適当に手を抜いて受かっても、次の試験で結局落ちる。試験勉強ではやはり、やることをやるのが、結局一番早いのである、
試験勉強は、結局のところ、「やったことをやった人」から受かっていくものでございます。
ときには、手を抜いていたり、適当な勉強で受かる人もおられます。
しかし、統計的に・確率的に見れば、そんな人たちは「ごく少数」でしょう。
話の前提として、合格率が50%超を超えるような試験であれば、多少サボっていても、本腰を入れなくても合格はします。
なぜなら「合格者を多数出しても良い」というコンセンサス(同意)が、試験の主催者にはできているからであります。
もっと言えば、(多少まあ、資質に欠けている人が出てくるかもしれないけれども、いいでしょ)という風に、試験の主催者は考えているわけであります。
前提が「受かりやすく」できているのですから、穏当に受かるものでして、そこに能力やら資質やら努力やらを放り込んでも、詮がないものでございます。
しかしながら、世の試験には、合格率が10%前後しかなかったり、時には1ケタ台に落ち込んだりする試験がゴロゴロしてございます。
こうした試験は、そう簡単に受かるものではなく、やはり、やることをやらないと受かりません。
逆を言えば、やることをやっていないと、受かることは難しい、と相なるのでございます。
先の手を抜いて受かってきた人たちは、こういう「試験」で手ひどいしっぺ返しを被ります。
なぜなら、受験生を「選別する=落とす」ことを前提とする試験だからで、これまでの「適当で受かってきた経験・やり方」が少しも役に立たないからでございます。
ベンジャミン・フランクリンは、「滅多に起きないような幸運で、人間が幸せになることは殆どない」と述べております。
言うなれば、「幸運による幸せなど、長続きしない」とも言えるでしょう。
先の先の手を抜いて受かってきたような、いわゆる幸運組は、(今まではこれでうまくいったのになー)に固執して、相も変わらず適当に手を抜いた勉強を続けて、トータルの試験勉強期間をずるずると延ばすのでございます。
そして、失敗挫折のお決まりコースに陥ります。まさに、不幸の始まりでございます。
試験というのは、やるべきことをやれば「受かる」ものでございます。結局のところ、決意を胸にやることをやっていく方が、よほどに総試験勉強期間は短くなります。
いま勉強の歩みや進捗が遅くとも焦らずに、「それが一番早いんだ」と思い直して、目の前のことにご尽力くださればと存じます。
2012年3月23日 9:29 AM
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