報道によって、買いだめを止めるよう言われております。
ほんとうにやめてください。買いだめは無意味!と声を大にして申し述べたく存じます。
買いだめに奔っておられる方は、いま一度、ご自制ください。
東北や北関東圏の惨状を毎日見るにつけて、不安が募るのはわかります。
しかし、ほんとうに、こういうことを言うと申し訳ないのですが、西日本は物資に溢れてございます。
西日本の生産設備は丸々残ってございます。
わたくしは大阪在でございますが、物資はいつも通りでございます。
おととい、昨日とスーパーに行きましたが、いつもどおりの買い物風景で、単一商品を買い込んでいる人は、ほとんど見なかったことを、1生活者の観察として申し述べておきます。
関東圏の殺伐とした雰囲気は無く、相変わらずの買い物風景でございます。
わたくしの町はスーパー・商店の激戦区で、売りに売るため、歩道に溢れんばかりに商品を陳列してございます。
変わりなく溢れておりましたし、雨が降ったときくらいしか、撤去されることはありません。
ガソリンスタンドの車列など、一度も見ておりません。
これが、関西の現状でございます。
被災地の物資不足を思うと心が痛みますが、今買いだめに向かっている方の住んでいるところは、物資が無いのでなく、流通さえ確保されれば、すぐさま供給される態勢でございます。
当たり前といえば当たり前でございます。
被災地に物資を送ろうとするなら、まずは、最も近い関東圏の残存稼動設備から物資を生産・送付するわけで、どうしたってそちらでは品薄となります。
ですから、一時的なものでしかありません。
逆を言えば、そちらで買いだめが起これば、どうしたって、その買いだめのために、物資が供給されてしまいます。
すると、被災地に向かう物資の量が相対的に少なくなるわけで、そうすると、被災地の復興もそれだけ遅れます。
そうすると、また、関東圏が品薄が続くという塩梅で、全く不合理でございます。
わたくしたちは、つい昨年まで、デフレ不況という供給過多で悩んでいたことを思い起こして下さればと存じます。
先もいいましたように、関西圏以西の生産設備は丸々残ってございます。
こういうと心が痛みますが、関西圏の生産設備はフル回転で、人手不足になる工場も出ております。求人の増加もちらほら見られております。
そして、流通経路も回復基調にございます。
10万人を超える空前の人数の自衛隊が、復興に動員されているのでございます。
日米協力した、空前の補給・支援体制も整いつつございます。遅すぎるくらいですが、今後、大きく被災地の現状は変ります。
関西圏の物資の安定供給振りを見るにつけて、関東圏の品薄・買いだめは、不安に苛まれた行為であると思わざるを得ません。
個々では合理的な買い物をしているようですが、回りまわって自分の首を絞めているだけでございます。
いま一度、自制の程を、そして、インターネットという情報網をフルに利用して、買いだめに奔る人がひとりでも少なくなるよう、祈るばかりでございます。
一人一人が、被災地の人たちに心を寄せることが、復興の最たる道であると思わざるを得ません。
上記ポスターを拡散の程、お願い申し上げます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 被災地 | 2011年3月17日 10:04 AM |
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武士ほど、運に左右される職業もありません。
どれほどいくさで首級を上げても、属した大名が負ければ、何の価値も見返りもないのでございます。
武士は相身互いと申します。
いくさに負けて落ちていく武者に、知り合いの者がいたときは、見なかった振りをするのが、戦国武士で習いございます。
それは、いつ我が身が逆の立場になるかわからないためであるからでございます。
たまたま、そのいくさでは、勝てた方に属していた、だけなのでございます。
わたくしを含め、関東・東北圏以外の人は、たまたま災害に遭わなかっただけであって、いつ、同強度の災害に遭うのかわかりません。
被災地の寄付は、いわば、将来的に自分が同じ境遇になったときに受け取れるだろう、無記名・無証書の保険でもあるのでございます。
わたくしは、100%の善意など、ないものと考えます。
わたくし自身は、将来的に何らかの見返りがあるだろうと思うから、お金を出すものでございます。
100%の善意など、釈迦かキリストくらいの歴史的な偉人にしかできないものでございます。
100%の善意で寄付をするのなら、その人自身が最低限度に生きていけるもの以外はすべて売り払って、寄付しなければならなくなります。
それこそが、純度100%の善意であって、自分の家屋敷、車を売ってまで寄付する人など、いないことでありましょう。
わたくしは、心情がどうであれ、動機がどうであれ、結果的に、お金が被災地に行くことが大事と考えるものでございます。
多くは方便でございます。
100%に近い95%の純度の寄付は良くて、50%の純度は良くない、という線引きが可能でしょうか。
純度は落ちても、いつ返って来るかわからないけれども、自分に返ってくると思って寄付して、そのお金が、被災地の水や食料になるほうが遥かによいことでありましょう。
純度の差はあれ、お金はガソリンに、水に、医薬品に、おむつに、そして、それらを輸送する人、分配する人、店頭に並べる人の原資になるものでございます。
寄付の動機が、「情けは人のためならず、自分のため」でも、全くよいように存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 人, 被災地 | 2011年3月16日 1:58 AM |
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各地の被害状況が明らかになるにつれて、やきもきしているわたくしでございます。
今回の未曾有の災害に対して、個人でできることのうち、献血がございます。
この献血について、朝日新聞が良記事がアップされていたので、リンクを張らせて頂きます。
http://mytown.asahi.com/areanews/fukuoka/SEB201103130006.html
やはり、同じ気持ちを抱く方がたくさんおられるようでございます。
しかし、ここがポイントであるように存じます。
『1995年の阪神大震災の際は発生から1週間ほどは市民が献血に殺到した。しかし徐々に減っていき、1カ月後には血液が不足したという。』
淡路神戸沖の大震災の際も、なにかできることはないかと、いてもたっても居られない人がたくさんおられたわけです。
気持ちは非常によくわかるものでありますが、その気持ちは、被災地の人たちに『役に立ってこそ』完結するものでございます。
赤十字のホームページを見ましたところ、現時点で、血液は安定的に供給されてございます。
http://www.jrc.or.jp/blood/news/l4/Vcms4_00002068.html
総合しますと、血液は保存が難しく、たくさんあっても困る、とのことでございます。
つまり、供給側であるわたくしたちが献血に殺到して血液が増えても、その需要がないと有効期限が来て使われずに処分され、せっかくの血も善意も効果がなくなってしまうわけでございます。
しかも、多くの人が血を抜いた後ですから、本当に必要になったときに献血できず、全体では血液が不足するというまったく無駄な展開と相なってしまいます。
わたくしたちが現在できることは、血液の不足時に備えて、いつでも献血できるように健康を保つことでございます。
つまり、現時点の血液事情下では、鮮度良好で健康な血を、自信の肉体に保存しておくことが、わたくしたちにできることでございます。
おそらく、現在の被災地では、災害の直後であり、病気の方もすっ飛んでいるものでございます。
しかし、復興が進むにつれて、喪失感や今後の生活への不安が募って、病気の虫も騒ぎ出すことでしょう。
また、復興作業に応じて、事故や怪我も増えることでしょう。加えて、伝染病や風土病の勃興も、大いに考えらます。
いうなれば、血液の需要は、復興期にあるといっても過言ではないように存じます。
先の赤十字のページにて、「不足しつつある」とのアナウンスがあれば、献血施設に向かおうと決めたわたくしでございます。
皆様方におきましても、献血の意思のあるお方は、いま一度踏みとどまり、求めがあれば献血すること、そして、復興が進んだ先々に、献血なされるよう、お願いする次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 献血 | 2011年3月14日 12:50 PM |
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