独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

フェレンギ人のバイブル64〜65

まずは初めに結論を。一口で言うと。まとめ。要旨。

『67. どんなに十分でも、十分過ぎることはない。』

まずは、目の前のことに手を抜かないこと。

目の前のことを十分にやる。しっかりやる。とことんやる。

他者や他社、他の店がどうであれ、自分が大事だと思うことはやる。

しかし、それだけでは、十分でないのだ。

わたしたちの世界は、2〜3の「それ」さえすればうまくいくような、単純なものじゃあない。

品質がとことんよくても、パッケージがよくないと売れない。

もちろんだが、パッケージが良くても、品質がいまいちだと次はない。

品質・パッケージがともによくとも、販売のチャネルや売り方が悪いと、もちろん売れない。

ある特定の何かが飛び抜けていても、他の何かが良くないのなら、売れはしないのだ。

十分だと思うことがあるだろうが、常にそれとは違う点から、調べてみるべきである。

どこぞ大穴があるものである。

味もよく、接客態度もいい。メニューもよく練られている。コンセプトもいい。けれども、いまいち客足が定着しないお店があった。

その理由は、ゴミを店の前に出していたからだった。

そら、ご飯を食べようとする客に生ゴミ袋を見せたら退散する。

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『68. 同情は金の代りにはならない。』

 逆を言うなら、同情はしても、情に流された金は出すな、ということである。

同情やいたわりの言は、いくらでも見せることができる。それは、タダだから。

大人になるほど、コストをかけずにそういうことができる。最たるものが政治家である。

泣き落としという、昔からある手法である。生業にするプロもいる、泣き付き屋という。

下手に関わらないのが、処世の知恵である。

しかし、逆に、自分がとことんまで落ち込んでいたり、失敗してズンドコになっているときに、飲み物や食べ物を差し入れてくれたり、どこぞに連れていってくれたり、ときには資金援助もしてくれる人には、感謝をすべきである。

本当に底まで落ちて、信用も金も力も失っている人に、お金をかけてくれる人は、そうそうにいない。

そういう人には、信じるだけの価値があるように思われる。

ただ、間違ってはいけないのは、自腹を切っているかどうかである。

経費で落とす人もいるので、そのあたりは注意深い観察力がいる。

何もしてくれない人や無視する人に比べたら、経費とはいえ、お金を出してくれるのは、とてもありがたい。

しかし、最大限の信用を置くことはできないだろう。

自腹を切るかどうかは、人を判断する際の主要なテーマである。 

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