何でも学ぶ上で大切なのは、楽しむ姿勢でございます。
楽しむ姿勢がないとスグにクソ詰まりするからでございます。
勉強というのは、ガマン・自己管理が大切でありますが、それだけではお勉強は続かないのでございます。
受験はガマン大会ではございません。ガマン大会なら、御結婚遊ばした方が最強でございます。食いしばる奥歯のちから、ギリギッリ。
さて、ガマンでは続かないのがお勉強でございます。
やはり、何らかの楽しみを見出さないと、とても最後まで行かないものでございます。
勉強の楽しみ、の最たるものといえば、やはりできる喜びでございます。
結局、できるから楽しく、そして続くのでございます。
逆に、できないだらけだと、つまらなく、結果、続かないのです。
独学では、問題演習を重視しております。というのも、問題演習は手軽にできる喜びを味わうことができるからでございます。
1回目はできなくても、2回目・3回目になればできるようになるものでございます。
きれいだね、といわれてさらに美しくなろうと、君が頼りだよ、といわれてますます発奮するのが人の世でございます。
できるようになりだすと、さらにできようとするためテキストを読んだり、解説をさらに追うといったように、学習にメリハリが生まれるのでございます。
テキストを読むばっかりだと、どこにも「できる」要素がないため、途端に挫折してしまうのでございます。
問題集を解くばっかりも、だんだん単調になりがちで飽きてしまうものでございます。
お勉強では、できるようになることが大切なのでございます。
「できるように」することが、お勉強の本質なのでございます。
どうしたらできるようになるか、の姿勢が楽しめる姿勢に繋がっていくのでございます。
語句の安易な暗記や、記述の理解のみを追うのは、危険でございます。それは楽しくないからでございます。
テキストにあたったり、問題集を解いたりと、相互にできる喜びはございます。
テキストの記述を追うことで、問題集で得た知識を整理整頓する喜び、問題集を解いて解ける喜び、あーそうなっていたのね、という知る喜びもありましょう。
お勉強が苦役のみに見えてきたら要注意でございます。
何らかの創意工夫が求められているのです。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年6月19日 7:57 PM |
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アタマがパニくる、と試験ではよくいわれます。
パニックの原因は、焦りでございます。
焦りが高じに高じると、パニックに進展します。
パニックの特徴は、意識の先走りでございます。
意識の先走りというのは、たとえていうなら、昼飯中にもう晩御飯の事を考えているようなものでございます。
目の前の食事に注意しないと、そら、ぽろぽろ物は落とすは、となりの人の水を飲むは、よそのおかずをつつくは、赤面の至りでございます。度が過ぎると、赤面より、気味悪がられます。
もちろん、食べている昼ごはんの味もわからず、今日昼飯食べたっけ?てな感じになるのでございます。
物事をなすには、最低限の集中というのが必要でございます。
問題を解く上では、やはり1問1問、集中しないと解けないものでございます。そういう風に、作られているのでございます。
「はやく解かなくちゃ」「嗚呼、もう時間がない」などなど、雑念に気を取られ、意識だけが先の問題に行ってしまえば、実際、問題文すら落ち着いて読めなくなるのでございます。
「類は友を呼ぶ」という諫言を忘れてはいけませぬ。
問題文をシッカリ読めないと、解答に手間取ります。すると、さらに焦りを呼び起し、更なるミスを生じさしめます。そう、焦りが焦りをもう既に、呼んでいるのでございます。
もう、パニックの萌芽が生まれています。あと2問3問、同じ事態が続けば、完全パニック状態へといたることでしょう。
最終的にパニックに包まれれば、その試験で挽回する事は難しくなります。どんなに落ち着こうとしても、その時間内では無理なのです。
大切なのはパニックにならないことです。ならないように、自分を律することです。
パニックになればしてやられたのです。
先へ先へ、意識が目の前から流れ始めたら、冊子を閉ることでございます。
まずいったん止めるのでございます。焦ってやった問題演習など点数にも実力にもつながりませぬ。
閉じたら3分ほど、深呼吸でございます。焦って馬鹿ミス、パニックになって全部を落とすより、貴重な3分を犠牲にして体勢を整えるのでございます。
パニックの前感触を憶えておきましょう。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年6月18日 3:13 PM |
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世の中には、あること・ないことが語られているのでございます。
情報は錯綜して、何が正しいのやらサッパリ見当がつかないことが多いのでございます。
情報と聞くときわたくしたちは、何かイイモノを念頭に浮かべるのですが、昨今では単に邪魔するものではないか、と思うようになったのでございます。
受験回数という数字がございます。この情報、役に立ちそうで役に立たないのでございます。
〇〇試験に合格したよーと聞いた時は、まず第一に「おめでとう」ということでございましょう。
「何回で?」とは面と向かって聞きにくいものでございます。水を差すようでございますし、己の心中の深いところに根ざすものを刺激しそうで怖いものでございます。
結局、生きた情報を入手しそこね、雑誌等のグラフ化され、データ化された数字を頼らざるを得なくなるのでございます。
しかし、平均の罠でございます。比較となるものがしっくり来ません。グラフを見れば、アーソデスカとしか思えません。考えようがない。
さきほどの生きた人の生きた情報なら、この人のこの生活環境などからアレコレ考えることができます。しかし、グラフだけなら考えようがない。全く背景がつかめない。
1回だと頭よく、2回だと普通で、3回だとバカ、えてして短絡的な考えになってしまうのでございます。正しいか正しくないかは横に置かれ、既成事実となっている数字がひとり歩きするものでございます。
情報に振り動かされない、やり方をずらさないようにすべきでございます。
馬鹿げた事を見たために、試験勉強がイヤになったりするものでございます。
情報の厄介な点は、発信者の問題がございます。そして、発信媒介の問題もあるのでございます。
せめて、受験勉強中は、情報は制限すべしと申し上げます。無駄なこと、意味のないことで、惑わされないようご配慮を申し上げます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年6月14日 11:45 AM |
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