お勉強といいますのは、ずうっと机の前にいれば捗るものではありません。
特に、何かを記憶したり暗記しなければならないとき、それは顕著でございます。
お勉強というのは、切れ切れになった時間を有効に利用することで、机の前に座る勉強以上に、効率的になって行くのでございます。
ですから、お勉強の時間を取れない人でも、通勤・通学といった移動時間や待ち時間、手持ち無沙汰の時間、お湯の沸く時間、何かを煮る時間などなどの切れ切れとなった時間をお勉強に充てることができれば、時間の不足をカバーできるわけでございます。
切れ切れになった時間のことを、細切れ(コマ切れ)時間と申します。
お料理におきましては、豚コマや牛コマといったコマ肉の使い方を憶えれば、一気にレパートリーが増し、味もよろしくなります。大根を炊いただけだと一味足りませんが、コマ肉を少し入れればぐっと味が引き立つものでございます。カレーにおきましても、味の基本ベースはコマ肉で仕立てて、高い肉はさっと炒めて後でカレーの上に載せると、煮込んだ肉の味とローストした肉の味を味わえますので、肉の風味を低価格で存分に楽しめるわけでございます。スーパーの中食やコンビニ惣菜に飽きたら、コマ肉を買ってきて塩コショウをするだけでも良いつまみになりますし、水にコマ肉キャベツタマネギにんにくしょうがを入れて塩コショウしょう油をすれば、それだけでいい汁物になります。コマ肉を塩コショウしてオイスターソースかXO醤で味付けしたものをレタスで頂くとこれほどラクな料理もありません。コマ肉は脂肪が多いので、注す油要らずであり、実に家計に優しい食材なのでございます。
コマ肉をうまく使えればお料理上手となるように、お勉強におきましても、細切れ時間を有効利用できるようになれば、お勉強上手といわれるわけでございます。
さて、では、どうすれば細切れ時間を有効利用できるようになるかというと、あらかじめ勉強のこまごまとしたことをメモしておいて、細切れ時間中にそれを覗くというのが最も手軽であるかと思います。
メモの内容には、憶えたいことや暗記しておきたいこと、理解したいことをまとめることになりましょう。
しかし、このお勉強メモを作りには、2つの注意点がございます。
それは、メモ作りに一生懸命にならないこと、そして、メモに詰め込みすぎないことでございます。
メモ作りの過程は、ある程度の理解や記憶の足しになりますが、一生懸命になってメモを作ったから実力がアップするわけではありません。お勉強の意味を履き違えないようにしてほしく存じます。
そして、2点目の注意点ですが、あれもこれもメモに書き過ぎないことでございます。
5つ以上はたくさんだといいますように、どんな作業でも、5つを超えると途端に難しくなってきます。
細切れ時間にメモを取り出したのはいいが、メモの内容を把握するのに骨が折れていれば、元も子もございません。
うーんと頭を捻っているうちに、細切れ時間は吹き飛んでしまいましょう。
お勉強のメモに書くことは、絞りに絞り、たくさん書かず、簡潔且つ簡便に記しておくことが肝要でございます。
具体的には、メモに書く内容は5つを超えないようにします。最大でも7つまでで、それを超えるようであれば、複数枚にするか分割して行かねばならないのでございます。
細切れ時間を使えない人、遣うのが苦手な人は、得てしてその時間に適したことをやっていない感が致します。
電車移動の15分でもテキストを読むのは結構ですが、頭に入って入るのでしょうか。
テキストの中の長ったらしい文章はやはり、机の前で黙々念々を読んだ方が効率的でありましょう。
待ち時間の合間に問題を解くのはいいのですが、きっちり解けているでしょうか。
過去3回は説いたことのある問題なら細切れ時間の演習でも大丈夫でしょうが、そうでない場合は、きちんと解けていることになっているのでしょうか。選択肢のひとつひとつ、解説の個々をしっかりものにできているのでしょうか。
細切れの「時間」に適したことをするのが、時間の真の有効利用であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年8月26日 9:40 AM |
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お勉強をしていますと、結構な数のトラブルに巻き込まれるものでありますが、今回はその中でも、影響力の大きい失態についてお話したく存じます。
お勉強は実力を身に付けるものですから、やればやるほど、できることは増えていきます。
「できる」をどんどんと積み重ねて、本試験という頂に臨むわけでございます。
お勉強をすればするほど、できることやできそうに思うことが増えて行くわけでございます。
(○○は完全にできるだろうけど、××あたりで小難しく問われるとできないかもね)というような、感想を独りごちるようになりましたら、実力がみしみしと付いてきた証、でございます。
そのほかにも、できなかった・わからなかったけれども、何回の見直しと確認作業、復習によって対策済みになったところもありましょう。
Aができたのであるから、Bもできるだろうと強く推量できるところもありましょう。
「できた・できる」の数で、合否は変わってくるのでございます。
しかし、お勉強をしていますと、ときにそういった「できたカテゴリ」にあったもが、突然、全くできなくなっていたり、皆目わからなくなっていたりするときがあるのでございます。
人間といいますのは、忘却の生き物でありますから、忘れてしまうことは致し方がありません。
しかし、忘れたとはいえ、一旦はできていたり憶えていたりしていたことですから、手を少し加えれば、相当な確率で元に戻るのでございます。昔取った杵柄と申します。
大概のことは再びできるようになるのでございます。
しかしながら、ここからが本題なのでありますが、本当に、何がなんやら全く理解ができなくなっているときときがあるのでございます。
こうした事態に陥りますと、(あれれ、おかしいな。)(できて当然なんだけどな。)(なんでできないの??)といったこのような、あれれ感で一杯になるものでございます。
