独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ぐちの材料

ぐちや小言の材料、悪口のネタは事欠かないというのが、事実でございます。
くさるほどある、といってもよいくらいでございます。
ですから、テレビがここまで発展してきたのでございます。
ぐちや小言は、いわずとも良いことでございます。
とくに、誰かを捕まえて、だれかしについて、日々の出来事について、人の世について愚痴をもらすことほど罪深いことはございません。
水商売のオエネチャンは、そういう愚痴や悪口、小言を聞くことでおまんまを食べているのでございます。
本当のことをいえば、誰かと飲んで、ついうっかり愚痴や悪口をいってしまったときは、そこの勘定を持つのがスジでございます。そして、ティッシュに大一枚ほど包む礼儀が、必要なくらいでございます。
愚痴や悪口というのは、お金を払って聞いてもらう性質のものでございます。
それを、仲間だから友人だから、部下だから、上司だから、アイツとオレの仲だから、といって「無料で」垂れ流すなど、言語道断でございます。
ぐちや小言は、いわずとも良いことでございます。人様のお耳にわざわざ入れるものでもございません。
ぐちの内容は、あったとしても、それほど大きな実害があるわけではないのでございます。
ぐちの内容は、あったとしても、5年も続かないものでございます。5年前のぐちを思い出すことができますでしょうか?
先ほど申しましたように、愚痴や悪口のネタには事欠かないのでございます。
無限でございます。ですから、付き合うだけ疲れるので、無視するのが一番でございます。
見ざる、聞かざる、言わざる
長生きした徳川家康に倣うが吉でございます。

(さらに…)

ゆるみすぎ

人は習慣の生き物でございます。ですから、ときに先祖がえりのように、ダラダラした生活に戻ってもいいのでございます。
意志力を発揮して、キチンとした生活ができるようになっても、もとに戻ってしまうのも、極めて普通の自然現象でございます。
元の木阿弥にもどったのでございます。それでも、いいのでございます。
3歩進んで2歩下がる、が最もよい状態なのでございます。
一本調子でぐいぐい伸びていく株式投資の怖さをご存知かと推測いたします。
キチンと毎日、お勉強のノルマや計画を、こなしていっていたのに、突然のアクシデントで中断してしまい、前のように進めることが出来なくなった、というのも先祖がえりの一種でございます。
人とは、早々に変わることなどできません。逆にいえば、すぐに変わる方法を、洗脳というのでございます。作為と意図をもってする変容を、マインドコントロールというのでございます。
ほんとうのことをいえば、スグに変わらないからこそ、健康的なのでございます。
ここに罠がございます。
元の木阿弥になったときに、「自分がダメだ」と考えることでございます。
全くの見当違いでございます。
先祖がえりは自然現象でございます。誰でも味わうものであって、ダメとかそういう性質のものではございません。
ま、ごく一部、酒乱・クスリ、バクチ打ち、ホスト通いといった、根本から腐りきったクズ行為の修正は、アレでアレする必要はございましょうけれど^^
モノゴトには、絶対的に正しいもの、間違ったものなどないのが真実でございます。
竹のように柔軟な態度が信念のなさを現すものでもなく、間違ったり・できなかったことが即、敗北に繋がるわけでもないのでございます。

(さらに…)

ゆるみ

人間とは知らず知らずのウチに、テンションや緊張を味わっているものでございます。
人ぉと〜いぅうものわぁ〜(金八先生風に)、テンションや緊張を味わうと、カラダは無意識的に身構えると申します。
ですから、自分の知らない箇所で、意外に力を入れているものでございます。
肩こりというのは、日本人に疾患が多いといわれます。欧米の人には、肩こりが少ないということをラジオで拝聴しました。
肩こりでヒイヒイなわたくしからすれば、意外な感を持ったものでございます。
肩こりという人は、カラダに無自覚なチカラが使われているという証拠でございましょう。
ですから、ご自身のラックリするパターンや習癖を知っていないと、毎日、お勉強を続けることが辛くなってくるものでございます。無駄にエネルギーが浪費されているわけでございますから。
ご自身のラックリ感を演出するために大切なことは、ゆるめるということでございます。
前までの行動や出来事は、意外にアタマに残っているものでございます。
直近の行動が怒られたり、怒鳴られたり、皮肉を言われたり、クソぶっかけられたりしたものなら、それはもう、びっちりとアタマにこびりつくものでございます。
アタマにこびりついたものには、事実上、緊張やテンションが付随しているのでございます。
怒られたりした事実は、もう過ぎ去ったのにもかかわらず、なのでございます。
お勉強も1種の緊張、テンションを付随させるものでございます。
直近までの行為や事柄を、引きづったままお勉強に突入だと「ダブル」のテンションに浸ることとなりましょう。
そう考えれば、お勉強に身が入らない、というのも自然なことと存じ上げます。
ですから、ゆるめるという行為が、意外や意外、重要性を帯びてくるのでございます。
「まあ、えーか」と、テンションをゆるめないと、前の出来事に付随したテンションをお勉強向けに、質的変化ができないのでございます。
ズボンのベルトをゆるめてこそ、さらなる焼肉やビールを流し込むことができるという、大食・大飲の真理と同様なのでございます。

(さらに…)