独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

勉強服

夏が近づいてまいりました。
日中、カラダを縛ってきたスーツを脱ぎ捨てたときの開放感はたまらないものでございます。
少しでも細くみせようと締めたベルトを緩めたときの開放感は、ホトホト、気持ちのよいものでございます。
硬い革靴を脱ぎ捨てたときの爽快感も無上でございます。
服装と気分は、深い関係がございます。
今回のススメは、お勉強中の服装をどうすればよいか、について考えたく存じます。
大半の人は、ラフな格好で机に向かっている事と存じます。
家に帰ってまで、いまさらカラダを締め付けたくないというのは、よくわかるものでございます。
多くの人が緩めのジャージ姿でのお勉強かと存じます。
簡単に申しますと、ベルトのススメでございます。
わたくしは、あるキッカケでジャージを捨てた者でございます。パジャマ姿でのお勉強を放棄した者でございます。
というのもベルトをしめるには、意外な副効果があると聞いたからでございます。
ベルトの位置は、臍下丹田の間近とのこと。ベルトは丹田のツボを刺激し、気持ちを引き締め、集中力アップの一助に役立っているのでございます。
それだけなら、わたくしはもともとが疑い深い性質でございます。「フーン」で終わったことでしょう。
しかしベルトには、腹筋刺激作用があると聞いたのでございます。
ベルトを締める事は、腹筋への刺激になっており、これ以上おなかが出ないようにしているのです。
ナルホド!と唸ったわたくしでございます。「ベルトを締めれば、腹筋引き締め効果と勉強効果もあるのか」と。
それ以降は、家に居るとはいえ、キチンとしたズボンなりジーンズなりをはき、ベルトを締めるようになったわたくしでございます。ジャージなど、腹筋の前に投げ捨てられてのでございます。
あれほど愛用していたジャージの下もいまやたんすの中で眠っております。
基本的に服装なんてどうでもよいものではございますが、ベルト着用だと意外に腰を落ち着けて机に向かえるようになったかしらん、と思うわたくしでございます。
おなかが気になるような方は、ゆるゆるのジャージは脱いで、キチンとしたベルト付ズボンに着替えるようお勧め致します。
気持ちも引き締め、お腹を引き締め、これ以上無様なおなかにならないように、ベルトで一石二鳥を狙いたいものでございます。

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形から

わたくしたちの文化には、「形から入る」という言がございます。
お茶やお花のオケイコから、剣道・柔道、空手の武道まで、「型」というものがございます。
うまくいったものでございます。
とりあえず「型」にさえ自分をあてはめていけば、多少見れたものになる、上達するという意味が、「型」にはございます。
これをお勉強に応用すると、やるやらないは別にして、「やる形」に自分をもっていき、抵抗少なく作業に当たろうとするやり方が生まれるのでございます。
とりあえずお勉強に取り組む姿勢にさえなれば何とかなる、とぐうたらな輩にとっては、真理のお言葉でございます。
机の上を片付けて、背筋を伸ばしてペンをとり、テキスト開いて読んでいけば、形だけでもお勉強になるものでございます。
気乗りがしない、ほかにしたいことがある、まあそうであってもとりあえずペンとテキストを前にしたら、30分程度の勉強はできるものでございます。
実はこの「ススメ」はとりあえず、メモ帳を開くことから書き始めるのでございます。ネタがなくても。
やらなあかんなぁとグウタラグウダラ、テレビをつけながら、肘をつきながら、片膝を立てながらのお勉強では、形とはいえないことでございましょう。
時間は食うは、進まないは、憶えないは、勉強それ自身の効能も怪しいものでございます。
まじめな姿勢、取り組む姿勢の形にさえなっていれば、なにかと進むものです。最低限度は進めれるわけでございます。
やりたくないナァと思っても、きりっとした姿勢で臨めば幾分かは進むもの。
気合を入れたり発奮するだけが、やる気を生むものではございません。
自然と自分をそのようにもっていく、という形から入るやり方もある、わたくしの戯言でございます。

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考えても仕方がない

抽象的な事を申しますが、ご了承願いたく存じます。
お勉強というのは、考えても仕方のない事実があるのでございます。
というのも、前提となる用語や語句、決まりごと、定義、公式などがシッカリ頭に根付いていないと、考えられないからでございます。
少なくとも、建設的な答えは得られない、と。
わたくしたちは、ある程度、知識を蓄えないと考えられないものでございます。
考えても考えても結果、「やっぱりわからないナァ」に至るのは、やはり知識というものが不足しているからと考える次第でございます。
知識は、思考のベースでございます。それが足りないうちは、どんなに考えても名案浮かばずでございましょう。
簡単にいえば、イーストも知らない人に、急にパンを作れてといっても無駄であろう、ということでございます。やっぱり膨らし粉くらいは知っておかないと。
「考える」それ自身単独では、あまり詮がないのでございます。
それでは、憶えてから考える、というのはどうでしょうか。
しかし、それも上策ではありません。えんえんと無味乾燥なテキストを憶えるなんて、たまったもんじゃありません。
単純な暗記・記憶は時間がかかるし、味気のないものでございます。塩っけのないポテトサラダをえんえんと食べるが如きでございます。独学では、即、挫折に繋がることでしょう。
シッカリ憶えるには、理解が求められます。
理解には、ある程度の前提知識が必要、知識を得るには憶えるしかない。。。しかし憶えるには。。。とループしていくのでございます。
結局のところ、お勉強のベースが繰り返しというのは、わたくしたちは、考えつつ憶え、憶えた事を元手に更に考えて理解を深め、理解が深まったが故にもっとシッカリ憶える、という円環のおこないなのだと思うものでございます。
自分の壁にやみくもにぶち当たっても仕方のないことでございます。
考えてもワカラナイなら、必要となる知識をシッカリ憶えて再挑戦。
憶えられないなら、じっくり考えて記憶に努める。
相反するようですが、らせん状にわたくしたちの実力は伸びていくものと、考えるたものでございます。
恋は一直線ですが、愛は巡り深まると、飛躍するわたくしでございます。

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