独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

すぐでるよ勉強不足

お勉強をしておりますと、奇妙な現象に遭遇するかと存じます。
読めたのに、読めなくなっている。
書けたのに、書けなくなっている。
憶えたのに忘れている、理解したはずなのにわからなくなっている、などなどでございます。
こうした(あれれ、おかしいな)という現象は、不思議でも何でもございませんし、別段、特異な現象でもありません。
それは、単に、勉強が不足しているだけでございます。
本当になんでもないのでございます。やっていないから、できなくなっていくのでございます。
こうした勉強不足を原因とするあれれの現象に多々遭遇するようになりましたなら、この前3日から1週間を、よくよく反省しなければなりません。
必要があれば、1ヶ月前までに遡って、我が身を振り替えなければならないでしょう。
どうして、こんなに不足するようになったのだろうか、と。
毎日、ある程度の勉強量がある方ならば、あれれの現象に遭遇することはまれでございます。あっても、即断に復習されたり確認されてカバーされるので、それほど影響はございません。
しかしながら、あれれの現象がぽろぽろと、落ちたパンくずのように出て来るようであれば、勉強が不足している明らかなる兆候でございます。
このまま勉強が不足した事態が続けば、相応の確率で本試験でもあれれの現象とど忘れが頻発して、まあ、合格点のマイナス5点圏あたりの成績で試験は終わるかと思います。
もちろん、言うまでもなく、不合格でございます。
兆候といいますのは、昨日や今日のことが出て来るのではありません。1週間から2週間前あたりのことが、昨日今日に出て来るのでございます。
逆に言いますと、今日勉強しなかったことは、明日明後日に影響するのではなくて、1週間から2週間先にひょっこり顔を出すようになるのでございます。
わたくしたちは、自分の足を食べる蛸を見て笑いますが、同様のことが我が身に起きていることに気付かないと思うのでございます。
今日やらなかったら必ず、後日、今以上の影響力を持った現象が発現することのでございます。
最近のあれれの頻発は、思い起こせば近い過去に、さぼったり手を抜いたり、出来ているからといって奇異が抜けたお勉強をしてきたのが原因ではないでしょうか。
世の中に奇跡や偶然はそれほど頻発致しません。
1万人の受験生がいれば、運で受かる人がやっぱり2〜3人くらいは居るものでございます。
1万分の2か3、つまり0コンマ2〜3のパーセンテージで受かる人はおりましょうが、大半の受験生は、有した実力に応じて受かったり落ちたり、滑り込んだりふるい落とされているのでございます。
ある原因からはある結果が、穏当な原因からは穏当な結果が導かれるものでございます。
お勉強におきますあれれの現象は、何てことはない、過去の質と量の両者にわたる勉強不足の結果でございます。
お勉強の量を確保し、量が確保できないようであれば、質を向上させるよう勤め、今以上のことをやるように励まねばなりません。
以上のことは、自戒の意味を込めたわたくし自身に向けての作文でございます。
あーあーと思う前に、少しでも、たとえそれが寝る前の5分でも15分でも、己の学ぶべき対象に割くべきであると、つくづく反省しているわたくしでございます。

