独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

食べる量を減らす

お勉強というのは、健康があってこそできるものでございます。
体調が悪ければテキストの1字すら頭に入っていきません。
風邪を引いていれば机の前に座って小さな文字を追うことすら、億劫なものでございます。
健康は体調管理あってこそのものでございます。
ですから、お勉強を円滑に進めるには、体調の管理が重要になってくるのでございます。
基本的に、お勉強はしんどいとやらなくなるものでございます。
これまでの勉強挫折を思い返して欲しく思います。だいたい、身体が疲労して、しんどく、だるく、重苦しくて弾まないときに、お勉強が中断したのではないかと存じます。
身体が補給待ち、補充待ちであるときは、何もしたくなくなるものでございます。
通常なら意思の力で(嫌だなあ)と思っていてもお勉強しちゃうものですが、身体が疲れているとそうもならなくなります。
そしてその1回のサボりが、決壊する堤防のように、後々の勉強を遠ざからしめる事になるのでございます。
体調もお勉強の重要な要素である事を、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
さて、季節は年末年始、よく食べよく飲む季節がらでございます。
食べ物が大変おいしい季節である上、経済がデフレ基調であるためおいしい物が安く買える時代でございます。
ですから、得てして、食べ過ぎ・飲み過ぎに相到るのではないかと存じます。
断食せよとは申しません。ちなみに、わたくしは季節ごとに1シーズン1回、3日ほど食を断っております。
といいますのも、内臓を休ませると明らかに身体が楽になる、軽くなるからでございます。
勿論、全く食べないというのではなく、豆乳をガブガブ飲んだり、少しの塩を溶かしたミネラルウォーターを飲みます。わたくし目の断食は基本、繊維質を取らない断食ですが、十分、身体が治っている感がするものでございます。
わたくしたちの身体は、食べた物をどうしたって消化するようになっております。
消化できないやといって、消化を放棄できないのがわたくしたちの内臓の性でございます。
口から入ったものは必ず食堂を通り胃に入ってどろどろになり大腸小腸を経て吸収されるわけでございます。それがどんなに多くても、でございます。
わたくしたちは、身体と大雑把に言っておりますが、基本、身体とは消化器全般がその多くを占めているものでございます。
ですから、たくさんの飲食物を納めれば、内臓はフル回転、動きに動くわけでございまして、過度に動けばそらもう、当然の如く、疲労は溜まってそこかしこは故障することでしょう。
季節柄お付き合い等で食べなければいけない時ではありますが、できるだけ、1回1回のお食事は、少な目少な目にすることをオススメしたく存じます。
うどんなら2玉のところを1玉に、おかずは一品減らす、御代わりはよす、弁当でもちょっぴり残すなどなど、できるだけ少なくしか食べないのでございます。
特に今日は宴会だ飲み会だとかあるときは、それに備えて軽く済ましておくのもよろしかろうと存じます。
腹八分に医者要らず、糖尿心臓疾患癌は贅沢病とも言われております。食べ過ぎは病気の元、命を縮める事をご理解いただければと存じます。
わたくし自身もかつては腹いっぱい食べる人で、ラーメンやチャーハンなどは常に大盛りで注文する人でしたが、断食を経験して内蔵を休ませる事を覚えてからは、できるだけ少食を意識しております。時々、破綻は致しますが、食べる量は全体的に減ってきたように思います。
最近、明らかに疲れにくくなってきているのは、少な目志向になったからかもと考えている次第でございます。
食べ過ぎと飲み過ぎは、疲労の元凶でございます。疲労はお勉強の敵でございます。
過ぎたる飲食はお勉強の機会を奪う事を、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
飲んだり食べたりする機会が増える分、少食の毎日をお過ごしくださればと存じます。

