ある人は、巨額の寄付をした、それも、個人で億単位。
しかし、ある人は、1円も寄付していない。
これは一体どういうことなのか、という次第でございます。
その答えは、ごく単純に、計算が合わないからでありましょう。
前者の方は、衣料品の販売がご商売でございます。
震災の惨状が明らかになるに連れて、多くの物が失われたことが明白になってございます。もちろん、衣料品もその1つでございます。
ほとんどの方が、着の身着のままで非難してきたのでございます。
今後、復興に際して、大きな需要、つまり、売上が見込めるからこそ、巨額の寄付をした、と考えられます。
寄付した額は、回りまわって、会社の売上として還流してくることでしょう。先を見据えたよい寄付であり、投資であるかと存じます。
被災地のためにもなり、自分も儲かり、名も挙がる、一挙三得でございます。
なお、ユニクロの柳井社長をいっているわけではありません。
かたや、少しも寄付の話が聞こえてこない人がございます。
寄付をしないのは、考えますに、そろばんが合わないからでありましょう。
つまり、被災地に寄付をしたとしても、たとえば、ADSL・光回線が増えるわけでもなく、携帯の回線数が伸びるわけでもなく、その他もろもろのサービスが今より使われるわけでもない、といった次第でございます。
つまり、いくら寄付しても、こっちには還流してこないわけで、それならする必要はない、といった計算なのでしょう。
なお、ソフトバンクの孫社長を言っているわけではありません。
こんな風に、寄付には、色々な計算が働いているものでございます。商売人・企業人としては、働かせて何ぼのものでありましょう。
こういう計算ができるからこそ、彼らは、ここまでの企業を築きあげることができたのです。慈善行為にのめり込んで会社が傾くなど、企業人として言語道断であります。
色々な計算のもとでの判断であれば、それでよろしかろうと存じます。被災者のためになるのが一番でございます。
最後に一言。
多くの企業・人たちの巨額の寄付、本当に素晴らしい、天晴れな行為だと思います。
寄付をしたのに叩かれる人もおられますが、知名度のもたらす有名税だと思って、ぐっとお堪えください。
いくら寄付金控除されるといっても、寄付しなかったら半分は手元に残ったのです。
こんなことを言うとアレでアレですが、おそらく事実として、被災地の人たちのためになるのは、小口の寄付よりも、富豪・大企業による大口の寄付でしょう。
一時金で数千円まわってくるよりも、百万単位で数か月分の生活費が回ってくる方が、よほど被災者達の生活の支えとなります。
現実は、「そう」でしょう。
しかし、わたくしは、今日の日当分の8000円を募金箱に入れる人や、今日のおかずを一品減らしてスーパーの店頭で寄付する人と、お茶を飲んで語り合いたく思います。
詠み人知らず、為し人知らず。本当に大切なことは、ネイムレス。
論旨が混沌としてますので、このへんで。
追記:2011/04/04
ソフトバンクの孫氏、個人で100億の寄付すると発表。面目躍如!!すっごい。
下種の勘ぐりは承知でいいますが、「100億でました、さあさあさあ」という感じです。
また、役員報酬(1億円相当)を震災孤児に寄付するとのこと。
毎年1億、安定した資金があれば、孤児の学費や生活費の大きな支えになります。これもえらい。孤児たちの就学の機会だけは、設けておいて欲しく思います。
今回の孫氏の100億寄付で、日本の寄付文化が変わる予感が「大」です。
「当社の商品の内、○○の売上は、被災地や震災孤児に寄付する」といった形の寄付が増えれば、これまでとは違う形で企業の社会的貢献になるように思います。
2011年4月4日 5:27 PM
★みんなとシェアする