| カテゴリー: 過去のススメ |
心配事や不安事は、たくさんあるものでございます。
それはそれで、仕方のないものでございます。
といいますのも、そういう心性と言いますか傾向の故に、人類は生き延びてきたからでございます。
もし、わたくしたちに、ゴリラのような握力と腕力があれば、こんなにも心配するような機能は身心に備わらなかったでしょう。
ちなみに、チンパンジーの子供でも、握力は100kgを超えます。
100kgの握力のある人間などは、130kg級のヘビー級レスラーやアメフト並のガタイの人しかおりません。
人間で最も体格のいい人でも、ゴリラやチンパンジーの子供と戦えば負けるのでございます。
いうまでもなく、人間には毛皮も羽もありませんし、毒もありませんし、牙も、爪も、跳躍力も、走る遅さも飛びっきり、でございます。ノラネコにいい大人が負けます。
子供を生めば普通に生きていくのに10年以上の期間がかかるという、これまた、自然界においては、破格の遅さでございます。ミドリムシなど、細胞分裂すれば即成人、でございます。
このように、自然界の生物のなかで、最も脆弱だからこそ、わたくしたちには、先の不安要素を探知し、危険を予想する機能が備わっているのでございます。
心配事や不安事があることこそ、人間である証なのであります。
ですから、これをなくそうとしたり、根絶しようとしたり、気付かないようしたり、抑圧するのは、よくはないのでございます。人間であることを止めるのか?、というわけでございます。
しかし、ずっと不安や心配を抱えるのは、たまったもんじゃありません。
ですから、よくよく整理をすべきかと存じます。
本当に危ないのかどうか、心配すべきかどうか、心を砕くべきかどうか、利益があるのかどうか、その「理」を「整える」わけでございます。
失敗をして、暗く落ち込んだと致しましょう。しかし、落ち込んでいれば、物事がうまく行く、または、失敗を解消するような名案が沸く、と思うのであればそうすればよいでしょう。
しかし、まあ、心の張りは無くなるし、心が低調なら、身体もドンくさくなりますし、身体が動かなくなれば、ますます頭の方の回転も、遅くなってくるでしょう。
余計に、解決からは離れて言っているわけでございます。ならば、落ち込んでいても、暗い気持ちでいても全く仕方がない、わけでございます。
このように、自身のおかれた状況を、「理」で整理していくうちに、不安なことでも限界といいますか、MAXといいますか、そういった辺りが見えてきて、涼やかに過ごせるようになるものでございます。
疲れて勉強すべきかどうか、悩むときがございます。
やるべきかどうかは、ここの判断でありますが、わたくしなら、過去、疲れたときにやったときの勉強の成果を思い出してみるでしょう。
よかった方が多いならやりますし、疲れてやっても成果が無かったのなら、軽く一当てだけやって寝ちゃうでしょう。
また、疲れていてもできる勉強はありますから、それをやって寝ることでしょう。
何が何でも勉強をしなくてもいいわけですし、疲れているなら軽く寝るなり風呂に入って血行を良くしてやればいい、など、いろいろの「理」を見出せるかと存じます。
お猪口一杯の冷酒を飲んでやる、というのもいいでしょう。少量の酒は気付け薬でもございます。
ほとんどの心配事・不安事は、「理」を踏まえれ行けば、全貌が明らかになると申しますか、軽くなっていくものでございます。
解決し難い、割り切り難いのは、仏教で言われます愛別離苦・生病老死くらいでございます。
あとはまあ、巨額な借金・負債くらいでございます。
このあたりは、「理」では何ともしがたいものがありますが、逆に言えば、それ以外のことは、「理」で割り切っていける、考えていけるわけでございます。
整理して
2010年9月9日 2:57 PM
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