単色の世界というのは、眠くなるものでございます。
特に黒と白の世界というのは、それだけでわたくしたちを眠りの世界へいざなうのでございます。
お勉強が眠いのは、その色彩でございます。
テキストを開き読めば、目に入る色のほとんどは、白か黒。ページ背景白色に文字のインクの黒い色。変化といえば、太文字ゴシック。ときに赤文字、赤ゴシックの文字変化が関の山でございます。
テキストの存在自体が眠気の元でございます。強力に眠らせてくれるのでございます。
人は知覚をどうこうと、できるものではありませんから、見たものを見たまんま感じるのでございます。
ZZZ〜は、勉強のおいていた仕方のないものでございます。
しかし、眠いからといって寝ちゃうわけにも行かないのでございます。やはあり作業日課スケジュールやノルマは果たさねば、明日から辛いしメンドクサイ。
わたくしごとをいいますと、先日電車の中で、ある資格のテキストを開きコマギレ勉強をなさる年配の方を見たのでございます。
その御仁、テキストを神聖不可侵、犯すべからずと考えているのでしょう、なんにも書かず引かず、ほんのときたま、万年筆でメモを取るといった塩梅でございます。
驚きを禁じえませんでした。というのも、わたくしは、アンダーラインなきお勉強など考えられないからでございます。といいますか、まずその年配のおじさんに聞きたいのは、眠たくならないのか?ということです。
赤ペンや赤鉛筆を手にして本を読むのは、眠くならないためでございます。重要と思う箇所を赤線で引くことで、目と脳と指に刺激を与え、眠気を防止しているのでございます。
テレビや雑誌が色とりどりなのは、眠くならない配慮からでございます。目は、本当にものをいうのです。
お勉強も同様でございましょう、じーーと白黒の字ずらを追えば、眠くなるのは生理現象です。
ですから、アンダーラインを引き読みしつつ、目の刺激とともに時間を過ごすのでございます。
ちょっとの工夫とコストで、眠気は防止できるのでございます。
さきほどの電車おっさんでいえば、三色ボールペンくらい買ってやりなさいよと、言いたいのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月16日 3:49 PM |
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いつもいつも同じペースで、お勉強はできないものでございます。
難易度とは、勾配のようなものでして、ときに緩やかに、またあるときはぐっと息も絶え絶えのきつさになるものでございます。
テキストは、私たちの調子に合わせてくれるものではありません。
フンフン〜♪と鼻歌歌いながらのペースだったのに、ページをめくれば途端に、ヘビー級の難易度が待っていることなど、日常茶飯事なのでございます。玄関開けたらそこにハンセンでございます。ウィーw
テキストもテキストで、難しくなるのなら、ひとことでもその旨言ってくれれば、こちらも心準備ができるのに、何の前触れ前兆もなくヘビー級難易度のリングにのせるのでございますから、たまったものではありません。
ヘビー級なのですから、しっかりした心意気で、粗漏なくやっていかないとスグに??になるものでございます。
これまでどおりの調子やペースで進めてしまうと、投入する努力はタマゴを壁に投げつける結果になるのでございます。
潮が変わるかのような、難易度の変化に気づくことでございます。
勢いという言葉がございます。勢い乗る、勢いに乗じて、などと申します。
何度やってもできない箇所、理解の至らない箇所、憶えられない箇所は、この『勢い』を以ってしか突破できないときがあるのです。
集中力を高めた調子のよいときでないと、スンナリいけないところが、厳然として存在するのでございます。
自分でも苦手である、しかし頻出であるため避けるわけにはゆかない、であるからやらばねならないと、コツコツ時間を取って作業をしてみるのですが、さほど芳しい結果が見えないときなどは、ベースとなる集中力が足りないのでございます。
80キロのスピードで走らねば突破できないところを、標準スピードの60キロで行っているからでございます。
通常の勉強の調子では、突破できないのでございます。フル回転、フルスイングできる状態でしか「理解」できないもの、憶えられないものがあるのでございます。
調子のよいときにやるべきの、そういう単元科目節部分があるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月15日 3:47 PM |
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実際のところ、記憶というのは自然現象の面がありまして、本人がいくら憶えようとしてもそうはいかず、偶然的に偶発的に気づいたら憶えていた、ということが多数上るのでございます。
ある事柄は、一度か二度読んだだけで、高野豆腐にだし汁が染み込むように憶えられたのに、かたや何回何度も見聞きし何度何回書いても忘れるものがあるのでございます。
こうなった場合、無理やりの暗記・記憶は避けるべきなのでございます。今やっている暗記行為には、何かが足りないと思うようにしてほしいのでございます。
というのも、無理やりな暗記作業というのは、コストが高いのでございます。わたくしたちが支払うコスト、代償というのはやはり、時間でございます。
無理を効かせれば道理が引っ込むのは、世の真実かくの如きでございます。
無理やりゴリ押しの暗記作業を続けると、どこぞでプツンと糸切れて、勉強が止まってしまうのでございます。
そうならないために、要は、重要性の実感があるかということでございます。
何回やっても忘れる、しかしこの公式・定理・表・リストを憶えさえすれば、1点取れる稼げるというの実感が作業の背後にあるのか?というわけでございます。
問題演習・過去問演習にて、その重要性・頻出具合、高利回り性を肌で知っているかというわけでございます。
これさえやれば1点取れる、問題を優位に解ける、解答時間を短くできるなどのメリットの把握ができているかでございます。
単に重要である(らしい)、程度では何の実感もないのと同じでありまして、実感なき無理やり暗記ほど空虚なものはありません。
人間、必要でない事は必ず忘れるのでございます。必要性をどれだけ積み重ねたかで、記憶の成功率は変わってくるのでございます。
思いがあるからこそ、無理が活きてくるのでございます。
遮二無二に突撃するかのような暗記はつと、避けるべきでございます。
どうしてこれを憶えなきゃいけないのか?と心中を探ってからの「暗記」でございます。
あなたの誕生日を忘れるのも、なんたらの記念日を忘れるのも、必要がないからでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年5月14日 9:19 AM |
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