独学においては、ひとつのところに止まることや執着することをあまり推奨しないものでございます。
というのも、そのところが試験上大切なことなのか、頻出事項なのかわからないからでございます。
一生懸命やってみた、時間を取ってみたのはいいが、ほとんど問題にされないところであれば、上手に時間を使ったとはいえないのでございます。
ある程度、試験勉強が進んで右も左もわかるようになればいいのですが、それまでは、過度にひとつのところに執着するのはお控えくださればと存じます。
まじめさは、全てを解決する万能の杖ではございません。
また、うっちゃっておくことが、良いこともございます。
というのも、時間が解決することがあるからでございます。
そのときはわからなくても、時間が経過した後に見直してみると、わかるようになっていたり、どこをどう見ればいいいか、何を重要視しておけばいいか、憶えるべきところはどこかなど、以前には見えてこなかったことが判別できるようになっているものでございます。
本格的な解決はそのときになって行っても、全く遅くはないのでございます。
わたくしたちには、本試験までの期限があるのですから、その期限をフルに活用すれば良いのでございます。
しかし、中には、どうしてもできないことやいつまでたっても苦手意識のあるもの、(できた)と思ってはいてもいつの間にやらできなくなるものには、アプローチを変えなければいけません。
ぱっと見や表層的な取り組みを変え、徹底して解決に乗り出すのでございます。
おそらくは、学習計画や予定などがあることかと存じますが、いったん中断して、(こいつはダメだ!!)の箇所に多くの時間を取るのでございます。
3日・4日、果てには1週間、解決のための時間を取っても結構でございます。とにかく、ひたすらに集中的にやってみることをお勧めいたします。
小手先のことを続けても解決しなかったことは、それ以後、小手先の時間と労力を投入しても、解決には至ることはないでしょう。
解決しないことを続けても、時間や労力を捨てているのと同然でございます。
ですから、力と時間の分散をやめて、それのみに集中投下するのでございます。
力が分散した状態では歯が立たないのであれば、力をまとめてぶつけるだけでございます。
そして、いったん壁が崩れれば、その苦手としていたところも、その他の箇所と同じようになることでありましょう。突破さえすれば、こちらのものでございます。
ばらばらになっているものでもひとつにまとめれば、相応のエネルギーを持つものでございます。
我が家の得意料理である残り物のごった煮(カレー風味)の如しでございます。
あれやこれやの勉強メニュウや課題に分散している自分の力は、まとめて使うことができることとを、頭の片隅に置いてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月3日 11:31 AM |
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「完成」したものというのは、それほど数多くないものでございます。
いや、人類の歴史を振り返っても、完成したものというのはなかなかにないものでございます。
完成したものとは、これ以上手が付けようがないもの、改善・改良の余地がないもの、発展させる必要がないものでございます。
こうした条件に適う「完成品」を考えてみると、完成品とはそうないことがお分かりいただけるかと存じます。
逆にいえば、わたくしたちの身の回りのものは、ほとんどが未完成品なのでございます。
手を加えなければならないもの、工夫をしなければならないもの、改善の余地のあるものばかりなのでございます。
これはお勉強においても、同様の理なのでございます。
わたくしたちがお勉強で使っている、テキストや問題集、過去問といったものも、未完成品なのでございます。
語弊があるので言っておきますと、未完成品だから不良品というわけではありません。
中には生ゴミのダメ教材もありますが、大半は市販される価値のあるものでございます。
未完成品と申しましたのは、「自分にとっては」未完のものという意味でございます。
つまり、テキスト等の教材には、まだまだこちらの方から手を付ける箇所・部分が残されているのでございます。
難しい文章のところにはわかりやすいコメントを書き加えたり、こう考えるべきといった方針や指針をメモしたりといったように、杓子定規の説明を自分なりにわかりやすく書き換える余地はふんだんにあるものでございます。
