手っ取り早いのは、無駄なことをしないということでございます。
世の中、「大切なこと」「重要なこと」「よいこと」「利すること」「トクすること」「擬似サービス」で溢れてしまっており、どれを選ぶかに骨を折るようになったのでございます。
ですから、無駄なことをしないというのは、やることが一個しかない分、行い易いというわけでございます。
うまくいかないようでしたら、まず「無駄なこと」をやらないようにするだけでいいのでございます。
うまくしよううまくしなくちゃと追い込まれるとと、アレもコレもやらなくちゃと事到るものでございます。
そうすると、「選択」という悩ましい道程を越えねばならなくなるのでございます。まーそこでエネルギーは損耗します時間食います。
たとえばわたくしは、使うテキスト・問題集を1〜2週間ほどかけて吟味いたしますのも、あとで買い直したり買い足すのがめんどくさいからでございます。
再度本屋に行かねばならない、本屋へ行けばテキスト・問題集探しだけではもったいないと、そのほかの本も散策することであろう、いいのがあれば買うだろう、さらに財布を開かねばならないだろう、のどが渇けばクロワッサンとコーヒーで小粋な昼を楽しむものだろう、おなかが膨れると地下の食品売り場でものめずらしいチーズやらツマミやらを探してしまうものだろう、とまあ、こんな風に無駄がちょい無駄を呼ぶものなのでございます。
よっぽどのことがない限り、一度買ったテキストは最後までやりとおしますし、問題集も何度も解き繰り返します。それが終わって追加できるものがあれば買い足すというやり方でございます。
選択の多さなんて良し悪しでして、お買い物のようなプロセスと楽しむもの以外は、ロスが多いものでございます。
ならばそのロス、問題演習に充てた方がいいでそう、と考える次第でございます。
無駄をなくしてみる、だけでよいのでございます。
無駄避け無駄なくしで、一層「大切なこと」「有利なこと」「大事なこと」がクリアに見えてくるものなのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月4日 6:58 PM |
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巨大な板チョコでした。
明治製18×25センチ弱の巨大な板チョコがあったのでございます。その大きさたるや、タオル1枚をひろげた面積をご想像くださればと存じます。
大半の人は、大きさで食べる意欲をなくすものでございます。
妹から頂きし板チョコでございました。お菓子のまるしげで、いつも大ビニル分のお菓子を買うを常にしている彼女でございます。彼女ですら食べなかった板チョコでございます。
この板チョコを、私は食べきったのでございます。その旨を話したときの彼女の驚きの顔が目の裏にこびりついているわたくしでございます。「よーくったなぁ!!」
親しき仲にも礼儀あり、兄妹は他人の始まりと申しますが、人として賛嘆されたのは初めてのことでございました。
別段、苦労し拷問のように食べたのではないのでございます。1ピース(消しゴム並の大きさ、約1.5×2センチ)づつ食べていっただけの話しでございます。
この板チョコ、本当は贈呈用に使われるようで、パーティーや飾り等に用途があるそうでございます。あまり食べる人はいないと、子供数人の家族持ちならわからんではないのですが、1人で食べきったというのはない話とのことでございます。
食べた本人としては、ムシャムシャと食べただけなのでございます。
要は、「少しづつならやれる」ということなのでございます。今は、一時に多くはできないが、少しならできるということでございます。
一時にできないモノは、少しづつやれば完遂できるのでございます。
3日やそこらでは、巨大チョコを食べることはできなかったことでしょう、毎日バクバク食べたらそれこそ見るもイヤになるのがオチでございます。
勉強も同じでして、苦手科目をガツガツやればさらにイヤになるものでございます。そしていやになったものを続けるのにどれだけ精神エネルギーの損耗やいかに?という考察に至るのでございます。
無理やりは、得てして破綻するものでございます。
一時に済ましてしまうのも、よっぽど心身ともに好調時でないと、ダメに終わるものでございます。
少しならやれるのでございます。少しやれたなら最後までやれるのでございます。
このような教訓を得、おなかポッコリになったことを後悔していないわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月3日 7:10 PM |
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心丈夫という言葉が好きでございます。
大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョウブというよりかは、一段引きつつもシッカリ踏ん張っている語感があるからでございます。
カラダも酷使すれば衰えたり怪我、病気に至るように、メンタルもほおって置けばやはりよくないのでございます。
お勉強はその性質上、自家中毒といいましょうか内にこもりがちなのでございます。
ですから、見た目や日常の感覚ではわかりかねる面ございます。自分ではダイジョウブだと思っているものでございます。
ですから、合間合間に休息を取らずに無理重ねれば、どーんと揺り戻しが起きるものでございます。
通気の悪いジメジメした家の壁紙裏にカビがびっしり湧いて手遅れだ、かの如くになりかねないのでございます。
朝から働いて合間合間の細切れ時間をお勉強にあて、帰宅前後に勉強するというのが、一般的なスタイルかと存じます。
このような余裕のない生活を続けると、やはりあちこち痛んでくるものでございます。仕事に限らず、家事や育児子育てパート近所づきあい職場関係、学業サークルアルバイトといえども、同様でございましょう。
ですから月に1日は、完全な休息日を設けるべきでございます。
その日だけは、どんなに勉強が遅れていようと、なんであろうと、テキストに手をつけなければ、問題集に触れもしない日にするのでございます。
存在すら忘れる、ほどでございます。
弓矢刀鉄砲の戦国時代の武人ですら、和歌を詠み芸事を嗜んでいたのでございます。ギスギスした心にいかに潤いを与えたか、よくわかる気が致します。
髪の毛からつま先まで、すべての細胞が入れ替わるくらい休もうと思うわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月1日 9:42 PM |
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