さあやるぞ、という意気込みは買うのでございます。
その前にやることが有るのでございます。
それは「しおり」でもはさんどけ、ということでございます。
ゴールを設定せずに走り出すな、ということでございます。
「今日はここまで」を意味するしおり・紙切れを、勉強前に指しあたりはさんでおくのでございます。
テキストや問題集の今日分のノルマページにはさんでからのお勉強でございます。
人間、哀しいもので目に見えるものしか実感が湧かないのでございます。
忠犬のハチ公は、目前で主人の死の目にあえなぬからこそ、いつまでも尾をフリフリ駅の前で待ち続けたのでございます。
畜生の愚かさ、と笑えるでしょうか?
わたくしたちも、目に見えるものしか確かな実感を持ちえないのでございます。
上司がいなければ仕事に身が入らぬものでございます。えらそうにいう上司の上司も同様でございます。専務いなけりゃ仕事せず、社長いなけりゃ仕事せず、カカアいなけりゃ仕事せずでございます。
マラソンで、テープも張られておらず線も引かれていないゴールにランナーがのろのろと走ってきて、どう感動せよというのでしょう。
とりあえずアレだ約40キロくらい走るっぽいのがマラソン、だとしたら、見るほう走るほうみんなダレダレするものでございましょう。
まだまだ他にもございます。
愛しているといって何もあげずば、彼女は去るものでございます。贈り物をくれる人が素敵なのは古往今来、変わらない真理でございます。目に見えるものしか、愛は示せないのでございます。哀れ愛。
さて、ベンキョ噺。
まずはテキスト・問題集に、今日はここまでのしおりを挟むことでございます。
テキストを読むたびに、問題集の一問が終わるたびに、しおりに近づく事と相成ります。
読むたび解くたび、勝利と終了のファンファーレの近づきを実感できることでしょう。
終わりがあるからこそ、集中してテキパキ取り組めるのです。段取りの悪いアレな上司は、ゴールを設定しないから士気がガタ落ち、指揮の能力を疑われて陰口を叩かれるのでございます。
まずは目標となりうる終わりの目印からでございます。
今はキレイな花柄のしおりも、100円ショップで売られし時代でございます。
ちなみにわたくしは、「山田養蜂場」の蓮華とミツバチの絵柄で、ムラサキと黄色が配色されたしおりを愛用しているものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月13日 8:46 PM |
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春は眠いものでございます。コレは仕方のないことでございます。
春の寝床は、完全に調和の取れた世界でございます。これ以上のものはない心地よさでございます。
暑くもなく寒くもなく、汗ばむこともなくカラダを縮こますこともなく、身体全体のノビノビ感がたまらないものでございます。
何度もいってますが春眠いのは、わたくしの持論「冬毛夏毛の理屈」であろうと考えるものでございます。
スズメ文鳥ジュウシマツ、野良犬ノラネコ野の獣たちに、冬の毛と夏の毛が有るように、わたくしたち「ヒト」にも、冬細胞・夏細胞があってしかるべきであろう、春はその入れ替え時期なのではないかという小理屈でございます。
ですから、身体の細胞が急ピッチで入れ替わり中で、己の思った以上カラダは疲労していると、であるから眠くなるのであると、眠くなるのはおしっこ・大きな方、飢え、のどの渇きといった生理現象のひとつである、であるから従うのが生命体として・動物として得策であろう、というわけでございます。
まあ、ハッキリいえば、春の惰眠を正当化する屁理屈でございます。
簡単にいえば、春は眠いのだから無理をせず、おさらい復習に勉強の主を移してみてはいかがですか?ということでございます。
先へ進む勉強は、作業の強度も高くアタマを使うものでございます。それなのに、春の暖気に誘われてボーとしたアタマでは、成果が出ないものでございます。
対して復習作業は、かつて一度はやったトコ、作業強度は控えめでアタマの疲労も少なかろう、ボーとしててもできるだろう、なあに寝転んでやればよい、というわけ。ウトウトするのも仕方なし。
残念ですが、無理が効く人効かない人がございます。効く世代効かない世代がございます。他の人はアレだからと安易にがんばると必ず揺り戻しが有るものでございます。
5月にはGWもございます。そのとき取り戻せばいいだけの話しですから、この時期はあまり無理をなさらず進めるべしと申し上げる次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月12日 10:12 AM |
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落ち込むと、すべてがムダに感じるものでございます。
コレまでやったことすべてが、意味なく無常に感じるのでございます。
ハッキリいえば、気は心でございまして、たいがいの事は一晩グッスリ眠ればケロリとするものでございます。
それなのに、アレヤコレやを引き連るからこそ、ずうっと気が晴れない思いをしなければならないのでございます。
気は心と申しました、ですのでまずは「気」を変えないと何も変わらないのでございます。
何にも変えないで、気が晴れない、先が見えないとブツクサいう御仁が多いのでございます。
貯金を崩して旨い鮨をたべれば、奮発して鉄板焼き,鼻をくすぐる芳香に包まれば、たいがい変わる「気」分なのに、相も変わらずコンビニ飯やファミレス、中食で済ます人が多いのでございます。夕食前のスーパーの群れをみよ。
気分によって、心は変わるものでございます。
かのルネサンスの偉人ダヴィンチも料理は自炊、芳しきハーブやオリブオイルを多用したと聞きます。匂えば気分は変わります、味わえば気分は変わります、それなのに、何も変えずにそのままの人が多いのでございます。わたくしたちはもっと複雑で、故の文化でございますよ。呑む酒ぐらい変えてみよ、高々数千円ではないか。
ムダや徒労というのは、そう感じているだけ、そう見えているだけでございます。
そうさしむるは、「気分」であるとご留意いただければと存じます。
そして気分を変えることができるのは、自分だけでございます。気分を変える方法を知るのは自分だけなのでございます。
他人の言うアレヤコレやに惑わされずに、シックリ来る気分転換を取り入れるべきなのでございます。
気分転換は、忘れがちながらも勉強の真理でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月11日 4:22 PM |
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