そうしないとできないから、わたくしたちはやるのでございます。
わたくしたちは、光合成ができません。
だから、野菜を食べるのでございます。
ミドリムシのように、お日様にあたればビタミンを生成できるものではありません。
自分でビタミンを作れるなら、それこそ毎日いくらでも肉ばかりを食べるものでございます。毎日がオーストラリア牛のステーキですよ。
しかし人間には、カラダが必要とする栄養素を自作する機能がございません。
であるが故に、野菜を食べるのでございます。ビタミンを補給しようするなら、野菜を食べる以外に方法はないのでございます。
それしか方法がないから、そうしているのでございます。
お勉強も同様でございます。
そうしないと合格できないから、日々お勉強をやっているのでございます。
わたくしたちは、テキスト読みその内容を覚え、問題集や過去問を解くわけでございますが、そうしないと合格証書を得られないからでございます。試験問題が解けないからやっているのでございます。
それ以外に、難しい理由など要らないのでございます。
解けないからやっている、できないからやっている、それだけのことでございます。
「解くためには」「できるようになるには」を考えるべきでございます。
独学で進めていると、急に自分のやっていることが不安になるものでございます。
通学などでベンキョ仲間がいれば、他の人がやっているという事実で安心できるのでございますが、独学だとそうもいきません。
ベンキョへの気持ちがぐら付いたら、難しく考えてはいけません。
自家中毒という言葉がございますように、どんどん複雑に物事を見るようになるからでございます。
「これを憶えるのは、1点取れるから。だからやる」など、オベンキョへの発奮は単純な方がよいのでございます。
「どうしてこんなことをやるのか」「できないから」
単純でシンプルなほど、力強いのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月29日 9:38 AM |
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一直線に行けたらな、と思うものでございます。
どんなにスマートで、かっこよくて、そして省力であろうかと嘆息するものでございます。
しかし、まあたいていの事は一直線ではいけないものでございます。
フィットネスマシーンは、幻想の塊でございます。1〜2週間も持てばよいほうでございます。
買ってきて梱包をあけたまま、というのはザラなのでございます。
絶対にCMのように、テレビのようには行かないのでございます。
結局、使わず場所をとられ、燃えないゴミの日をチェックする毎日になるのでございます。
嗚呼、またやってしまったと嘆息するばかりでございます。
そして、こう思うのでございます。
障害もなくいけるものなんてのは、あやしい、と。
中には「若いうちの苦労は買ってでもせよ」とか「障害があるから、壁があるから、楽しい」なんてことをしたり顔でいう御仁もおられます。
はっきりいえば、苦労も障害もないほうがいいに決まっているのでございます。
スムーズにいけたほうがよいに決まってございます。わざわざ自分から渋滞に巻き込まれる馬鹿もいますまい。
しかし、苦労やらなんやらは、必ずあるものでございます。恋には恋に苦しみが、愛には愛の悩みが、好きな仕事なら好きな分、意のままにならぬ「なんやら」があるものでございます。
それなのに、あたかも苦労や障壁がないかの如く、易々とできる素振りをするのは怪しいのでございます。
わたくしたちに必要な感性は、「怪しさ」を探知するの能力でございます。頭でなく鼻で感じるものでございます。
「今すぐできる」「5日でできる」「誰でもできる」などの文言のついたものは、怪しさがないかを極めることでございます。
ブートキャンプのおじさんは、軍人ではなかったのでございます。
結局のところ、ダイエットの王道は食生活とライフスタイルの見直し、運動しかないものでございます。
お勉強も最終的には、読み、解き、書き、憶えることに収斂するものでございます。
王道でいこうと、声を大にして己に言い聞かせているわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月28日 11:00 AM |
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オベンキョとは、ほおっておくとスグに義務感だけになってしまうのでございます。
やらなくちゃという義務だけに動かされていると、何かの拍子でパッタリお勉強が止まるのでございます。
オベンキョを中断するのは、アレルギーの進み方とよく似ているのでございます。
花粉症のようなアレルギーをお思いくださればと存じます。
アレルギーとは、カラダに入ってくるものへの抵抗を表しているのではありますが、ある一定までは平気の平左衛門なのでございます。
花粉症も、あるときまでは全く平気だったのに、いきなり発症するものでございます。
おととしまでは、鼻水が5ccしか出ず、去年今年になって50ccもでるようになったと徐々に症例が深くなるというよりかは、突然マックス症例が出るのでございます。
基準となる線を越えるととたんに、かゆみや痛み、鼻水・くしゃみなどでカラダに知らしめるのが、アレルギーの特徴でございます。
直前まではなんら変わったことがない、という点がアレルギーの困ったところでございます。
何の思いもなく、義務感からだけのオベンキョは、あたかもアレルギー症例の如く、あるときからパッタリ止まってしまうのでございます。
ただ、「やらなくちゃ」だけの一念にてオベンキョを続けると、「絶断」するリスクがあるとご理解くださいまし。
ある線を越えると、アレルギー症例の如く、突然「やらなく」なるようになるのでございます。
どうにもやる気がしないなぁ、やってもスグにテキストを閉じるようになったり、他ごとばかりを考えて集中できないというのは、よくよく振り返ってみれば、ベンキョ中断アレルギー症例であることが多いのでございます。
お勉強の諸々には、意味があって構成されているものでございます。
たとえば、漫然とテキストを読むよりかは、過去問を1回解いた後で読んだ方が、数倍効能がございます。
過去問を漫然と解くよりかは、基本問題集との問題の質を比べてみながらだと、もっと傾向が浮かび上がるものでございます。
目の前のことが無意味に感じるからこそ、つまり、意味を見出せないからこそ、手っ取り早い「義務感」でやろうとしてしまうのでございます。
どういう意味があるのかと、考えれば自ずから、やる意味というのは生まれるものでございます。
「こーしてあーしていこうかな」程度の見当でもよいのでございます。
安易に劇薬である『義務感』に委ねないよう、申し上げる次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月27日 9:17 AM |
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