| カテゴリー: 過去のススメ |
はっきり申しますと、それほど差はないのでございます。
お勉強とは兎角に地味の積み重ねでございます。スポーツのような肉体的な才能の極地が求められるわけではありません。
アタマの良し悪しに、人の世のいうほどの差はないのでございます。
AさんとBさんとあなたを較べてみても、そんなに差はないものでございます。目はふたつ鼻はひとつ耳はふたつあることでしょう。
犬やネコと較べてごらん。毛はないは肉球はない、そしてかわいらしさもないと、禽獣と己とは全く違う生き物であることがわかるかと存じます。
AさんとBさんとあなたを較べてみても、脳みその機能や肉体の性能に、それほどの差はないものでございます。
あっても些少なものでして、塩コショウをコショウ塩したくらいでございます。
記憶力云々理解力云々というのは、一種の絵空事でございます。
わたくしは記憶力がそうよくありません、化粧品売り場の数あるメーカーのひとつも憶えられません。そこで売りし奇術用品詐術用品の名前すら憶えられません、広告CMの女優タレントの美人どこの名前すら憶えられません。京マチコ、森光子あたりが関の山でございます。
駅の名前も定かではありません、国道もよく憶えていません、そんなわたくしでも試験用語を憶えられたのは、時間をかけて何回もするからでございます。
理解力というのも不思議な話のひとつ、理解できたからといっても点数には及ばないのが試験というもの。理解しても憶えられずば、なのでございます。
結局のところ、大きな差になってくるのは性根の部分でございます。
やり方とらえ方進め方の元のところになるからでございます。
肉体的頭脳的な差は少なくても、やりようによっては、時間の経過と供に大きな差となるのでございます。
高利貸しの高金利と市役所の低金利福祉融資の差でございます。
もともとの差は大きくなく、ほんの意識の持ちようで差を縮めることができると思えば、張り合いも出、無駄に望みを絶つこともなくなるだろうと思うのです。
大切なことは、簡単で単純シンプルなのでございます。
個性個性というけれど、親が嘉平なら子も嘉平
2007年2月22日 5:33 PM
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