独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

アンチエイジング

間違いなんて気にするな、失敗なんて気にするな、と申します。それは、そのとおりなのです。
勉強中は、やはり気分が大切でございまして、「ああ、間違ってもうた」と気落ちしてやり続けるよりかは、「なあに、次からは点数にしてやるさ」と思ってみるが、トクだからでございます。
作業内容・作業量、ともに変わってくるものでございます。
とはいえ、人の子、木の股から生まれたものではありませんので、気にしないようにしても、実質には凹んでいるものでございます。
究極、気にするな・気にしないというのは、理想論でございます。時々、気にならないくらいでして、大半は、なーんだかウジウジしちゃうのも、致し方のないことかと存じます。
そうこういう人だって、本当の事をいえば、間違ったり、忘れたり、わからない、できないままだとウンザリしているものでございます。
見るのもイヤになる時だってあるでしょう。
わたくしも、いまペン字の練習で悪筆と格闘している最中なのですが、気づけばミミズの盆踊り、1年掛けて練習しているも泥鰌がのんびり泳いでいる字なのでございます。
ノートなんか見直したらうんざり、全く進歩がないではないかと、ウンザリ。封筒一枚、ハガキ一枚、満足の行くものが書けないのでございます。
とはいえ、コレまでの経験を振り返りますと、こういう大きい壁に対して、どーしたらいいじゃろうかのう、と探求するのが、後々効いて来たのでございます。
どうしてそうなるのか、どうしてそうなっちゃうのか、簡単にいかないことほど、腰を落ち着けてやっていこうと思う今日この頃でございます。
大げさですが、こういう勉強のイヤ感・成長への抵抗感が、さらなる興味好奇心へ繋がり、生きることの老けの予防になるのだと考えているところでございます。
そういうことなんだろうな、と自問しつつもうちっときれいな字、うなぎ文字くらいになりたいわたくしでございます。

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問題のうまみ

問題というのは、すべてが同じではないのでございます。
問題によってランクがあるように、等しく同じ調子で問題は出されないのでございます。
たとえば、捨て問の存在がございます。誰にも解けないように重箱の隅をつついた問題でございます。
この種の問題のときは、一瞥して適当にマークして気分を切り替えて、次も問題に当たるのが「正解」なのでございます。
捨て問にアレコレ時間を使わせ、その他の問題を解くのを邪魔するのが、出題の真意なのでございます。点数の有無は関係なく、引っ掛からなければよいのでございます。
そのほかにも例えば、確認だけの問題というのもありますし、問題集でそれにあたったときは、ぱっぱと解法なリ解説なり、解き方を確認しておけばよいのでございます。
そしてもちろん、悪問あれば、何度も解く価値のある、良い問題もあるのでございます。
価値のある問題は、何度解くべき問題でございます。この問題を解くことで、試験に必要な重要事項や頻出事項、出題のパターンなどが汲み取れる問題でございます。
問題には、「ウマイ問題」とまずいそれがあるのでございます。
ウマイまずい、いわずに食うというのは、お食事だけ、奥方の御料理だけでよいでしょう、たとえそれがまずくてもウマイというのが、本道。いわないとさらにひどくなるのです、それで上々なのです。
っと、問題にはウマイのとまずいのとがあります。わたくしたちには、時間が余りありませんから、まずはウマイ問題だけを解いていけばいいのでございます。
問題集・過去問に限らず、全部を満遍なくやるのは、結果的にそうなっていればよいだけでございます。最終的に解いておけばよいのでございます。
まずはおいしいものだけ頂いて、あとでまずいものに箸をつけても全く遅くないことをここに断言しておきます。

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さらにのんきに

「わからないなぁ」と嘆く事は、お勉強の日常でございます。
試験は暗記と記憶が勝負ですが、理解できたものでないと憶えられないものでございます。力づく出憶えるというのは、直前期の1ヶ月くらいしか効能がないものでございます。
無理やりの棒暗記丸暗記はなにしろ、効率が悪い。憶え難いし忘れるし、徒労ばかりがオチでございます。
お勉強とは、やはり、理解重視で行くべきなのでございます。安定的に勉強の成果を積み上げることができるからでございます。
理解重視といいながら、さて困るのは、「わからない」事をどうするかでございます。力づくの丸暗記なら、わかるワカラナイも飲み込んでしまえばいいのですが、それだと忘れてしまう。
それでは、理解重視、しかし、わからない、、、とループしていくのでございます。
「わからない」には特効薬がございません。
無理やり考えるのでなく、ちょっと待ってみましょうというわけでございます。
うーーんと首をひねっても、わからないのです。
わからないに遭遇したら、こみかめをぎゅっと手のひらでおさえて、ごしごしこする位の余裕と間が欲しいものでございます。
目の周りをなぞってみるのもようございます。目の疲れも取れるので、わたくし、よくやっております。
鼻筋に沿って、ごしごしマッサージをすると、鼻の奥からすっきりする感じがします。
忘れてはいけないのが、首の付け根。重い頭を支えているのは、首の筋肉でございまして、疲労するものでございます。
ネコを撫でるかのように、首をもみもみすると、これまたスッと肩の荷がおりる感を得れるかと存じます。
わからない、のは、そのくらいの間を持って考え初めても遅くないのでございます。
ワカラナイの最たる原因が、即反応だからでございます。
「あ!わからん!」となりだすところで、思考の糸はグルグル巻きにこんがらがっていると思し召されたく存じます。そのまま進んでも、混沌に輪をかけるだけ。
ちょっと間と余裕を持っても、別段、悪影響はございません。
今は本試験でもないのですから、気負いこむことなんてないのです。
気負うとさらに、見落としや前提を取りこぼし、さらに事態が悪化するのでございます。
わからないには、さらにノンキに、でございます。

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