酒を飲まない人が、酒をやめるのは簡単でございます。
甘いものを食べない人が、お菓子断ちをするのはたやすいことでございます。
漫画・雑誌を読まない人が、見ないようにするのは容易なことでございます。
お勉強をするには、どうしてもやりたいことをやめるか制限しないと、できかねるものでございます。
しかし、やめることが簡単なことをやめるのは、それほど価値はないのでございます。
やめたくないことをやめるからこそ、そこに新しい価値が生まれるのでございます。
敢えて、やめたくないことをやめようと決意することで、新たな一歩を踏み出すことができるのでございます。
何かを変えようとするなら、まずは、何かをやめてみることでございます。何かを足そうとする前に、引いてみることでございます。
とはいいながらも、わたくしたちは習慣の生き物でございます。
あるものは、大切な息抜きであり気休めであり、ストレスの発散であったり致します。
一念発起したといえども、やめたくないことをやめるのはなかなかに厳しいものがございます。
しかしながら、よくよく考え直してみれば、やめたくないことにも、重要度があるものでございます。
これはどうしても欠かせない、やめたくない!と思うものから、やめようと思えばやめられるなあと思うものまで、ピンキリがございます。
また、期限を考えてみるのもようございます。
どんなことでも、2〜3日ならやめられるものでございます。
がんばれば、1週間2週間、1ヶ月数ヶ月はやらずにおくことはできるものでございます。
たとえば、1ヶ月くらいなら、お酒やお菓子を買わずとも生活できるものでございます。
いっぺんにゼロにするのは非常に困難ではありますが、期限付きや重要度に応じての「やめる」なら、負担少なくやめられるのではないかと考える次第でございます。
ちなみにわたくしごとでありますが、わたくしが煙草をやめたのは、何てことはない、1週間ほど風邪で寝込んだからでございます。
1週間吸わずに入れたのだから、もう1週間できてもおかしくないと思い立ち、アレやコレやの工夫を重ねたところ、禁煙ならぬ「断」煙に成功したというわけでございます。
やめられなかった煙草をやめたおかげで、体調は良くなるしご飯はおいしくなるし、身体は軽くなるし、煙草煙草ライターライターと探し回ったり持ち歩くこともなくなり、人生が幾分か身軽になった感じが致します。
やめたくないことをやめたことで新たな価値観を人生に見出したのでございます。
そして、いざやめてみると、惰性でやっていたこと、別にやらなくても影響のないものがごろごろしているものでございます。
敢えてやめてみる緊張感の中にこそ、次なる行動のエネルギーが秘められていると考える次第でございます。
わたくしたちは、悪いと思っているものより、いいと思っていること・正しいと考えているもの・必要だと思っているものから、大きな被害を受けることを認識くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月1日 11:44 AM |
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独学の利点というのは、原則として進め方が自由な点でございます。
何から勉強してもいいし、何時勉強してもいいし、どんな順序でやっても、誰から何かを言われるわけではありません。
あながち間違えても、さっさと自分でその責任を引き受けて、うまあく軌道修正していけば良いだけでございます。
ま、独学とは、あまりに自由過ぎて、逆に何をしたらいいのかわからないとっつきにくさがあるくらいでございます。
とはいえ、一方的にあーだこーだと言われる授業形式に比べれば、諸々の負担は軽いのではないかと存じます。
わたくしというのは、教えられることに絶望した人間でございます。
ひとつのところに閉じ込められて、読めばわかるようなことを朗読され、辞書かネット、その他の資料を読めばわかることを聞かされる時間が、年々厳しくなってございます。
特殊な技能や特別な技術の要ること、とても重要なことであれば、こちらとしても気を引き締めて聞くものでございます。
そして、まあ、重要なことでも我慢して過ごすこともできましょうが、どーでもいいこと、家でできるようなことを延々とやられると、損した気分になる次第でございます。
わたくしたちは、もういい年でございます。
一方的に教わることは、もういいのではないかと考える次第でございます。
それは、10代までの学習形態でありましょう。
