| カテゴリー: 過去のススメ |
単純に考えるというのは、実によい考え方のひとつでございます。
シンプルかつ明瞭に考えるというのは、伝統的な知的営みのひとつでございます。
皆様方におきましても、グダグダダラダラ、簡潔さと明瞭さに欠ける指示や命令の馬鹿さ加減に、辟易することもあるかと存じます。
「愛している」以外に何か言葉が必要でしょうか。電流が走るかのような単純さといいますのは、それだけで十分通じるものがございます。
逆にいえば、難解に複雑に考えたからといって、その分だけ通じやすくなるのかというとそうでもないわけでございます。
わたくしたちは考えているようにいて、考えていないものでございます。新しく考えているようで、実際には堂々巡りをしているものでございます。
であるが故に、できるだけ単純に考えてみることに光明が差すわけでございます。
しかしながら、馬鹿と天才は紙一重と申します。
最も単純かつシンプルに考える人というのは、英知に溢れた哲学者にもなりうるのですが、下手をすれば馬鹿にもなりかねないのでございます。
単純かつシンプルに、そして、「良く考える」といいますのは、馬鹿にはできない芸当でございます。
馬鹿は得てして、単純にしか考えません。
○○さんにこう言われたから。○○がこう言っていたから。テレビがこうこう言っているから。新聞にこうこう書かれているから。上の方針だから、などなどでございます。
こうしたことが、馬鹿者の言い分、または根拠でございます。正当性や根拠に意を傾けることなく、平気の平左衛門でそれをまさに「鵜」呑みなのでございます。
基本的に物事といいますのは、だめ・よいで割り切れるものではありません。
ひとつの側面のみで構成されているような状態・事態などないのでございます。
あっちを叩けばこっちが引っ込むものなのでございます。
お勉強というのはよいものではありますが、時期を誤れば、一生懸命になりすぎれば、婚期を逃すものでもあるのでございます。嗚呼!
わたくしたちは、単純化の罠に陥らないようにしなければならないかと存じます。
憶えられない→記憶力が悪い。できない→頭が悪い。
こうした図式がよく言われる愚かな単純化の例でございます。
憶えられないという問題に対して、記憶力が悪いから、と答えても、それはそうなのではありますが、そう結論付けても何も生まれてきません。
なじみやすいフレーズや図式で、現下の問題意識を薄めてはならないように思います。
得てしてできないといわれる人は、どうして理解できないのかを考えないまま、わからん・わからんとつぶやいているのみであったり、成果や結果が付いて来ていないのに惰性で勉強していたりといった傾向がございます。
自分から原因を突き止めようとはしていないのでございます。
考えるということは、まず、数量化すること(数字で考えること)、定義してみること、そして、細かく分けていってこれ以上は言えないというところまで細分化すること、今度は逆にこれ以上はいえないというくらいまでひとまとめにしてみることでございます。
頭というのは使えば使うほど良くなってまいります。悪しき単純化は、その成長を止めかねません。
シンプルなのはよいのですが、それも一面だけのこと。
単純化のし過ぎはご法度でありますので、皆様方におきましてはご留意してくださればと存じます。
良くも
2009年10月6日 10:52 AM
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