独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

腕振り体操効果報告−22

さて、今週も恒例となりました腕振り体操についての雑記でございます。
「バカは風邪を引かない」と申します。
この言が「真」であるなら、お勉強をしているわたくしたちは、多少とも頭が良くなって参りますので、風邪を引きやすくなってしまいます。
とにもかくにも、身体が資本であることを思い起こしてくださればと存じます。
疲労が蓄積されていれば、記憶の調子もよくはありません。
体調が崩れていれば、テキストの内容は頭に入っていきません。
睡眠不足なら、問題集の問題をしっかり演習することはできないことでありましょう。
そのなかでも、お勉強に影響が大なのは、風邪でございます。
不合格になった人のうち、5%くらいの人は、合格するに足る実力を有していながら、体調不良で残念な結果を享受していると忖度するものでございます。
これまでの努力を水泡に帰す、体調不良の筆頭が風邪であります。
体調と思考には密接に関係がございます。
風邪を引くと、まず本試験には落ちてしまうことをご理解頂ければと存じます。
さて、このわたくし、この数ヶ月は不調知らずでございます。
冬から春への季節の移り変わり時に、多少ぐったりもしましたが、それでも5日弱で元に戻るという、自己最短記録をマークしました。
これも、腕振り体操のおかげであると考える次第でございます。
明白に、身体に抵抗力がついてきたなと実感しております。
最近では、腕を振るリズムに注目してございます。というのも、ある本を読んだところ、テンポのよい一定のリズムは、身体の治療効果があることを知ったからでございます。
「リズム」の面から腕振り体操を見てみると、本当に単調な、一定のテンポで腕を振っていることがわかります。
その本によると、テンポよく身体を動かすとストレスの発散になるとのことでございます。
確かに、無心に腕を前後に振ってみると、運動はスッキリしていることかと存じます。
無用のストレスや意識できない圧迫感を、腕振り体操は解消しているのかしらんと、考えている今日この頃でございます。
本試験の1ヶ月前、1週間前からでも結構でございます。
だまされたと思って腕振り体操を実行してくださればと存じます。
結構いい感じかなあを実感しつつ、本試験前の体調調整を実行くださればと存じます。

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慎みや恥じらいが色気の時代もございました。飽きられないためには、現代においても未だ重要且つ効果的な技術かと存じます。
吉永小百合の演技や、小津安二郎の女優の使い方を見て研究するがよいでしょう。55くらいまで美しく見える技術がそこにございます。
人間というのは、単調なものにはすぐに飽きるようでございます。
多分に何か、複雑めいたこと、迷宮めいたこと、奥深いこと、隠されたものを求めていくのが、人の性のようでございます。
骨董の茶碗などは、最たるものでありましょう。
うわ薬のかすれ具合を目にして、その模様から想う風景や印象を味わうというのは、門外漢からすればナンノコッチャでございます。
しかし、最初はわからなくても、だんだんとお茶碗の模様に味わいを感じるようになるのでございます。
味わいという言葉は、意外な奥深さがございます。
以前には、思いもよらなかったことを意識できるようになったり、見た目だけで触れずに質感を味わえるようになったりするのが、「味わう」と申します。
しかし、味わえるようになるのは難しいといわれております。
正確さを期すのであれば、味わいを味わうというのは、困難というよりかは、「なかなか起きない可能性の低さ」をいうべきでありましょう。
楽しみ回路と申しますか、それが働かないと何事につけ、味わいというものは感じられないのでございます。
味わいを楽しむ回路が、つながるというか通じない限り、いうような楽しみを享受できないのでございます。
お勉強というのも、同様であるかと存じます。
お勉強のすべてに楽しみが絶無であるならば、おそらく歴史に淘汰されていたことでありましょう。
しかし、未だお勉強という行動様式が残っていることから考えてみますと、なかなかに味わえるものがある証左であるかと存じます。
わかる楽しみとでもいいましょうか、お勉強にある程度の量と時間を投入すれば、なにかと楽しめる要素を発見できるものでございます。
それを大切にすることでございます。
つまらん、めんどくさい、だるいと思うだけでは、お勉強の能率を自ら落としているだけで、無駄極まりありません。
それよりも、何かを楽しむ、味わう気持ちで臨むことでございます。
お勉強をしているといつの日か、「あ!」と回路がつながって、これまで見えなかったことが見えることが現出いたします。
そうすると、気合や精神力を入れないとできなかったお勉強の取り掛かりは改善され、力を抜いてさっとお勉強できたり、理解や記憶が進んでいくものでございます。
楽しめることや味わえることに、人は抵抗をあまり感じないものでございます。
そういう段階まで、自分を進めさせることができれば、ほぼ合格は目の前にあるかと存じます。

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今と先

今と先のふたつをバランスよく考えることでございます。
今と先の両者を踏まえて考えるほうが、単独で頭を捻るよりはるかに考えやすいものでございます。また、名案や突破点を見つける考え方でもございます。
たとえば、(わたしはどうしたらいんだ?)と現実だけ見つめて続けて頭を抱えて悩んでも、それほど解決には向かいません。
同じように、(わたしはどうなるんだ?)と将来のことだけを思い悩んでも、建設的な考えは浮かびません。
今と先をバランスよく考えると、たとえば「将来的には、〇〇という状態になっておきたいので、今はコレコレをしていこう」と確かで着実、前進的な思考ができるのでございます。
考えてみれば、こうした今と先を同時に考えるのは、日常生活に溢れています。
たとえば、第4水曜日は不燃ゴミの日だから押入れの掃除をしようとか、旅行に行くから必要なものを買い物しておこうなどと、いくらでも類似の考え方をしているものです。
お勉強にも、こうした普通の、毎日の生活で行っている考え方を応用でございます。
単純に「勉強をする」「勉強をしないと」と考えるよりも、「〜だから〜する(〜しよう)( 〜しておこう)」「〜のために〜する(〜しよう)( 〜しておこう)」「今は〜なので、〜する(〜しない)」と考えていくほうが、力強いものがございます。
人間、なかなか理由や意味、意義のないことには手をつけません。
詰まりに詰まった押入れの片付けや膨大なデータ量となったハードディスクのバックアップなど、何の考えもなく、理由も意味も意義もなく着手することなどできないものでございます。
何かのきっかけでもない限り、それ単体での実行など不可能でございます。
家の片隅にダンボールや粗大ゴミ、壊れた電化製品の小山ができてから、パソコンから異常な音や熱を発するようになって着手するものでございます。
日々のお勉強でも、理由・意味・意義のあったほうが、現状を客観視できます。
お勉強の意味が明白なほうが、やる気の出が違うのはいうまでもございません。
先のことに多少の見当がつけば、今の行動がしっかり定まってくるのでございます。
今のお勉強に熱が入らないときは、先のことをあまり考えていないときでございます。
先のことに不安を憶えるときは、今のお勉強をきちんとしていないときでございます。
今と先をバランスよく考えて、身を処していくことでございます。

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