なさるがよいと考えるものでございます。
5分あればいろいろできるものでして、離婚届にハンコも押せます、「別れよか」と終わりの言葉も発せます、腐れ縁を切ることもできるのでございます。
5分あれば、今日のサボリをカバーする次回の勉強の計画を立てることもできましょう。
5分あれば、あの用語の意味の確認、解法パターンの確認、解き方の確認、あの表あの図を見直すこともできるのでございます。
このような地味な作業の積み重ねが、アタマの中に沈殿し忘れぬ記憶の元となると考えるものでございます。
とはいえ、こうともいえます。
毎日学校に行く人が、アタマがいいとは限らない、成績上位者とは限らない。
毎日会社に行く人が、仕事ができるとは限らない。風邪をうつすだけの人もいる。なかにはインフルエンザで来る人もいる、何をしに来た!支社長命令で帰宅される人もいるものでございます。
毎日練習したからといって、常にレギュラーとは限らないものでございます。
必ずしも、毎日やったからといって効や験があるものではないのが、浮き世の習いなのでございます。
ですから、わたくしはサボリ、弩サボリを禁ずるものではないのでございます。
ときにぼーとするのもよいものでございます。帰ってそそくさ風呂入り飯食ってテレビも見ないで布団に入り、「アアこんな時間に」とひと息つくのは楽の極みでございます。
ベッドに入りむしゃむしゃと洋菓子和菓子をほおばるのもようございましょう。チョコクッキーにぼんち揚げのウルトラうまいが太るコンビで菓子の極みを味わうのもようございましょう。
720mlで数千円する日本酒大吟醸を寝転びながら飲むのも酔うございましょう。
ぽっと生まれる空白期間が、新たなやりよう進め方、解き方見落とし陥りようを発見するものでございます。
難しく考えてるだけやん、とか、欲張りすぎの予定やからや、腐れ縁を切るチャンスや、などなど。
サボリの多様は禁物でございますが、行き詰まりを感じたならどーんとサボるのも一手なのでございます。

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無駄意識

手っ取り早いのは、無駄なことをしないということでございます。
世の中、「大切なこと」「重要なこと」「よいこと」「利すること」「トクすること」「擬似サービス」で溢れてしまっており、どれを選ぶかに骨を折るようになったのでございます。
ですから、無駄なことをしないというのは、やることが一個しかない分、行い易いというわけでございます。
うまくいかないようでしたら、まず「無駄なこと」をやらないようにするだけでいいのでございます。
うまくしよううまくしなくちゃと追い込まれるとと、アレもコレもやらなくちゃと事到るものでございます。
そうすると、「選択」という悩ましい道程を越えねばならなくなるのでございます。まーそこでエネルギーは損耗します時間食います。
たとえばわたくしは、使うテキスト・問題集を1〜2週間ほどかけて吟味いたしますのも、あとで買い直したり買い足すのがめんどくさいからでございます。
再度本屋に行かねばならない、本屋へ行けばテキスト・問題集探しだけではもったいないと、そのほかの本も散策することであろう、いいのがあれば買うだろう、さらに財布を開かねばならないだろう、のどが渇けばクロワッサンとコーヒーで小粋な昼を楽しむものだろう、おなかが膨れると地下の食品売り場でものめずらしいチーズやらツマミやらを探してしまうものだろう、とまあ、こんな風に無駄がちょい無駄を呼ぶものなのでございます。
よっぽどのことがない限り、一度買ったテキストは最後までやりとおしますし、問題集も何度も解き繰り返します。それが終わって追加できるものがあれば買い足すというやり方でございます。
選択の多さなんて良し悪しでして、お買い物のようなプロセスと楽しむもの以外は、ロスが多いものでございます。
ならばそのロス、問題演習に充てた方がいいでそう、と考える次第でございます。
無駄をなくしてみる、だけでよいのでございます。
無駄避け無駄なくしで、一層「大切なこと」「有利なこと」「大事なこと」がクリアに見えてくるものなのでございます。

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