独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

5つ以上はたくさんだ

ひとつふたつにみっつによっつ。最後に来るのはいつつまで。
人がふつうにできること、その数は5つまででございます。
「正」の字なる数え方がございます。5つまでしか数えないのでございます。
5つまで数えたら、0にもどって他の「正」を書き始めるのは、みなさま自明のことと存じます。
だいたい普通に生きてれば、5つ以上のことなんて数える必要なぞないことを有史以来の数え方が示してると考えるのでございます。
5つ以上は数えるよりも、「アラ、多いね」との判断を脳は下しているのでございます。
5つ以上は数えていないのでございます。5つ以上は「多い」のです。
聖徳太子はいっぺんに、10人もの要件を裁いたと申します。
太子講やら太子廟、各地に伝説ございます聖徳太子ですら10でございます。
いっぺんに10もやれる人ならば、一千年の時空を超えて歴史に名が残るのでございます。
うつつの現世を鑑みれば、ダイエー中内さんがいっぺん人間で著名でございます。
新聞片手に歯を磨き足をトイレに運びつつペンを手に持ちメモを取り、その上部下への指示を出していたなる逸話の持ち主でございます。
日本のスーパー文化のほとんどは、中内さん由来のアイデアと申します。
現在の消費文化の形態を作り上げた中内さんでさえ、5つです。
世に済々の社長・重役連中ならば、分秒刻みのスケジュールであろうとも、いちどにやるは3つだろう、と忖度するものでございます。
有能であればこそ己の仕事を3つまで優先付けて限定せんと、考え至るものでございます。
いわんや我々をや、でございます。
やるべきことはひとつかふたつ、よくてみっつまででございます。
テキスト読んだり重要語句を確認したり忘れた数字を覚えたり過去問見直したり、この章あの章その単元、アレもコレもとしようとするが受験生でございます。
やろうとする意欲は買うが、おそらくそれは空回りで終わることでございましょう。
5ついっぺんにアレもコレもできるのは、本試験の1ヶ月前あたりからでございます。
それまでは少なめ思考で行くが花でございます。

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後退を

1週終わればおさらいでございます。
1章終わればおさらいでございます。
区切り区切りで後ろを見返すが吉でございます。
理解の度合いが違ってく、記憶の定着桁違いだからでございます。
わたくしがいつも感じることですが、自分の穴を見るのはいやなものでございます。
キチンとやったつもりでも、再度あちこち見直せばいずれどこかに穴あって、穴をみつけりゃ埋めねばならぬと思うわけでございます。
なんてこたぁない、自分で仕事を増やしているのであります。
ですから、見直し・復習・おさらいてのは、得てしてやる前からいやなものを感じるのでございます。
やれば必ずやることが増えてしまうのです、いやなのも自然現象でございましょう。
しかし、あえてやってみる。
グダグダいわずやってみる。
やりさえすればよいのです。
わたくしめの経験則でございます。
やってみれば、思ったよりも記憶の穴は小だったり、キチンと理解できてたり、次にやること見つかったりするのでございます。
あながちに全くできていないなど、ないことに気づくのでございます。
全然できていなければ、次にやり方変えりゃよい。
復習はそうすっと、気持ちがよかったり安心したりスッキリするものでもあるのですな。
復習のイヤン感は、克服できること・対応可能であることをご理解ただければと存じます。
結果的によいことあるのが復習で、前門の狼・後門のチョコでございます。

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前進よりも

先へ進むより、いままでやったことを忘れないようにするのが華でございます。
復習重視でございます。
とはいえ、のそのそひとつの箇所でとどまっていれば、水が腐るのと同様、やる気も臭気を放ちます。
ですから、切りのよいところで先に進まねば、これまた戦線崩壊するのでございます。
先へ進むは、ひとつの準備をござんなれ。
予断予知予見予想でございます。
まえもって超特急999でどんなのをやるのかと、つばつけてさえいればよろしいのでございます。
ああこんなのがあるのね、と目鼻をつけていれば、机上のことをゆっくりのんびりじっくりとこなしていけるのでございます。
何があるのか知らないと、こんなペースは遅くはないかしらんと要らぬ苦労がかかるのでございます。
要らぬ心労、菓子のもと、大酒のもとと古人は申しました。
おいしく頂くためにも、要らぬは御女房御姫君ばかりなりと申しいだくものでございます。
先を知っているから安心なのでございます。
知らないから不安なのでございます。
それだけでございます。
読んだことがないものなど、わからないものでございます。
理解に時間が掛かるモンでございます。ポッキリ骨が折れるモンでございます。
ですから初見のテキストや、はじめてやる章などは、軽めで取り掛かるのが花でございます。
目を通すくらいでいいのでございます。
目を流すだけで良いのでございます。
見ておけば良いのでございます。
どうせ、熟読したところでわからないからでございます。点が取れないからでございます。
わたくし事ではございますが、初見するテキストなんてわからないものだらけでした。これからもそうでしょう。
ジックリ読んだところでアタマに入るは、まずなかったものでございました。これからもそうでしょう。
ならば読み散らかしてもよいではないかと思ったわけでございます。
ジックリ精読しようとも、お菓子を片手に流そうとも、結果的にはゼロ近し、ならば最初は適当に電話帳読みでよいではないか何ぞ不都合あるまじきさてもあるなら申したてぃという訳でございます。

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