| カテゴリー: 過去のススメ |
お勉強といいますのは、取り敢えずは「難しい」ものでございます。
お勉強中に遭遇する文章や用語は一般的に難解で、小学生なら見向きもしないものでございます。
しかしながら、皆様におきまして憶えて頂きたいのは、できなくはないということでございます。
お勉強といいますのは、特に、試験というものが前提とされているお勉強は、絶対的にできなくはないのでございます。
専門家でもできないもの、答えが導かれないものは、問題とされないからでございます。
普通の人がやればできるもの、それが試験問題というものでございます。
一部の特殊な人、特別な訓練、特異な教養を持った人にしか解きえない問題は、試験制度の制度上の建前から忌避されるものでございます。
たとえば、、、
『作品○○の文体は、主観と客観の両方の視点を、一層自由に交錯させている。(ブレヒトのいう)Verfremdungseffekt(異化効果)のお陰である』
こういった評論めいた文章は、一部の人にしかわからないために、本試験では問われることはないのでございます。
まず、文章中の主観と客観の意味がよくわかりません。自分が思うことが主観で、他人(会社、組織、学会、)が思っていることが客観でしょうか。考え出すと、このあたりから難しくなってまいります。
交錯・・・混ぜて述べている?混ざってるの?
ブレヒトって誰?鳩山?
Verfremdungseffekt、、、日本語で言ってくれないとわからない等々、小学生が読めば何のことやらさっぱりわからないことでしょう。
良いことを書いているのか悪いことを書いているのか、褒めているのかけなしているのか、最も基本的な部分もわかりかねます。
こうした難しい文章以外に、政策的に意見が割れていたり、学説によって異論があるところも、試験には問われません。問題にしにくいからでございます。
まず、指しあたって、お勉強では「できないもの」は出題されないことを意識の片隅に置いてほしく存じます。
つまり何かしらの努力、試験の傾向に適した努力さえしていけば、大概の問題を取れるようになるのでございます。
ただ一部、できなくはないのだけれども、やろうとすると膨大な量の資料を読み込み、数字を憶えないといけないような出題はございます。
こうしたものは、解答はできなくはないけれども、とてもじゃないか、実際のお勉強では消化できないものでございます。
「解答可能対策不能問題」とでも、言うことができましょうか。
こうした問題はできるかもしれませんが、やるにはあまりにも不合理なので、手を付けずに捨て問題にするのが良いでしょう。
試験問題といいますのは、やれば必ずできるものではありますが、「割り」というものがございます。
このあたりを見切るのが、試験勉強をうまく運ぶコツであるかと存じます。
だから
2009年9月2日 10:04 AM
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