オベンキョとは、ほおっておくとスグに義務感だけになってしまうのでございます。
やらなくちゃという義務だけに動かされていると、何かの拍子でパッタリお勉強が止まるのでございます。
オベンキョを中断するのは、アレルギーの進み方とよく似ているのでございます。
花粉症のようなアレルギーをお思いくださればと存じます。
アレルギーとは、カラダに入ってくるものへの抵抗を表しているのではありますが、ある一定までは平気の平左衛門なのでございます。
花粉症も、あるときまでは全く平気だったのに、いきなり発症するものでございます。
おととしまでは、鼻水が5ccしか出ず、去年今年になって50ccもでるようになったと徐々に症例が深くなるというよりかは、突然マックス症例が出るのでございます。
基準となる線を越えるととたんに、かゆみや痛み、鼻水・くしゃみなどでカラダに知らしめるのが、アレルギーの特徴でございます。
直前まではなんら変わったことがない、という点がアレルギーの困ったところでございます。
何の思いもなく、義務感からだけのオベンキョは、あたかもアレルギー症例の如く、あるときからパッタリ止まってしまうのでございます。
ただ、「やらなくちゃ」だけの一念にてオベンキョを続けると、「絶断」するリスクがあるとご理解くださいまし。
ある線を越えると、アレルギー症例の如く、突然「やらなく」なるようになるのでございます。
どうにもやる気がしないなぁ、やってもスグにテキストを閉じるようになったり、他ごとばかりを考えて集中できないというのは、よくよく振り返ってみれば、ベンキョ中断アレルギー症例であることが多いのでございます。
お勉強の諸々には、意味があって構成されているものでございます。
たとえば、漫然とテキストを読むよりかは、過去問を1回解いた後で読んだ方が、数倍効能がございます。
過去問を漫然と解くよりかは、基本問題集との問題の質を比べてみながらだと、もっと傾向が浮かび上がるものでございます。
目の前のことが無意味に感じるからこそ、つまり、意味を見出せないからこそ、手っ取り早い「義務感」でやろうとしてしまうのでございます。
どういう意味があるのかと、考えれば自ずから、やる意味というのは生まれるものでございます。
「こーしてあーしていこうかな」程度の見当でもよいのでございます。
安易に劇薬である『義務感』に委ねないよう、申し上げる次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月27日 9:17 AM |
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独学で困るのは、机に向かえないときでございます。
やろうやろうと思っているのに、なかなかテキストに手が伸びません。
商談で下手を打った新人営業マンの如く、机の前を右往左往するものでございます。
そうこうするうちに、何だかんだ、自分で雑用を見つけては手をつけてしまいます。
書類の処分、写真・アルバムの整理、文房具の片付け、衣替え、植木の水やり、エンジンオイルの汚れ検査、タイヤの溝チェック、携帯のメール消去、ハードディスクの整理、水面台の下の物入れの片付け、消耗品チェックなどなど、机に向かいたくないときほど、これまでのやろうと思っていた雑用が一挙に押し寄せるのでございます。
これまでほうっておいた雑用が「とても目に付く」ようになったときは、分岐点でございます。
やるの?やらないの?ハッキリしてよ、という分かれ道なのでございます。
もちろん、ここで少しでもやっておくのが、独学を成功に導く選択でございます。
しかし、この選択を取れるかどうかは己次第でございます。
独学ですので、どうこういってくれる人もおりません。やさしく諭す人、強引に連れて行く人などいないのでございます。
自分でなんとかして、机に向かわないといけないのであります。
今日だけしかしない、とお考えくださいまし。
今日しか勉強しない、今日しかやらない、明日からはやらない、明日以降はもうやらない、と思い込むのでございます。
雑用が目に付くのは、心の深いところで「あーまた 毎日やらんといけんのか、めんどうじゃ」と、今日ではない明日以降を考えてウンザリしているのでございます。
これを紛らわせるには、今日だけしかない、今日だけしかやらない、今日で終わりと思い込むことでございます。
仏のウソを便法と申します。
今日を乗り切ることだけ、意識するのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月24日 10:43 AM |
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最もしんどいのは、終わりがない戦いでございます。
終わりがあるからこそ、わたくしたちは力を出し惜しみしないのでございます。
小学生に勉強をしろ、といっても言う事を聞かないのは「何時」までかハッキリしないからでございます。
何時までやればいいのか、何時になったら解放されるのか、これが人の行動を司る原理だと思うのであります。
小学生に勉強をしろ、といってもしないのは、まだ先々までずうっとしないといけないのだから、今は手を抜いてもいいじゃん、というわけでございます。
逆に中学受験で目いっぱい勉強するのは、中学さえ入れば後はエスカレーター、勉強をしなくてもいいと理解しているからでございます。
アタマの中での小理屈では、動かないのでございます。
たとえば、借金でございます。
高利貸しの借金は年収の2倍になると返せなくなると申します。破産するしかございません。
みな、借金するときはアタマの中で計算はするのでございます。1ヶ月これだけ返せばいいと、胸算用するのであります。
しかし現実的には、利息を払い続け減らない元本にウンザリするのでございます。
10年先には20年先には返済が終わっていようとも、もうガマンできず、生活は荒れ、更なる借金を重ねるのでございます。
「何時まで」かをよくよく考えることが、やる気の維持で大切でございます。
この点、資格試験は受験日という最終締め切りがきられている分、楽でございます。
上司が仲人で別れるに別れない夫婦の消耗戦の毎日に比べれば、いかにラクチンな戦いかお分かりいただけるかと存じます。
これ以上、もっとひどい戦いもあると思えば、テキストと問題集を開く手も、幾分軽くなるのではないかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月23日 8:41 AM |
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