独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

他愛もないこと

それほど気に病む必要もないのでございます。
人の気分など、一瞬で変わってしまうものでございます。
ウンウンとアーダコーダと考えながらのしかめっ面なお顔をした人がいることでしょう。
このような人は、何か自分では重要な事を考えているようで、実は何も考えていないのでございます。
このような人でも、家庭ゴミを捨てんとしたら目の前に収集車、間一髪のタイミングでゴミ捨てすると、ニヤリとするものでございます。
こんな人でも、新聞雑誌の最後のを、それも他の人が手にしようとした時に、さっと取れたときなどニンマリするものでございます。定食屋の最後の一品、電車バスでの最後の一席も然り、最後の一席も同様でございます。。
取りとめのない「いいタイミング」に遭遇するだけで、コレまでのモヤモヤ気分はどこかに行くもの。
さていったい何に気を病んでいたのかと、惑うばかりなのでございます。
人の気など一瞬で変わるもの、一瞬で気分よく、一時で楽しい気分がどす黒い嫉妬妬み恨みに変わるものでございます。
人の思いしことなど他愛のないことが多いのでございます。後日振り替え見れば、なあんてことないことばかりの連続なのでございます。
今はソレやアレやの心配事や不安で一杯であろうとも、すぐに変わるさとあまり深刻に考えないことでございます。
不合格であっても、長期戦・長期計画の練習やな、と思えばそうなるものでございます。住宅ローンなど長期計画のよい練習になることでしょう。
合格が1年延びても、プランの立て方、情報集め、実行実践などなどが人生その他の練習になっているものでございます。
不合格であっても、次がある人もいます。合格を重ねると余計に狭まる人もいます。合格などひとつの目安に過ぎないのでございます。
心境の開拓でもできれば、不合格であってもそれはやった価値があると、断言できるわたくしでございます。

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それはそれで

先だっては、自己満足の罠に気をつけろと申しました。
しかし、存在するものはすべて論理的であると申します。この危険な自己満足も、役にはたっているものなのでございます。
たとえば、過度過大なプレッシャーに晒され続けたなら、人は己の心身のバランス取るため「ま、こんなもんでいいか」と考えるものでございます。
「過ぎたる」ことから心身の磨耗損耗を防ぐ意味、またプレッシャー・ストレスをやり過ごす意味で、自己満足は資するものなのでございましょう。
しかし問題にしたいのは、「いつまでもその状態でよい」ワケではないことでございます。
自己満足というのは、結局一時のシノギだからでございます。
一時シノギは、次のシノギを呼ぶだけでございまして、解決には至らないものでございます。
わたくしは、自己満足を否定しきるものではありません。ただ、状況環境が変われば自己満足からは抜け出なければならないのでございます。
自分がしんどくなってくるからでございます。
不完全燃焼と申しましょう、エネルギーが発散されていないのも、自己満足状態の特徴でございます。
溜まったエネルギーはどこぞで抜かないと、爆発してしまうもの。人間も獣でございますよ。
はらへって飯食っている以上、エネルギーは蓄積されているのでございます。それをどう抜くかなのでございます。
そのために目標目的があるのでございます。
しかし目標目的にも適したサイズがあるのでございます。過大な目標ではいけないのでございます。
大きな目標、それ自体はよいのです、しかし実際のエネルギーの向ける先は、『自分のできる小さなこと』に限定していくのでございます。
チョット軽め、ちょいとキツメの目標日課工程計画を、設定するのも勉強の重要な部分なのでございます。
トレーニング理論「超筋力」がいいますように、ちょっとづつ負荷を加えることで、人は実感をもって成長できるものなのでございます。
世は時に春、野良の草はなのように、心中の可能性の芽を出してみてはいかが、と思うわたくしでございます。
相変わらず汚い己の字を見ての発奮でございました。

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自己満足は救えない

自己満足に浸ってしまった人は、救いようがないのでございます。
ハッキリいえば、ネギ以下の存在に成り果てたのでございます。
畑のネギや大根ですら、太陽の光を浴びようと伸びよう伸びようとしているものでございます。
対して自己満足に陥った人は、これでえーわと伸びることを止めてしまっているのでございます。
こうなるとつける薬がございません。
わたくしは、己を育てるものは己のみ、と考えるものでございます。もちろん、恩師師匠先生先達上司等々との接触の中で、心中の触媒が反応するのはいうまでもない事でございます。
難しくいってますが、カンタンにいえば、男はオンナに磨かれ、女はオトコを踏み台にして育つということでございます。
自己満足は、この「成長のための反応」をみずから放棄しているのでございます。
「己を育てるものは己のみ」と申しましたのは、反応するものをまず自分で持ってないと成長しようがないからでございます。
考えてください、恩師師匠先生先達上司いい男いい女、彼らに携わった人すべてが成長しているわけではないのでございます。
いい人だけどクソ女房の場合もありまして、わたしはこの人からいい影響を受けて尊敬さえしてるのに、彼に一番近い女房がそうでないのですから、成長のキッカケとはどこに潜んでいるかわからない、人それぞれである事を如実に語っていると考える次第でございます。
自己満足で成長反応を閉じてしまうと、どんどん伸びる機会、それも機会の絶対数を失うのでございます。
三日遭わざれば括目して見るべし、と申します。人は、機会と機縁と出会いがあれば三日で変わってしまうものでございます。恋せし乙女とオクサマ方の顔を較べてなさいまし。あんなに。。。
数ある人間の悪徳のなかで、自己満足は嫉妬に次ぐ危険性を持つのでございます。
十分気をつけていただきたく思うわたくしでございます。

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