また、表やリストといった憶えるべき対象も、教材の通りに憶える必要などさらさらないわけですから、自分が憶えやすいように配置や攻勢を直したり、まとめ直したりすることもできるのでございます。
目の前のテキストや問題集、過去問には、まだまだやるべき何か、書き加えるべき何か、付け足す何かがあるのでございます。
教材には、何かを加えるべき空白・空間のあることを意識してくださればと存じます。
逆にいえば、これら仮定の空白・空間に、何を加えていけば理解と記憶の足しになるのかを見ていってほしいのでございます。
何かを加え補うことこそ、本当に使いこなせているのではないかと考える次第でございます。
基本的に、試験勉強に使う教材というのは、年度が変われば法改正やら改定で使い物にならなくなるのが大半でございます。
持ち主に役立ってこその、道具でございます。遠慮は無用でございます。
教材というのは、永久不変の原点でも古典でもないのですから、持ち主たるわたくしたちが使いやすいように、実力が伸ばしやすいようにどんどん手を入れていけば良いのでございます。
道具たる教材に振り回されたり、使われることのないようお気をつけくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月2日 10:47 AM |
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酒を飲まない人が、酒をやめるのは簡単でございます。
甘いものを食べない人が、お菓子断ちをするのはたやすいことでございます。
漫画・雑誌を読まない人が、見ないようにするのは容易なことでございます。
お勉強をするには、どうしてもやりたいことをやめるか制限しないと、できかねるものでございます。
しかし、やめることが簡単なことをやめるのは、それほど価値はないのでございます。
やめたくないことをやめるからこそ、そこに新しい価値が生まれるのでございます。
敢えて、やめたくないことをやめようと決意することで、新たな一歩を踏み出すことができるのでございます。
何かを変えようとするなら、まずは、何かをやめてみることでございます。何かを足そうとする前に、引いてみることでございます。
とはいいながらも、わたくしたちは習慣の生き物でございます。
あるものは、大切な息抜きであり気休めであり、ストレスの発散であったり致します。
一念発起したといえども、やめたくないことをやめるのはなかなかに厳しいものがございます。
しかしながら、よくよく考え直してみれば、やめたくないことにも、重要度があるものでございます。
これはどうしても欠かせない、やめたくない!と思うものから、やめようと思えばやめられるなあと思うものまで、ピンキリがございます。
また、期限を考えてみるのもようございます。
どんなことでも、2〜3日ならやめられるものでございます。
がんばれば、1週間2週間、1ヶ月数ヶ月はやらずにおくことはできるものでございます。
たとえば、1ヶ月くらいなら、お酒やお菓子を買わずとも生活できるものでございます。
いっぺんにゼロにするのは非常に困難ではありますが、期限付きや重要度に応じての「やめる」なら、負担少なくやめられるのではないかと考える次第でございます。
ちなみにわたくしごとでありますが、わたくしが煙草をやめたのは、何てことはない、1週間ほど風邪で寝込んだからでございます。
1週間吸わずに入れたのだから、もう1週間できてもおかしくないと思い立ち、アレやコレやの工夫を重ねたところ、禁煙ならぬ「断」煙に成功したというわけでございます。
やめられなかった煙草をやめたおかげで、体調は良くなるしご飯はおいしくなるし、身体は軽くなるし、煙草煙草ライターライターと探し回ったり持ち歩くこともなくなり、人生が幾分か身軽になった感じが致します。
やめたくないことをやめたことで新たな価値観を人生に見出したのでございます。
そして、いざやめてみると、惰性でやっていたこと、別にやらなくても影響のないものがごろごろしているものでございます。
敢えてやめてみる緊張感の中にこそ、次なる行動のエネルギーが秘められていると考える次第でございます。
わたくしたちは、悪いと思っているものより、いいと思っていること・正しいと考えているもの・必要だと思っているものから、大きな被害を受けることを認識くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月1日 11:44 AM |
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