独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

章ごとにもはさんどく

目に見えるものでないと励みにならないのでございます。
往年の名マラソンランナーは、走るコツをこのように申しております。
「先やゴールを目指すのでなく、一番近い電信柱、そして次の柱を目指すと楽ですな」と。
先だっては、今日のお勉強箇所にしおりを挟むべし、さすれば終わらせる実感が持てるだろうと申しました。
ゴールが見えていないと、勉強はダレダレになるものでございます。5分の休憩が1時間になることなどザラでございます。
ですから、きちんと今日の終了地点を明確にしておかないと、スグにわき道にそれてしまうのでございます。お菓子とかテレビとかネットとかマンガとかスパイダソリィティアとかアクセサリ→ゲームとか。
お勉強の工夫には、さまざまございますが、しおりを使った工夫をもうひとつ述べたく存じます。
本当に簡単でございます。章ごとにしおりを挟むのでございます。
そして1章終わるごとに、破るなり捨てるなりしていくのでございます。
ちなみにわたくしは、書き損じのメモを短冊に切って挟んでおります、遠慮仮借なく、出されずじまいの恋文なみに破り捨てているものでございます。
しおり目印をはさんでおくと、勉強中にふとイヤンになっても、「この章もあとコレだけか」と思って励みになるものでございます。
今、これだけやったらガマンできるなぁと思えるものでございます。
近くに目標となる目印を作っておいて、やる気のブレを防ぐのでございます。
やるぞやるやる、という1本調子のやる気ではなく、「ここまでやろう」のやる気のほうが出しやすいものでございます。
大きな木は、すぐには燃えませんが、薪にしたら燃えるのとおなじ理屈でございます。

(さらに…)

しおり

さあやるぞ、という意気込みは買うのでございます。
その前にやることが有るのでございます。
それは「しおり」でもはさんどけ、ということでございます。
ゴールを設定せずに走り出すな、ということでございます。
「今日はここまで」を意味するしおり・紙切れを、勉強前に指しあたりはさんでおくのでございます。
テキストや問題集の今日分のノルマページにはさんでからのお勉強でございます。
人間、哀しいもので目に見えるものしか実感が湧かないのでございます。
忠犬のハチ公は、目前で主人の死の目にあえなぬからこそ、いつまでも尾をフリフリ駅の前で待ち続けたのでございます。
畜生の愚かさ、と笑えるでしょうか?
わたくしたちも、目に見えるものしか確かな実感を持ちえないのでございます。
上司がいなければ仕事に身が入らぬものでございます。えらそうにいう上司の上司も同様でございます。専務いなけりゃ仕事せず、社長いなけりゃ仕事せず、カカアいなけりゃ仕事せずでございます。
マラソンで、テープも張られておらず線も引かれていないゴールにランナーがのろのろと走ってきて、どう感動せよというのでしょう。
とりあえずアレだ約40キロくらい走るっぽいのがマラソン、だとしたら、見るほう走るほうみんなダレダレするものでございましょう。
まだまだ他にもございます。
愛しているといって何もあげずば、彼女は去るものでございます。贈り物をくれる人が素敵なのは古往今来、変わらない真理でございます。目に見えるものしか、愛は示せないのでございます。哀れ愛。
さて、ベンキョ噺。
まずはテキスト・問題集に、今日はここまでのしおりを挟むことでございます。
テキストを読むたびに、問題集の一問が終わるたびに、しおりに近づく事と相成ります。
読むたび解くたび、勝利と終了のファンファーレの近づきを実感できることでしょう。
終わりがあるからこそ、集中してテキパキ取り組めるのです。段取りの悪いアレな上司は、ゴールを設定しないから士気がガタ落ち、指揮の能力を疑われて陰口を叩かれるのでございます。
まずは目標となりうる終わりの目印からでございます。
今はキレイな花柄のしおりも、100円ショップで売られし時代でございます。
ちなみにわたくしは、「山田養蜂場」の蓮華とミツバチの絵柄で、ムラサキと黄色が配色されたしおりを愛用しているものでございます。

(さらに…)

グッスリト

春は眠いものでございます。コレは仕方のないことでございます。
春の寝床は、完全に調和の取れた世界でございます。これ以上のものはない心地よさでございます。
暑くもなく寒くもなく、汗ばむこともなくカラダを縮こますこともなく、身体全体のノビノビ感がたまらないものでございます。
何度もいってますが春眠いのは、わたくしの持論「冬毛夏毛の理屈」であろうと考えるものでございます。
スズメ文鳥ジュウシマツ、野良犬ノラネコ野の獣たちに、冬の毛と夏の毛が有るように、わたくしたち「ヒト」にも、冬細胞・夏細胞があってしかるべきであろう、春はその入れ替え時期なのではないかという小理屈でございます。
ですから、身体の細胞が急ピッチで入れ替わり中で、己の思った以上カラダは疲労していると、であるから眠くなるのであると、眠くなるのはおしっこ・大きな方、飢え、のどの渇きといった生理現象のひとつである、であるから従うのが生命体として・動物として得策であろう、というわけでございます。
まあ、ハッキリいえば、春の惰眠を正当化する屁理屈でございます。
簡単にいえば、春は眠いのだから無理をせず、おさらい復習に勉強の主を移してみてはいかがですか?ということでございます。
先へ進む勉強は、作業の強度も高くアタマを使うものでございます。それなのに、春の暖気に誘われてボーとしたアタマでは、成果が出ないものでございます。
対して復習作業は、かつて一度はやったトコ、作業強度は控えめでアタマの疲労も少なかろう、ボーとしててもできるだろう、なあに寝転んでやればよい、というわけ。ウトウトするのも仕方なし。
残念ですが、無理が効く人効かない人がございます。効く世代効かない世代がございます。他の人はアレだからと安易にがんばると必ず揺り戻しが有るものでございます。
5月にはGWもございます。そのとき取り戻せばいいだけの話しですから、この時期はあまり無理をなさらず進めるべしと申し上げる次第でございます。

(さらに…)