独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

それでいいのだ

お勉強が遠のいてしまった、という人も多いだろうと存じます。
体調不良から、仕事の忙しさから、スランプから、子供の教育・PTA,ご近所問題、職場環境などなど、理由がいくつもございましょう。
それどころか二重三重に重なり合って、どれが原因やらわからない、という人も多かろうと存じます。
しかし、これまである程度でも、曲りなりにお勉強が続けてこれた人には、それでよいと思う次第でございます。
いくらかでも蓄積があれば、お勉強が遠のいても、復帰はいくらでもできるものでございます。
お勉強が遠のいても、それはそれでよいと考えるものでございます。
「整体」という言葉を創設した野口晴哉先生は、「風邪は治療行為である」と申しております。
整体の祖である先生は、風邪を病気ではなく、身体の持つ自然治癒の表れと見てとったのでございます。
風邪が治るとすっきりするのは、カラダの悪い部分が治ったからである。熱が出るのは、細胞が活発に動いている証である、などなどと先生は申します。
わたくしはこれを聞き、愕然、目からうろこが取れたり張り付いたりしたものでございます。
なにしろ、風邪なんてもんは腑抜けで気合がないからかかるもの、たとえ引いても気合で直すもの、と思っていたからでございます。
まさに敵対。
しかし、ところが180度一変し、風邪はカラダに良いモノであると。
風邪を治す薬ができたらノーベル賞ものだ、とはよく聞きますが、カラダの治療行為、いわば、かさぶたができるようなもの、に薬など効くはずはないのでございます。
先生の「風邪は治療行為」との論に接し、以後は風邪を引いたら遠慮仮借なく休むようになったわたくしでございます。
健康ドリンク栄養剤は飲まないし、無理して出かけないし仕事もしないし、遠慮なく休んでおります。だってせっかくの治療行為ですもの。
さて、お勉強が遠のいてしまっても、気に病む必要はないのでございます。
というのも、再開後には、幾分かの知識は忘れて抜けてしまっていますが、頭はスッキリまとまっていたことが多かったからでございます。
お勉強が遠のく、というのも実は、アタマの知識整理、図書館でいう蔵書点検の時期なのかもしれませぬ。
基本的には毎日コツコツではあります。しかし、何だかんだのドタバタで、お勉強が遠のいても、知識の整理期間さと思って、気落ちすることなく再開にいたって欲しく思う次第でございます。

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爪先立ちの努力

人間、努力が肝腎だ、と申しますが、ヤレヤレと内心くじけるものでございます。
コツコツ続けていくしか能がないが故に、努力し続けるものでございます。
限りある身の力試さん、というわけであります。
とはいえ本音をいえば、さっさと済ませてしまえるなら済ませてしまいたいのでございます。
しかしまあ、そんな天分もないからやっていくしかないわけでございます。戦えるように戦うしかないものでございます。
さて、努力でございます。
お勉強の努力というのは、大変なようで、はっきりいえば大変ではないのでございます。
何より、期限が切られております。試験日までならがんばれます。
合格証を入手したら、それでいったんは終わりでございます。
目の前のことがしんどくなってきたら、もっと悲惨な人を思い浮かべるとようございます。
努力で大変なのが芸術家でございます。
例えば、落語家。その修行たるや目を見張るものがございます。
ピアノやバイオリンの音楽家。天賦の才能は非情でございます。天才の音色は、その他の同時代の音楽家を殺すものでございます。
彼らには、爪先立ちの努力が求められているのでございます。
終わりがない努力というのは、考えるだにしんどいことでございます。
古今の名著は読むものでしょう。毎日の練習は欠かさないものでしょう。発表会、公演で腕を磨くことでございましょう。アタマはいつもそのことばかりでございましょう。
まさに爪先だって、果てることのない努力をし続けていく、と申せましょう。
それに較べたら、われわれの努力なんていかほどのものか、というわけでございます。
まずは、やることが有限、有期限であることに感謝の意を持ちたくなるものでございます。
アレもしないと、これもしないと、と思えることが、ある意味幸せなのでございます。

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書き味も大事です

シックリ来るペン、来ないペンがあるものでございます。
ペンといわず、ボールペン、サインペン、マーカー、マジック、鉛筆と、文具には書き味がやはりあるものと再実感するものでございます。
何本も使っていると、どうしてもコレ!という一本が選別されるかと存じます。
書いていて疲れない、インクの出方がよい、なめらか、字がきれいに書ける、にじまない、重くない、線が引きやすい、歪まない、などなど、選別された1本には、多くの利を見出すことができるのでございます。
同じような文具でも、微妙に違う何かがあるものでございます。
同じような色、形、機能であっても、気が進む文具、進まない文具があるものです。特にペンやマーカーには、使いやすさの差が激しいと考えているわたくしでございます。
わたくしは、もとは「弘法、筆を選ばず」タイプでございまして、文具なんてどれも同じさ、と思っていた口でございます。
そのなれはてが、字の超越的汚さに現れ、苦労のしっぱなし、恥じのかきっ放しでございます。
しかし、最近では、「わたしは、弘法大帥と口にだすほどおこがましいほど字が汚いのだから、しっかり筆は選ぼう」と思うようになったのでございます。
いいペンとの出会いは一瞬でございます。これ書きやすいと思ったら、即、しるし、セロハンテープでございます。
というのも、選別して他にとっておくだけではスグに他の文具と紛れてしまうからでございます。
余った文具は完全なメモ具、買い物メモ用でございます。玄関、台所、部屋のあちこちに、かばんのなか放り込んでおけば、いつかは陽の目にあうことでしょう。
書き味は、個人的にしか感じられないものですが、すこしく意識してみるとこれまで感じなかった快感の存在を得ることでありましょう。
お勉強のとき、線を引くとグニャリとずれたり歪んだりすれば、それだけでいやになるもの。こうした作業のイヤ感は文具を変えることで、大きく改善するものでございます。

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