独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

パブロフの音

要は、条件反射にしておくのでございます。
フライパンを暖めている間にトーストを焼き、卵を焼く間にお湯を沸かしてスウプの用意をするのでございます。朝ごはんは大半が条件反射で出来上がるものでございます。
習慣というのは、条件に反応することでございます。
あーしたらこーするだけでございます。
お勉強というのはその名のとおり、強いるものでございますから、どうしても習慣になりがたいものでございます。
机前に座って即断に作業にかかるというのは、脂ののる中盤以降でして、序盤はやはりウンタラウンタラするものでございます。
ああ、なんて集中力のないわたくしなのでせう、と嘆く前に何かで条件反射化するのがよいのでございます。
勉強のとっかかりに適切なのは、なんといっても音楽でございます。
勉強のときの音楽を決めておき、気が進まずともかけたらやる、という風に決めておくのでございます。
実は、このススメを書く前は、シチメンドクサイのでございます。夕食の後でしたら、それこそ眠たくて食後睡眠極楽コースにいざなわれてしまうのでございます。
とはいえ、毎日こう続けてられるのは、やはり音楽の力でございます。やろうかなぁ〜程度の気分のときに「マイミュージック」にて適当に選曲して流すのでございます。
音に耳を委ねていると、よっぽど疲れているか、よっぽどご飯をはらいっぱい食べない限り、スムーズに作業に入れるのでございます。音楽が続けられている秘密でありましょう。
とはいえ、なんでも音楽ならよいというわけでもありません。邪魔にならない選曲が大切でございます。
気分が入り込んでしまうバラードやロックなどは避けるべきでございます。一番いけないのは落語、毎度古いお噺を聞いてもらいます、と米朝師匠に来られたらテキストなど読んでおられません。
穏当なのはクラッシックで、一番邪魔にならないのはモーツァルトでございましょう。邪魔にならないし気が散らない、しかしときに耳を澄ますと気分転換になるという、まったき室内曲が多いのでございます。
1万そこそこあれば携帯プレイヤーが手に入る時代。
無理矢理イヤイヤ、気合を入れて勉強を始めるより、曲に身を任せて入っていくのも優雅なスタイルだと思うのでございます。

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言葉は佞者のもと

「お前はことわざで生きているのか?」といいたくなるものでございます。
口だけでアーダコーダいう人のことでございます。
孔子様は、自分で本気にもしていない正論を吐く者を最も憎む、とおっしゃいました。
(子曰く、この故にかの佞者を悪む(にくむ)と。−先進編
耳のここちのよい言葉、反論できない正義の言葉、自分自身で言うためになる言葉は、裏を取ってからでないと危険でございます。
そっくり自分をだましてしまうからでございます。
ウィル・スミス親子主演「しあわせのかたち」という映画がございます。「まさか、そんなものがあるのかしらん?」とフラフラ題名だけに魅かれたわたくしでございます。
この映画、まさにわたくしような独り身で不幸せな人を引きよせる誘蛾灯タイトルでございます。まさに世はタイトルのみ。
結論からいえば、この映画はクソでございまして、「自己愛のかたち」にでもしとけよ、と配給のソニーピクチャーに毒づきながら帰ったのは言うまでもありません。
ま、黒澤明監督は、どんな映画でもいいところがあるといってましたので、「配給がソニーのときは要注意」「タイトルに惹かれたときは要注意」という格言を血を流して得たわたくしでございます。
そもそも、しあわせに形などないと思っているのに、なに期待してんだか、と己を欺きし自分を酒の肴にしたものでございます。
とまれ、今シックリ来る言葉の逆を追うべきなのでございます。
「がんばろう」なら、「がんばらない」を考察してこそ、意味を持つのでございます。
「がんばらないで済ますには」などなど、アレコレ考えるうちに皮膚感覚の持てる言葉にたどり着くのでございます。
「ガンバロウガンバロウ」なんて題目を唱えるのら、法蓮華経と唱えておくべし、といいたいのでございます。功徳はタップリと保証してくれます。
真理は今の言葉の逆でございます。裏を取ってこそ、突破点を見出すのでございます。
経費削減といわれたら、どこの経費を上げればよいかを、つまりどこに更にお金をかければいいかを、人は考えたほうがトクなのでございます。

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コアな15分

15分という時間は、短いながらも多くのことができてしまうものでございます。
お米を研いで御飯の用意ができます、肴が一品できます、きゅうりの酢味噌和えくらいはできます。
洗濯物もたためるし、クリーニングの手配もできます。アレでアレな確認の電話や報告、企画書のネタ集めから報告書の下書きまで、やろうと思えばできるのでございます。
わたくしたちに必要なのは、「やろう」という気持ちだけなのでございます。
やってみたらだいたい15分でカタが付くものでございます。完遂できなくても、見通しくらいは立つものでございます。まあ1週間くらいかかるかな。
お勉強も同様でございまして、結局はやろうという気持ちだけなのでございます。
お勉強で億劫の代表は復習でございます。見直すつうのは、やはりめんどくさいものでございます。
見たことのあるものを見返すのは絶対的にめんどくさい。再読の価値なきダメ小説、昔の若いときの日記を読むようなけだるさがあるものでございます。
復習が根付くまでが、お勉強は大変なのでございます。
根付かない人は、多くの時間を割かず15分だけ集中を保たせる決意で臨むとよいのでございます。
復習でのちのちに血肉となるのは、計ってみれば平均15分弱の作業で、残りの時間は記憶をなぞっていたりするだけが多いのでございます。集中した15分の作業で、その他の多くの作業が成り立っていくと思うのでございます。
15分できるようになって5分づつ伸ばしていき、最後には2時間3時間の過去問の一気学習ができるようになるのでございます。
15分だけ、重要なことだけやろう、という限定された気持ちが、ちょっとだけ耐える忍耐力を生み続けるのでございます。

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