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坂道の玉転がし

一部の特殊な人を除けば、お勉強というのは、継続と量が求められるものでございます。
お勉強の実力といいますのは、ある程度継続して量を確保しなければ、点数の取れる真の意味での実力にはならないのでございます。
毎日、お勉強してお勉強してお勉強してお勉強してお勉強して、と週に5日ほどお勉強を続けることで、ようやくお勉強したことは実力に練りあがって行くのでございます。
一言で言えば、お勉強とは練成していく過程であるということができましょう。
「お勉強」というものに臨んで憶えておきたいのは、ある程度の実力になるまでは止めない、お勉強を継続するということでございます。
基礎レベルの力が付くまでは続ける、過去問レベルの実力になるまでは続ける、本試験で戦える実戦力を備えるまではお勉強する、といった塩梅でございます。
イメージするとしたら、坂道を玉転がしをして登っていくといった風でしょうか。
もちろん、坂の途中で玉を押すのを止めてしまえば、玉は重力に従ってごろごろ音を立てながら下に落ちていってしまいます。
ですから、一旦玉を押して坂を登り始めたのならば、坂の踊り場までは、兎に角何とかして押していかねばならないのでございます。
あらら、なんだかめんどくさいなあとお思いかもしれませんが、さもあらずでございます。
というのも、わたくしの一連の独学の経験からいいますと、踊り場まで一旦登った玉は、それより下に落ちていかないからでございます。
つまり、たとえば、基礎レベルを突破すれば、そこから多少のブランクがあっても、基礎レベルのことは判別できるものでございます。
過去問レベル、実戦力レベルも同様でありまして、一旦そこまで上がることができれば、そうやすやすと実力は落ちていかないのでございます。
もちろん、歯の欠けた櫛のように所々は忘れてしまって、穴があるかもしれませんが、ちょっと手をかければ元の実力レベルに戻るのでございます。
昔取った杵柄と申しますが、お勉強においては、如実に当てはまることわざであるかと存じます。
お勉強というのは、毎日継続して、ある程度のレベルに達するまでは続けなければいけないことがお分かりいただけたかと存じます。
基本、勉強をしているのに、実力が伸びない、成績が上がらないという方の大半は、やったりやらなかったりしているものでございます。
「やる」のはいいのですが、先ほどの例でいったように、実力の踊り場まで到達する前に、お勉強を止めてしまっているケースがとても多いのでございます。
やるからには、ある程度の形が出来上がるまでは、継続するように申し上げたく存じます。
逆に言えば、ある程度の形が出来たら、止めても構わない、止めてもこれまでやったことが全ておじゃんになるわけではないとお考え下さればと存じます。
ある程度の実力が付くまでは継続して、そこから、前後左右を見て続けるか、少し休むか、情報を集めるかを考えてみれば良いかと思います。
もちろん、いったんお勉強を止めるというのも、選択肢のひとつでございます。
仕事が忙しくなってきた、家庭がてんやわんやになってきたなどなど、事情があれば、お勉強の休止も致し方のないことでございます。
止める事情があるにしても、再開可能な位置まで、まずは続けることでございます。

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星の数ほど

お勉強を抱えた生活をしておりますと、どうしても、鬱々としてくるものでございます。
気付いたら、試験のことや勉強のことを考えたりしているものでございます。
そのためか、どうしても、それらのことが顔や表情、雰囲気に出て来るものでございます。
自己管理のできている人ならよいのですが、なかなか上手に管理できるものでもありません。
しかしながら、できることなら自己管理に意を払った方がよろしいかと存じます。
というのも、しかめっつらで暗い顔をしていれば、うまくお勉強が捗るわけではないからでございます。
難しい顔をしていれば、理解が増し、記憶が増え、すらすら読んだりもりもり解いたりばりばり書けたりするものではありません。
しかめっつらでいようと、難しい顔でいようと、実質的なお勉強の進捗には関係がないのでございます。
ならば、でございます。
難しい顔をして暗い雰囲気をしていようが、求めるものにプラスがないのであれば、ニコニコ・ニヤニヤ・ニッコリしていても同じであるというわけでございます。
いや、言ってしまうと、ニコニコ・ニヤニヤ・ニッコリするように心がけた方が賢明ではないかと思うのでございます。
なぜなら、ニコニコ・ニヤニヤ・ニッコリ具合に応じて、ストレスは和らぐように感じるからでございます。
しかめっつらをして常に心を試験や勉強のことで一杯にしておくのは、精神衛生上、よろしくありません。
何を見ても楽しくなく、感じなくなってしまって、心の動きが鈍くなってしまいます。
わたくしのない経験からいいますと、うまく行く人というのは、自己管理、特に心の状態の制御が行き届いた人でございます。
やるときはやりますが、やらないときは全くやりません。
やるときは凄く怖い顔・真剣な顔をしていますが、それ以外のときはニヤニヤへらへらしている人でございます。
お勉強時にはお勉強のことを一生懸命ですが、それ以外のオフ時は、お勉強のことも仕事のことも一切口に出さないものでございます。
一言で言えば、メリハリがあるのでございます。
先ほどいいましたように、お勉強を抱えてお勉強以外のときでも鬱々としていたら、それこそ常にストレスの影に蝕まれているのと同じでありまして、やはり、一旦はお勉強からはなれない限り、お勉強のストレスは解消されないように思います。
ストレスが解消されなければ、お勉強の能率も落ちて行くのが自然であるかと思われます。
そこで、さっと気持ちを切り替えて、お勉強のことは一切考えないようにして、心を空っぽにして風邪が通り抜けるような状態になった方が、何かと良いのではないかと思うのでございます。
普通に生きていても、良いことはたくさんございます。
コーヒーの旨さ、お茶を飲んだときのすがすがしさ、風呂上りのさっぱり感、清潔な下着に着替えたときの快感、面白い本に遭遇した喜び、綺麗なものを見た楽しさ、美しい音を聞いたときの満足さ、などなど、探せば普通にしていても、ストレスを発散させて鬱々振りを払いのけるものはたくさんございます。
世のいろいろなことを、つまらなくしているのは自身であることを、自戒の意味を込めて意識しておきたいものでございます。

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