悪問とは何か?と申しますと、まずいえるのは、わけのわからない出題でございます。
試験範囲の範疇でありますが、わけのわからない専門用語、事象、事柄について、綿々延々と穿り出す問題は、悪問と申せましょう。
まず、悪問かどうかの判断するには、「次に出そうか出そうでないか」という点でございます。
悪問は、次の試験で出そうか出そうでないかを考えてみて、やるかやらないかの判断を下さなければなりません。
簡単な判断例は、試験問題に毎年一定の数、悪問が出る場合でございます。
そうすると、悪問などは完全無視にして、他の問題で点を稼ぐべくして励めば良いのでございます。
受験生というのは、実に問題の利害に聡いものでして、難しい問題、時間のかかる問題は100%パスするものでございます。
問題文をちらりと読んで、「悪問」と思ったら、即飛ばしてしまえば、貴重な時間の確保にもなるものでございます。
出題者はおそらく、困らしてやろう、イヒヒという思いで出題したのでしょうが、実際の蓋を開けてみれば、ほとんどの受験生がマークはしているが、実質的には問題を少しも解いていないのでございます。
「悪問」は、実務上、それはそれで重要かもしれませんが、受験生たるわたしたちには、対応対策の手段がなく、あったとしても実に手間がかかったりして、費用対効果が悪いものでございます。
まじめな人は、それにひっかかってしまい、やらずでも良いことを自分から背負い込んでしまうのでございます。
少しは、「ワル」にならないといけないのでございます。
「悪問」対策は、実は無視することでございます。手を出さないことでございます。
あの人と付き合っちゃダメよ、という人はいるものでございます。悪問もその類なのでございます。
悪問かなと思ったらさっさと見切る度量が必要なのでございます。
先ほどの「〜という人」同様、係わり合いを持ってはいけないのでございます。
必ずあとあと不幸になるのでございます。できるだけ距離を取るのが、賢明な道でございます。
悪問も、男女関係同様、鼻を利かせて臨まなければならないのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年11月6日 11:00 AM |
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試験勉強には、「良問を何度も解く」「良問を何度も繰り返す」という鉄則がございます。
ですから、わたしたちは過去問を繰り返し、模試を繰り返したりするのでございます。
さて、では、良問とは何かといいますと、テキストレベルの事項をしっかり身につけていれば解ける問題でございます。
テキストに載っていることに準拠して、それを上手にむつかしく、応用的にこしらえた問題でございます。
このような良問は、それ1問でテキストの多くを参照せねばならず、実に良い勉強になるのでございます。
通常の問題の2倍3倍の効果があるのでございます。
この良問1問を解くには、テキストのあっちこっちをしっかり理解し、憶え、読んでおかないと解けないため、どうしてもテキストのしっかりした読み込みに繋がるからでございます。
良問は1問であっても、しっかり勉強し復習して自分のものにすると、いくつもの単元をものにできるという、至極費用対効果の高い問題なのでございます。
取るに足らない数人と付き合うよりも、光り輝く1人とのお付き合いの方が、人生に資するのとおなじき要領でございます。
やっすい量販店スーツより、多少高めの百貨店オーダーのスーツの方が、絶対に会議の口調も変わるのとおなじき理でございます。
さて、こうした良問を解いているときの特徴を申しますと、「お勉強が楽しい」ということが挙げられます。
すらすら解けるという感じと申しましょうか、しっかり実力がついていくという感じでしょうか、実にお勉強にハリができるのでございます。
「勉強しているなぁ〜」という感じに包まれるのでございます。
人間環境の動物でございまして、いい問題だといいお勉強に繋がるのでございます。
読書をお考えくださればと存じます。
いい本を読むとこちらまで、実に良い読書が出来、充実感を味わえるかと存じます。
わたくしは、良書を読んだときには、インスピレーションが湧くのか、この日々の雑文「独学でススメ」の筆も軽くなるものでございます。
逆に、腐った翻訳、読みにくい悪文、官僚臭ぷんぷんの本を読みますと、雑文を書くのも別人かのように筆が遅くなるのでございます。
いい勉強であるかどうかが、良問か否かの差なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年11月5日 10:52 AM |
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世の中の大半は習慣で出来上がっているのでございます。
要は、習慣となるまで続けれられるかどうかなのでございます。
たとえば、適度な運動、ストレッチがカラダに良いといわれ、実行しようと思います。
しかし、大概の人は長く続かないまま、次第にやることを忘れていくものでございます。
「やろう!」と思ってやるのは、実は、めんどくさいプロセスなのでございます。
「やろう!」と思うこと自体、何かほかのことをやっていて、それを断ち切って、新たな作業に入ることを意味していますから、意外に多くの要素が含まれているのでございます。
多くのプロセスを経るからこそ、考えるのがめんどくさくなり、最終的に放棄に到るのでございます。
ですから、もう、「やろう!」と思わないところまで、自分を持っていく必要があるのでございます。
逆にそこまで行けば、もうとんとん拍子、自動更新の類でございます。
習慣化するまでが重要なのでございます。
そして習慣化には、少しづつが大事なのでございます。
お勉強というのは、時給も報酬もない世界でございます。
お仕事は御給金がもらえますので、「がんばろう!」と一念すればできていくものでありますが、お勉強には、この「お金」という強いモチベーターがありません。
だいたいにおいて、お勉強で「がんばろう!」と思っても効かないものでございます。前提条件が、全く違っているのでございます。
ですから、お勉強においては、少しの時間、少しの量を増やしていくようにしないといけないのでございます。
突然、2時間、3時間の勉強時間を取っても、三日坊主が関の山でございます。
こう考えてくださればと存じます、お勉強とは劇薬であると。
少しづつ投薬する、何か副作用が出れば、間隔をあけるなどして、徐々にカラダに慣れさせるわけでございます。
少しづつコツコツと申しますが、実のところ、そうでないとお勉強はできない種の行動なのでございます。
多くをドッサリとやってみてください。1日にテキストを100ページ、数時間かけてガンガンに読み込んでみてください。問題集の問題をびっしびし、20問30問、解いてみてください。
そんな勉強を続けていたら、1ヵ月後には真夏の夜の夢の如く、お勉強の姿かたちもなくなることでしょう。
少しづつだから続いていくのでございます。続けば習慣となり、最終的に長い時間でたくさんのことをできるようになるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年11月2日 11:26 AM |
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