| カテゴリー: 過去のススメ |
『1+1を3と考えていれば、どんな才能をあれども、多くを間違い続けるだろう』
わたくしの大好きな警句でございます。
確かに、永遠に多くを間違い続けるに違いありません。
ほうれん草のお使いすら、頼めません。
お勉強にも、この句のいう「取り違えてはならない」ことがございます。
それは「疲れ」についてでございます。
はっきり申しますと、お勉強のそれぞれには、異なった性質がございます。
たとえば、復習というお勉強は、基本的にラクチンでございます。負担はすくのうございます。
たいして、新しい単元や章、新しい問題に取りかかるといった未知な事柄のお勉強は、負担が大きいものでございます。
お勉強の精神論で困るのは、ある事実を隠蔽するものでございます。
疲れていたら、お勉強の効果は下がるということでございます。
先ほど申しましたが、心身ともにへとへとなのに、新しい章や問題に取り掛かっても、何がなんやらボンヤリして効が薄くなるものでございます。
本試験の直前なら、意識もはっきりできましょうが、日常の普通のお勉強期間では、身に成るお勉強にはならないことと存じます。
「走れメロス」のメロスも、湧き水を飲んで体力を回復し、「走れ! メロス。私は信頼されている。私は信頼されている。」と激を入れたように、人間疲れていると本来の自分に戻れないものでございます。
会社の資料や、よく見聞きしたものは、疲れていても何とかできるもの、無理が利くものでございます。
このようなときには、「がんばるぞ!」という気合だけでスンナリと作業できてしまうものでございます。
しかし、お勉強では、気合だけではあまり効かないものでございます。
疲れた状態から、いかに回復を図るか、それもお勉強のひとつ、人生の冥利でございます。
ふと耳に、潺々(せんせん)、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐもとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々(こんこん)と、何か小さくささや)きながら清水が湧き出ているのである。
その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬(すく)って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。。。
。。。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。
わたくしはこのくだりを読むといつも、鳥肌が立つものでございます。
2006年10月18日 11:18 AM
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