独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

じたばたしたって

基本的に、じたばたしたところで始まらないものでございます。
「ああ、もうこんな時間!」と投げやりなってブウブウいってテキストを開くのは、子供のやることでございます。
「こうなったらしゃあないなぁ」と、湯飲み1杯の水でも飲む干すくらいの落ち着きは欲しいものでございます。ヤレヤレ。
ほんと、過ぎた事はどんだけ毒つこうが変わらないもの。
人が絡んだことだと、またアンチクショウと火に油を注ぐことになり、さらにお勉強のお邪魔虫になるのでございます。
まあ、ヤレヤレ、それじゃあこの時間で何ができるかいのぅ、と村の庄屋さんのように考えるがよかろうと思います。
これまでのわたくしの経験ではありますが、何かにつけてどたばたアセアセあちこちと、落ち着きなくやった事は碌デナシで終わったからでございます。
皿洗いは何かが欠け、遅刻のときは必ず重要な書類だけを忘れ、最後のオチは財布と机・ロッカーの鍵を忘れていたという塩梅でございます。くつした逆も当然だし、ときにはスーツの上を忘れてコートを着て行ったものでございます。
お勉強にも計画性は必要なのですが、この「計画性」、計画がうまく行かないときの修正能力も含まれていることにご留意いただきたいのでございます。
これあかんかったらどしようかね、の視点を持ってこその計画性なのでございます。
まあ、しゃあないな、どうせするだろう復習でも先取りしとくかな、と第1〜50問までの間違え問題でも見直して寝るかな、くらいの気持ちが計画の前提なのでございます。
なんにせよ、時間とは有効に使うべきでございます。
焦らないで何かをするだけでも、その時間は有効利用なのでございます。
どたばたまるで消化試合のようにこなすよりも、日を変えてやるほうが、スッキリして無用のストレスなきものと存じます。

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時に考えましょう

勉強を「しんどくなくする」には、どう「感じている」かを把握することから始まるのでございます。
イヤンなのは普通でございますが、どうイヤンなのかがハッキリすれば、すっと肩の荷がおりるのでございます。
勉強、とどのつまり机上の作業、もっといえば読んでるテキスト・解いてる問題を、「感じる」のが大切なのでございます。
考えても妙案は浮かばないものでございます。
考えてもたいがい通り一遍な結論、まあ恐らくは「必要だからやろう」程度に帰結するに落ち合うのでございます。
感じ・感触でよいのでございます。
しんどさの原因は、考えても特定できないからでございます。
どころか考えると余計に間違うもの。「AでB、Cゆえに、しんどいのである」という人には、早々お目にかかれません。浄土の人でございましょう。
イヤンな気分というのは、一種のサインでございます。
目くらめっぽう、ごり押しにしてもやる気は空回りするのものでございます。
イヤンを感じたら、うーん、どういうところがイヤなのかしらん?と焦点を絞る感じで思うがようございます。
「なんであの章はあんなにイヤなんだろう?」でもよいのです。
イヤな感情は何も恥じることはありません、それは何かあるというセンサーの反応なのですから。
どこぞ穴があったり、大事な何かを見落としていたりするものでございます。「ああ、これぜんぜん出来てないやん」とか「重要事項がぜんぜんだ」「あ、これ見落としてたからわからんのだわ」などなど。
やっていたときとは違う何かを見つけることにもなるのです。
イヤだなという感覚が不快なのは、それが特定できていないから。
特定できれば、あとでやればいいや、とか別に日を取って専念してみようなど、イヤさに対処できるようになるのでございます。
いやな感情をねじ伏せるのも勉強のひとつではありますが、素直に従ってみるのも方便なのでございます。

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無用の比較は消耗す

マラソンでは、他のランナーを気にすると余計にスタミナを消耗するものでございます。
この電信柱あの電信柱と、自分のペースで自分の決めた目標に駒を進める方が楽なものでございます。
至って楽なのでございます。
他者との比較そのものが悪いのではなく、要はタイミングなのでございます。
比較するときは調子のよいときだけでございます。
落ち込んだときの無用の比較は、まさに無用、更に落ち込むこと畢竟なのでございます。
いい占いは信じて、わるい占いは信じないが如し。
成績が落ち込んでいたり、調子が悪く計画通りに進まないときが一番危ないときでございます。
なぜか人と自分とを、較べて無間のカラクリに巻き込まれるのでございます。
「あの人はあーなのに、わたしはこーだ」というのが、典型的な例でございます。
基本的に、人は人を知りません。ブイブイ言わしている人でも、過去にいえないようなことがあったりするものでして、結局、他人との比較なんて「不完全な」情報の上に、なんかのへ理屈をクソ理屈並べ立てているものでございます。
楽勝に見える人でも、ちゃーーんと裏では自己管理を徹底し、机に向かっているものなのでございます。
脳ミソにそれほどの個人差なんてありませんから、わたしにはそうとしか思えないのでございます。
そしてここが重要なのですが、他人と較べてなにかいいことがあるのか?ということです。
金持ちの友人のセルシオを見て、ああええのぅ、それに較べて我が身のわびしさ、と思ったら、自分の車がクラウン・マジェスタになれば、いくらでも比較していけばいいのでございます。
しかし百万回思っても変わらぬものでございましょう。「思い」で変わるは、恋せし女性の顔くらいでございます。
たいがい何も起きません、変わりません。
ありていにいえば、自他比較は、少しも点数に貢献しないものでございます。
疲れるだけ落ち込むだけの自他比較なんて、健康ではございません。
自分のペース目標で進めていくのが、一番続く方法だと思うのでございます。

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