わたくしたちは、学び育む(はぐくむ)ことができることを知っておくべきであるかと存じます。
必要な知識を得たり、前提となるものを追い求めたり、足りないものは補強したり、弱いところは強化したり、充実させていくことがいくらでもできるのでございます。
腹が減れば冷蔵庫を開けて焼き飯を作るように、誰かに作ってもらうことなく、自分で何とかできることは何かと多いものでございます。
わからないのであれば、新しい難問の解き方の練習と考えれば良いのでございます。
憶えられないのであれば、記憶力のトレーニングだと考えていけば良いのでございます。
落ち込んだり低調なときは、再度こうしたときが起きたときのシュミレーションなのだと見ていけば良いのでございます。
忍耐力がないのであれば、机の前に座ることから始めてみれば良いのでございます。
夜ダメなら朝にやってみる、後回しにしそうなものから手を付けるといった改善の余地はたくさんあるものでございます。
わたくしたちは、「一方的」に慣れすぎているきらいがございます。
うまくいきそうな方に舵を取るのは、わたくしたちの手に握られていることをご理解くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年3月31日 10:54 AM |
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本日のススメは記憶についてでございます。
お勉強と記憶には、切っても切れない関係がございます。
殊、試験勉強におきましては、ふたつを切り離して考えてはならないのでございます。
それは、本試験という存在があるからでございます。
いくら一生懸命お勉強をしても、確かな記憶がなければ本試験では呆然として時が過ぎ行くのを待つのみでございます。
人生で味わいたくないことの筆頭が、無力感でございます。
全く実力未分化で本試験を受けたときの、周りは鉛筆をすらすらと動かしているのに、当の我が身は問題に何が書かれているかもわからない無力な状態に陥るようなことは経験したくないものでございます。
傷つきますわな。
確かな記憶と確実な知識が出来上がってこそ、お勉強は完結するものであることを、常々意識してくださればと存じます。
さてさて、とはいえ、わたくしたちは忘れっぽい生き物でございます。ときどき、隣で寝ている人の顔すら、常々忘れたいと思っているのか、忘れてしまうものでございます。
わたくしたちは斯くの如き忘れる生き物でありますから、日々お勉強を通して、記憶を新たにしているわけでございます。
とはいえ、ときに自分の憶えの悪さに嫌気が差すこともあるかと存じます。
しかし、こうお考えくだされば、記憶の真実がお分かりいただけるのではないかと存じます。
わたくしたちは、完全には忘れないということでございます。
記憶の取っ掛かりやらフラグメント、断片、素子、基体、ベースなどなど、皆さんのしっくり来る言葉でようございます。
わたくしたちは、お勉強をすれば、多少の何かしらの記憶は創り上げているという事実を忘れてはならないかと存じます。
お勉強後に見直しても。全く見聞きしたことがないとか、初見であるというわけではないのでございます。
わたくしごとではありますが、再受験することになった試験の再暗記の作業は、前年比の5割から6割の労力で記憶が完了した感がございます。
忘れていると思っていても、いざやってみれば、記憶を甦らせることは意外にできるのでございます。
わたくしたちは自身が憶えが悪いように考えていますが、実際のところは、単に思い出せられないだけなのでございます。
お勉強中には、(あーそうそう)とか、(これこれ)といった台詞を吐くかと思いますが、この言の通りに、記憶の何たるかは頭の中にあるのでございます。
問題は、思い出せられるかどうかなのでございます。
逆に言えば、思い出せるように憶えているのかどうかという点でございます。
憶えるということと思い出すということを、ごっちゃにしていないかをお確かめくださればと存じます。
憶えが悪いなら、2段階で記憶というものをお考えくださればと存じます。
「憶えるには」と、「思い出すには」のふたつの段階を踏まえれば、記憶の負担はより和らぐかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年3月30日 9:35 AM |
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