前回のススメは、わからぬときは口に出してみんということでした。
今回も声に出すお話でございます。
口にしてみる、声に出してみるだけでも効果はあるのでございます。
かつて大学受験の英語を受けし方は、長文読解の練習に音読をせよといわれたのではないでしょうか?
街に多々ある英会話学校も、黙読なんてやらないで講師生徒の会話を中心に授業を組み立てていることと存じます。
簡単にいえば、脳の使用量が多いから、声だし音読は推奨されるのでございます。
黙読、つまり目だけで追うのは、目と脳のふたつ。
音読では、目と口と耳と脳と多器官を使っているのでございます。
大雑把にいえば脳の使用量は2倍です。
太ってるね、と読むのと聞くのとでは、大きく違うかと存じます。
「激太解消!おなかスッキリ!」という広告文と、テレビにておなじきアナウンスがされたとき、脛にキズがある人は、テレビの音声の方にぎょっとハッとするものでございます。
音声も刺激の一種なのでございます。
いやな言い方ですが、試験とは記憶した量で決まってしまうものでございます。
覚えが悪いという人は、目だけでなく口、耳を使ってフルに脳みそを刺激して、記憶に残すようお励みになってみてはというアドヴァイスでございました。
時はあたかも花粉症の前触れ、季節がら寒波戻りて油断して、手ひどい風邪を引く頃でございます。
幸か不幸かマスクを被りしときは、外でもベンキョの機会が増えたと、暗記物をブツブツ唱えるが功徳となることでしょう。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月15日 9:09 PM |
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いにしえに音読なる読み方がありました。
「子の曰く、晩酌抑えて菓子を食う、未だ嘗て飽かざるなり。お腹の肉も減るべからざるなり」
論語を素読せし世代がございました。孔孟老荘をスラスラ読みこなせし世代もございました。
素読音読は、遠く江戸から明治の中期までの学び方でございました。歓学院の雀は蒙求を囀ったと申します門前の小僧習わぬ経を読むと申しました。
声にだし耳にして学んでいたのでございます。
しかし豈にはからんや文語から口語に変わり、音読素読はおざなりになりました。
声に出す、口に出して読む学び方もあったのでございます。
さて、テキストの文章は読みにくいと相場が決まっています、法律なんて悪文の見本です、一読難解二読半解三読不可解なものでございます。
テキストは何度も読むという理由の一助は、その文章にあるのでございます。
その悪文と戦うのが資格試験の醍醐味でございます。これほどの悪文にはそうそうお目にかかれません。情け無用の悪文でございます。
ありし日の恋文より悪文でございます。その悪文の結果がいまの災いでございます。
さて、意味不明不得要領のわからない文章に遭遇しにっちもさっちも押せども引けども、愚や愚や汝をいかんせんとなったときは、声に出して読むとようございます。
というのも、骨子を理解していない文章を声に出すと詰まるからでございます。
その詰まりしが、考え違いのヘンな場所意味見落とした箇所なのでございます。
詰まるどもる果てには声にも出せない箇所をゆっくりと読む、文の構成を見直してみる、指で押さえながら読んでみるといった手当てをすると、なあんだと半解了知に至るのでございます。
声に出して読んでみん。
わからない対策のひとつでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月14日 8:42 PM |
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要はエネルギー論なのでございます。
つまらないなら多少とも憩いと慰めをもたらさんとするのが、粋でございます。
もう女学生ではありません、青雲の志もつ書生でもございません。
学び場は学校ではありません。自由に時場所定め、やりたいようにやりやすいように身の振り方を設計すればよいのでございます。
メカニズムは働いているのでございます。
手狭家屋も広く見せよう床の間に、室内に畳と座布団ほかになし、自然と目が行く掛け軸欄間立花の類の仕様なのでございます。
生活という習慣は、洗練されたメカニズムの集合体でございます。意識せずとも従うが、洗練の極地なのでございます。
勉強がいやなら、せめて菓子の憩いで相殺すれば良き事でございましょう。
ぜんざいに香の物、汁粉に塩をお考え下さいまし、辛いに甘い、甘さには辛さで相互が引き立つのでございます。
それを、無理やりに、学校当時の記憶を引き継ぐ必要などないのでございます。授業中にお菓子を食べるなんてはしたないことでした、タブーでした。しかしいまはそうでなし。
目がショボショボするようならば、ブルーベリーの甘しジャムをタップリ塗りこめたトースト(バターも解けでんようにたっぷりと)をむしゃぶりつきながら勉学に励んでもよいのでございます。
100円で買ったミニ電燈で照明を増やしてもよいのでございます。
香を焚くも良し。
骨董の類、やは肌の白く澄んだ茶碗を眼前に置いて勉強してもよいのでございます。嗚呼ありし日の彼女もこうだった。
菓子盆、小鉢、湯のみに凝るもようございましょう。
試験とは問題が解ければよいだけの話しでございます。形式過程は問われません。いわんや私室の貴殿をや。
そのあたりの塩梅なのでございます。
呆然とテレビ見ながら菓子ツマミより、頭を動かしながらの方がカラダもアタマも舌も踊り喜び、一身に甘さを楽しめるものでございます。
むかし菓子道ありけり。
菓子道の極意とは、
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年2月13日 9:51 PM |
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