実際のところ、記憶というのは自然現象の面がありまして、本人がいくら憶えようとしてもそうはいかず、偶然的に偶発的に気づいたら憶えていた、ということが多数上るのでございます。
ある事柄は、一度か二度読んだだけで、高野豆腐にだし汁が染み込むように憶えられたのに、かたや何回何度も見聞きし何度何回書いても忘れるものがあるのでございます。
こうなった場合、無理やりの暗記・記憶は避けるべきなのでございます。今やっている暗記行為には、何かが足りないと思うようにしてほしいのでございます。
というのも、無理やりな暗記作業というのは、コストが高いのでございます。わたくしたちが支払うコスト、代償というのはやはり、時間でございます。
無理を効かせれば道理が引っ込むのは、世の真実かくの如きでございます。
無理やりゴリ押しの暗記作業を続けると、どこぞでプツンと糸切れて、勉強が止まってしまうのでございます。
そうならないために、要は、重要性の実感があるかということでございます。
何回やっても忘れる、しかしこの公式・定理・表・リストを憶えさえすれば、1点取れる稼げるというの実感が作業の背後にあるのか?というわけでございます。
問題演習・過去問演習にて、その重要性・頻出具合、高利回り性を肌で知っているかというわけでございます。
これさえやれば1点取れる、問題を優位に解ける、解答時間を短くできるなどのメリットの把握ができているかでございます。
単に重要である(らしい)、程度では何の実感もないのと同じでありまして、実感なき無理やり暗記ほど空虚なものはありません。
人間、必要でない事は必ず忘れるのでございます。必要性をどれだけ積み重ねたかで、記憶の成功率は変わってくるのでございます。
思いがあるからこそ、無理が活きてくるのでございます。
遮二無二に突撃するかのような暗記はつと、避けるべきでございます。
どうしてこれを憶えなきゃいけないのか?と心中を探ってからの「暗記」でございます。
あなたの誕生日を忘れるのも、なんたらの記念日を忘れるのも、必要がないからでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月14日 9:19 AM |
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ときにお勉強は、ぐちゃぐちゃになってしまうものでございます。
自分がどこがわかって、どこがわからないのか、その境目でさえわからなくなることがあるのでございます。愛が先なのか恋ありきなのか、これでいいのか。
用語や語句が、混同・混用され、ますます混乱に拍手を掛けている方もございましょう。アタマの中は難しい専門用語がグルグル回りだします。酔ってないのに。
複雑で細目な迷路に迷い込むときもありましょう。ナンダこれはという日本語と格闘しつつ無力感・脱力感を味わうことでございましょう。
あれやこれやとアタマの中で論理や倫理をこねくり回していることでしょう。
努力の効果が見えてこない、自分のやっている実感が湧かなくなったときには、フト、やってるんだけどなぁ、という思いが募るものでございます。
ハッキリ申しますと、こうなったら一端、白紙に戻すのがよいのでございます。
もちろん、これまでやったことはリセットされてしまいます。もったいないなぁとの思いが強いことでしょう。
白黒つけていけばいいのでございます。最初からページを開いて、「ここはわかる、ここもわかる。。。」と確認していけばいいのでございます。
そして、必ず遭うだろう「微妙」「よくわからない」「暗黒」「苦手」というグレーゾーンを探しあてるのでございます。
探し当てたらあとは、丹念に見直してやり直しすればいいのでございます。
白紙に戻すのは、勇気の要ることでございます。後ろ髪引かれるものでございます。
しかし、遠回りに見えて、これが一番近道であるのです。
ワカラナイにワカラナイを重ねる、といいますとヘンな言い様ですが、本人は到ってまじめに、解決を捜し求めているのでございます。
しかし事は反して、当の本人がどんどんわからなくしているのであります。
わたくしたちに必要なのは、ちょっとした勇気なのでございます。
そして、徒労をガマンする気持ちでございます。
「うーん、わからん、けど、もう一回」でやり直していけばいいのでございます。
勉強というのは、いくらでもやり直すことができるのでございます。これは特権ではありませんか?
「こんなもんどうってことない、1週間もあれば直せるやん」というものが、お勉強の大半でございます。
隣でグウグウ寝ている人をフト眺めれば、やり直し可能の価値がいかほどにでもわかるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月11日 11:59 AM |
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「100回やって愚痴ろう」というのが、先だってのススメの趣旨でございます。
100回やるといっても、適当にやるのではございません。「たくさんやれ」という曖昧な意味での「100」ではないのでございます。
やるからには、キッチリ「100回」やってしまうのでございます。
キッチリした100回をこなすには、演習量を数えておかなければなりません。
人間、哀しいもので、キチンと勘定のできない生き物でございます。
30回、40回あたりで、もういいかな、という甘い罠に陥るのでございます。おそらく、あとあとでやり直すハメに陥ることでしょう。
100回といえば、100回なのでございます。100までいってようやく意味が生じるのでございます。
その途中でやめてしまえば、それまでの量は「ゼロ」になるなのでございます。
途中でやめないためには、「正」という文字でも書きつけておけばよいのでございます。「正」の「一」を100回分として、「正正」となるまで数をこなすのでございます。
「正」という目指すべき、目に見えるものがあるからこその、100回演習なのでございます。
このような些細なとっかかりが、続ける工夫なのでございます。
100回と聞くと、初耳の人は物凄く多そうに思うことでしょうが、案外少ないのでございます。
なあに、1日10回のペース、朝昼晩の3.3.4で10日過ぎれば、計100回の演習はなるのでございます。
テキスト5ページ、問題数問であれば、15分もあれば3回転はできるものでございます。忙しそうなときなど高回転して一気に10回やることもあるでしょう。
小分けしていけば、取るに足らないものになって作業できるのでございます。
目指すは、「正」に一文字書き足すこと。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月10日 9:20 AM |
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