「自分では自明にできると思っていることができなくなっていると、人は焦ってしまう」−皆様には、このことを意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
焦るからでしょうか、解決にこれまた、素っ頓狂なことをしだすのでございます。
細部細部を穿ってみたり、どうでもいい箇所や語句に固執して丹念に調べてみたりするのでございます。
おもしろいのは、かつて自分ができていたときには、全くしなかった種の作業を行いがちになる点でございます。
昔読んだときには全くそんな作業をせずに理解したのに、できなくなった今ではかつて全くとっていなかったアプローチで理解しようとするのでございます。
こうした作業は、ほとんど役に立たず、解決には貢献せずに終わるのが常でございます。
徒労に徒労を重ね、無為な時間を費やし、身体の疲労の上に焦りの精神的な疲労が積もり積もるのでございます。
もし皆様方が、こうした事態に陥りそうになったとき、陥ったときには、まず、落ち着いて平成の自分になった心構えを執ることが肝要でございます。
無闇矢鱈に右往左往してはなりません。無駄で徒労で無為だからです。
そして、できなくなった箇所をもう一度、そして、その前後5行のみをしっかり目を通してくださればと存じます。
できていたのにできなくなったときは、できなくなった箇所のごく周辺に、問題を解決するポイントがございます。
できなくなったところの5行周辺を丹念に、読み飛ばすことなく当たっていけば、問題の8割は解決に向かうかと思われます。
ある問題がわからなくなっているときは、まあ、問題文や解答の前提を全く無視していたり、読み落としているものでございます。
そして、問題の単純な見落としや読み違いを発見して、(なあんだ)と、安心と後悔が混じり合った溜息をして、ぐったりするわけでございます。
できていたことやできるようになっていたことは、よっぽどのこと(記憶障害)に遭遇でもしていない限り、また穏当にできるようになります。
この単純な事実を元に、焦らず対応してくださればと存じます。
大いに労力と時間とを、セーブできるかと思います。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年8月25日 9:40 AM |
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まだ8月といいますのに、涼しくなって参りました。
その涼しさたるや、夜中になると肌寒くなるほどで、深まった秋クラスの涼しさでございます。
あのじめじめとした身体に纏わり付く湿度がないというのは、本当に気持ちよいものでございます。
これが、極楽というのでありましょう。夜天然のドライが効いた中で、洗い立てのシーツに身を置くことほど、無上の喜びを感じるものはありません。
皆様方には、宝石のような睡眠をお取り下さればと存じます。くうくう寝て、炎天下での疲労をお除きくださいまし。
さて、とはいえ、涼しいからといっても、油断がならないのが季節の移り変わり目でございます。
次第に身体のほうは、夏バージョンから秋冬バージョンに変わって行くことでございます。
細胞の一大変化でございますから、ときおり、全身がぐったり・がっくり・のったりするときがあるかと思います。
こういうときは無理をせず、回復を待つのが賢明であるかと存じます。なぜなら、はやく身体を季節に合わせた方が、ぐったりする期間は短いからでございます。
ああ、こいつは移行期だなと感じたときは、最上位のやるべきことだけしっかりして、どうでもいいことには手を抜いていくようアドバイスいたします。
身体の季節移行が済みましたら、巻き返せば良いだけの話でございます。
どうしてもしんどいときは楽に構え、調子のいいときに一生懸命がんばるのが、物事を進めて行く上でのコツでございます。
特にお勉強では、無理をすれば道理が引っ込むと申します。
お勉強においては、無理をしようにも、がんばろうにも、ある程度の実力がないと難しいのでございます。
ある程度の実力がないと、まず、何をがんばったらいいのかすらわかりません。
ですから、やる気は得てして空回りに終わるのが常でございます。
そして、どうがんばっていいかもわかりません。
お勉強の対象は、ふたつにわかれます。
長期戦で(判例は通達、各種付帯事項、資料やデータ、数字を含めて)見て行くべきことか、単に憶えて終わりの短期戦で行くべきことのふたつでございます。
何でもかんでも一生懸命にやればいい、というわけでないのがお勉強の真実でございます。
適当に語呂でも作って憶えさえすればいいものをじっくり熟考しても点数には貢献しません。
逆に、やらずでいいところに時間をかけるために、かけるべきその他の箇所が手薄になる危険性もふんだんに発生することでしょう。
自分の尻尾を噛もうと、一生懸命にくるくる回る子犬は微笑ましいものですが、人間がやると単に愚かしいだけでございます。
また、お勉強におきましては、特に独学では、無理をすればどうしても次の勉強に行き難くなってしまいます。
今日という日に猛勉強をしたのはいいが、次の日はなんだか気が乗らずにサボってしまえば、猛勉強したことの意義は半分以上、雲散霧消してしまうことでしょう。
わたくしは、お勉強においては、無理をしてがんばるよりも、牛のよだれのように、だらだらねばあと持続継続を元に進めた方が、いい結果があるように考える次第でございます。
もちろん、ときおりの連休などに、たまった課題ややるべきことを消化するために、闘牛のように猛進することもありましょうが、それ以外のときは、牛が牧草を食むが如く、気長にのんびり構えて進めて行くのが良いかと考える次第でございます。
毎日毎日がんばる人もいますが、がんばれない人も居て当然でございます。
がんばれる人はがんばればいいのですが、がんばれない人が同じようにがんばっても結果は付いてきません。
毎日がんばれないなら、時折がんばるように工夫して、合格を目指していけばいいだけの話でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年8月24日 10:07 AM |
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