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気乗りのしない時もある

基本的にお勉強といいますのは、同じようなものを相手に、同じような事を繰り返す作業でございます。
そこには磨り減りに減った目新しさしかないものでございます。
考えてみればお勉強は、読む、書く、解く、憶えるという主に4つの作業しかありません。
そら、4つしかないものを毎日毎日何ヶ月もやって行けば、飽きて当然でございます。
飽きると言いますのは人間の自然現象でありますから、仕方がないのでございます。
ですから、無理にこの「飽き」を押さえつけていきますと、どんどん奥のほうに入って行って、機会があればドカンと爆発、もうやってらんねえとお勉強の一時中断に相なると言うわけでございます。
そうなるとこれまでの努力と節制と克己はすべて無駄になってしまいます。
ですから、飽きてきたら(嗚呼これは身体からのサインだな)程度に思って、お勉強の強度を下げたり量を減らしたりして、なだめすかしてお勉強を続けるしかないわけでございます。
しかし、毎度毎度作戦が成功するわけではありませんし、本当にやる気がねえなあと机に両肘突いて物思いに耽るときもありましょう。
まあ、取りあえずのやる気はある。なぜなら机の前に座っているから。やる気はあることにはあるが、燃焼していない。さて、どうしよう、というわけでございます。
当たり前の事を申し上げたく存じます。
今は調子がよくないね、と考えることでございます。
皆様お気づきかと存じますが、悪くなったときと言うのは得てして悪くなるものでありまして、いくらそこから発破をかけても、ちょっとだけちょびっとだけ上向きますが、持ちこたえられずにずるずる低下を描くものでございます。
悪くなるときは、どんだけじたばたしようとも悪くなっていくものでございます。行き着くところまで行き着くのが悪くなることでございます。
よくはないという現実を受け入れることが肝要であるかと存じます。
よくないときなのですから、やったことはそれほど血肉となりませんし、理解も記憶も以前のように功を奏すわけではありません。
いつもなら10ページくらい進むものでも数ページでぼんやりとする事も当然ありましょう。
不調は不調、よくないときはよくない事をまずは意識して、そうした、低アイドリング状態・低回転数状態でもできる事を探すべきかと存じます。
例えば、ゆっくり時間をかけて苦手箇所を読み直すとか、作業の強度の低い暗記事項・記憶事項の確認とかでございます。
バリバリとできないなら、ゆるゆるとできることを手がければ宜しいかと存じます。
また、不調・よくないときも一時的なことでありますから、調子が上向いたときにどんとやって行けばよいだけでございます。
やるべきことにはやるべき時があると仮定いたしますと、テンションが高くやる気に溢れているときではし難い地味な作業こそ、それをすべき時であるかと存じます。
独学というのは自身の裁量の余地が大きい勉強方法でございます。ならば、自身の体調や調子に合わせた勉強も可能でございます。
自分が勉強するのですから、自分に合わせてやるだけのお話なのでございます。

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カンニング行為について

昨日のススメでは、カンニングペーパー作りに言及いたしました。
本日のススメは、カンニング行為自体について述べておきたく存じます。
結論から言いますと、カンニング行為はリスクに見合う利をもたらしません。
カンニングがばれて試験中止・今後の受験禁止ともなれば、これまでの労力・時間・お金がすべてパーとなります。
そして何より恥ずかしいわけで、やる人は居ないかと存じますが、カンニング行為は宜しくありませんこと、胸に刻んで欲しく存じます。
おそらく多くの方は、試験中の自分がどれほど明白鮮明に見えているかわからないかと存じます。
アルバイトか何かで試験監督をした方や教室の壇上に登った方は即断のご理解をいただけるかと思いますが、本当に全員が何をしているのか、それこそ、鼻の頭を掻くふりをしてこっそり鼻くそをほじっていることまでわかってしまうのでございます。
教室の自分の席では、自分周辺の狭い四方しか感知できませんので、ばれないだろうなんて思われるのでしょうが、事実上、丸見えでございます。
しかも、試験という作業は誰がやってもほぼ同じ作業姿勢でありますので、カンニングをせんと不自然な体勢になっただけで、大目立ちなのでございます。
ぶっちゃけいうと、カンニング行為というのは、ばれていないのではなく、見逃してくれているのでございます。
注意するのがめんどくさいときは、カンニング者の周りをうろうろしたり、さてカンニングペーパーを見ようとしたら近づいていくというような一種の威嚇をして、不正行為をやらせなくさせるものでございます。
ばれるとめんどくさいのです。注意してカンニング行為の事実を確認し、証拠を押さえ、上司なり管理職に報告して、その報告は口頭だけでなく書面での報告も求められるかもしれません。ああめんどくさ、というわけであります。
ばれていないのではなく、見逃されていますこと、ご留意くださればと存じます。
次に、カンニングをしてはならない根拠として、資格試験の事情があるかと存じます。
普通の試験ですと、点数は重要な要素でございます。
20点よりも25点、30点よりも40点と、点数は多ければ多いほどよい判定が付くわけですから、点を増やすことに大いに意味はあるわけです。
しかし資格試験は、この点の事情が違うのでございます。
資格試験では60点の合格点、70点の絶対合格ボーダーの点数をとることが大事なのでございます。
つまりは、それ以外の点数は全く無駄なのでございます。
0点だろうが10点だろうが、45点だろうが55点だろうが、59点だろうが、合格点に達していなければ意味がなく「0点」に等しいのでございます。
資格試験にはふたつの点しかないのでございます。合格点以上か、合格点未満であるか、のふたつであります。
ですから、カンニングで数点底上げしたとしても、もともとの実力がないならまさに焼き石に水、無駄なのでございます。
加えて、試験のどこが大事で、自分にとってどこがやばくて、どのあたりが覚えられていないのか、それらがはっきりしているなら、記憶完了まではもう後すぐ、という事でございます。
山の9.5合目あたりで頂上はもうすぐなわけでございます。
あとちょっとがんばれば記憶に残るのに、不正行為のリスクを取るのはあまり賢明ではありません。
もう少しがんばれば済むのですから、カンニングに頼らずお勉強なさいと言いたく思います。
まとめにまとめる、濃密に濃密を重ねる、絞りに絞るカンニングペーパー作りはよいお勉強になりますが、カンニング行為自体は言うほど利しません。
再度申し上げます。やる人は居られないと思いますが、お控えくださればと存じます。

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