独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

読書の難しさ

読書の難しさは、どういうものを読むかでございます。
新聞や雑誌というのは、「読んでもらえるように」作られておりますので、それほど読解力は必要としないのでございます。
大きな見出しや小見出しを上手に使うことで、新聞や雑誌は、読む前から記事の内容を読者に伝えております。
ですから、読む前に内容の大半はわかっているものなのでございます。電車の中吊りなど、それが顕著でございます。
知らないものを読む、というよりかは、詳しく確認する、詳細に知るのが、それらの読み方と申せましょう。
ですから、これらの類をたくさん読もうとも、読む力はつかないものでございます。
読解力は、単に読むだけでは身につかないからでございます。
読解力をつけるためには、やはり、それなりに考えた読書をしなければいけないのでございます。
ではどういう本を読めば、読解力の練習になるかといいますと、古典ミステリをオススメするものでございます。
数あるミステリ小説、推理小説の中でも、エラリー・クイーンやカーといった翻訳された作品をオススメするものでございます。
別段、日本人作家がよくないのではありません。実に作品は面白いのです。しかし、日本語として読ませてくれるので、読解力の訓練にはならないのが正味な話でございます。
当たり前なのですが、日本人作家でありますので、日本語は堪能です。ですから、すらりと読めてしまうのでございます。
作者の筆力が高く、非常によい日本語ゆえに、読者の読解力の練習を妨げていると申せましょう。
推理小説やサスペンスドラマを何百本をみても、推理能力や論理的思考がつかないのは、えてして作品の質が高いからでございます。
ま、主人公が必ず犯人を当てるから考えなくてもよい、というのはありますが。
さてでは、なぜ翻訳古典ミステリを推奨するのは、まず「翻訳」である点でございます。
翻訳調の文体なので、文章を正確に読まないと筋が分からなくなります。結果的に、丁寧に読んでしまうのでございます。
この点が日本人作家と違う点であります。日本人作家だと、すうっと目だけで読めてしまうのです。
翻訳古典ミステリは、目で読み流すわけにもいかず、そのためじっくり読むことになります。時々読み直さないと分からなくなることでしょう。
小説自体の内容がおもしろいので、こうした読み直しも苦になりません。
また犯人を推理したりトリックを考えつつ読むので、実にアタマが回転する読書になるのでございます。
読書の秋と申します。
古典ミステリで読解力の鍛え直しなどはどうかと思うわたくしでございます。

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読む力

試験勉強というのは、やはりテキストと問題集を相手にするものでございます。
無味乾燥なものでありますが、嫌味湿気のある上司や配偶者の顔を見るよりかはマシだわ、という人もおられるかと存じます。
資格試験は、えてして記憶量で決まると申しますが、問題はこの記憶なのでございます。
記憶は、どうしても理解度によって変わってくるのでございます。
単的にいえば、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」をそっくり憶えよといわれても、そっくりそのままでは時間がかかるのでございます。
多分、憶えられません。
そこで、観音さんが修行をしていたとき、といったように、文章の主語ー述語を分けたり、節をつけて読み上げるうちに理解にいたるわけでございます。
もとが理解できれば、グッと憶えやすくなるものでございます。
あまり語られませんが、読む力は記憶と密接に関係があるのでございます。
理解度に直結するからでございます。
丸暗記・クソ暗記は、力技でありまして、若いときだけ通用できる技なのでございます。
読解力は試験攻略の重要な要素であることにお気づきくださればと存じます。
当の本人の読解力が落ち込んでいれば、いくら世間一般がこのくらいでできるといっていても、時間はもっとかかるものでございます。
そしてこの読解力は、一朝一夕では身につきません。
一生懸命、試験勉強に打ち込んでも進まないようであったら、読解力の不足かと存じます。
古本屋か図書館に赴き、昔読んでいた小説などからリハビリをするがよいでしょう。
実は、読解力というのは、読んでもらうのを前提としている新聞や雑誌を読んでいてもつかないものでございまして、鍛えていないと予想以上に落ち込んでいるものでございます。
読む作業が円滑なると、お勉強が変わってまいります。
読むことも、お勉強でございます。

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一般

甘い言葉に弄されるのは、恋と色だけでよかろうと存じます。
恋や色の道以外では、だまされないようにしたいものでございます。
いや、単的に申しますと、恋と色だけにはだまされるが華なのでございます。
資格試験にはよく、「〇週間あればできるよ」とか「〇か月で可能」という、まことしやかな期間が語られるものでございます。
おそらく、一般人を想定しての数字でありましょうが、この「一般」ほどよくわからない概念もないのでございます。
試験業界での常識、それは「一般常識」が1番手ごわい、ということでございます。
一般常識や一般教養の試験科目が、最も難しいのでございます。
公務員試験はもとより、ほとんどの試験において専門科目は点差がつかないと申します。
こうした試験の合否の境は、実のところ、一般教養・一般常識でいくら点数できるか(失点しないか)にかかってくるのでございます。
ですから、〇〇試験と銘打たれていても、試験の主役は専門科目ではなく、常識科目に移っていることが多々なのでございます。
試験での一般とは、実にハイレベルな「一般」になっているものでございます。
「コレコレ」くらいでできる、といわれていても、当の本人にとっては「一般」と天と地の開きがあるものでございます。
一般を過信しないことでございます。
一般というのは、実際の「みんな」ではありません。
ごく特殊の、限定されたモデルであることを知っておくと、気楽になるものでございます。
まわりの数字をあまり気にすることなく、自分のできることを着実にこなしていけばよいのでございます。

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