| カテゴリー: 過去のススメ |
憶えたのに忘れてしまう、できたのにできなくなる。
こうしたことはお勉強でよくあることでございます。
とはいえ、だからといって、これまでのお勉強が無駄であったと考えないようにお願いしたく存じます。
雨降って地固まるといいますように、お勉強においても無駄があってこそ確かな力になって行くのでございます。
考えてもみれば、多少でも記憶に残っていたり、できていたりしたのでございます。
そうであるにに、忘れた・できなくなったというのは、あと2〜3、何かをし忘れているか足りない証拠でございます。
つまり、それらさえ補えば完全なものになるわけでして、本当にゴールまであと数歩なのでございます。
それなのに、アアヤンナチャウとため息とともにやらなくなるから本当にできなくなって、やってきたことが真の徒労になるのでございます。
お勉強においては、無駄になることはそうそうありません。
日々のお勉強を、単にできる・できない、憶えた・憶えていない、点が取れる・取れないという結果のみから見ないことでございます。
試験勉強の多くのことはやっていきさえすれば、または、穏当な努力を継続していくなら、最終的には誰でもできていくものでございます。
そのときのお勉強の成果がどうであれ、確かな実力への途上・過程にあるとお考えくださればと思います。
お勉強への努力は、蓄積が利くものとお考えくださればと存じます。
どうして蓄積が利くかといいますと、お勉強を続けていけば何かと想像ができるようになるからでございます。
始めて勉強することにはほとんど想像はつきませんが、2回3回とやっていけば、何をどうしたらいいかくらいのイメージはつくものでございます。
たとえば、今日は過去問演習をしようと思ったとしましょう。最初の演習は気が重いものですが、3回目となればできる問題とできない問題、妖しい問題の見当は付くものでございます。
演習中においても、(この問題はやばい)とか(これはあーしてこーして解く)といった想像はつくものでございます。
わたくしは考えますに、頭で想像のできるようになったものから、真の実力・確かな記憶になると考えます。
逆にいうなら、想像すらできないのであれば、実際には全くできないと考えるのでございます。
お勉強の一見徒労に見える努力でも、わたくしは想像力の足しに、創造の源泉として蓄積されていると考える次第でございます。
そうでないと、何ゆえにわたくしは毎回の勉強であれほど忘れたりできなくなったりする連続であったのに、できるようになったのか説明がつかないからでございます。
お勉強ごとに何かが頭にたまっているものと仮定した方が穏当であるかと思います。
あーして、こーしたらいいんじゃないかい?!、といった風の解決の予感も、やはり、お勉強の想像の賜物であるかと考えるものでございます。
結果のみを気にしてあれこれと気に病まず、次への試金石になったとお考えくださればと存じます。
結果が重要になるのは、本試験1日のみでございます。
あきらめるのが
2009年4月24日 10:49 AM
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