独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

試験勉強を抱えたら、ネトゲやソーシャルゲームは、アンインストールする

かつてのゲームと、今のゲームとは、別物だと考えるべきです。

ゲームというのは、もはや、子供だましではありません。GNPに貢献する一種の産業です。

かつては、「バランスよく付き合う」「程よく楽しむ、遊ぶ」というのが、ゲームの付き合い方の定番でした。

しかし、もはや、昨今のゲームは、気合や意思で止められるものでなければ、バランスよく付き合えるものではないくらい、高品質になっています。

「製作側」から考えてみてください。

いい学校を出た能力のある大人たちが、いかに自分たちの作ったゲームを楽しんでくれるか、プレイしてくれるかを、日夜考え、企画しています。

いい技術・発想があれば盗み、発掘された絵師を奪い合い、ユーザーにとことん営業しているのです。

なぜなら、「やってくれない」と「課金」してくれないからです。彼らは、無料とはいえ、1分1秒でも、プレイしてもらうことを至上命題にしているはずです。

彼らは、矢継ぎ早に、ユーザーの心をくすぐるイベントや企画を催します。

結果として、ついつい、どっぷりゲームをしてしまうわけです。

反対に言えば、われわれは、圧倒的な企画力と発想と創意で、常に攻めたてられているのです。

気づくべきは、『多勢に無勢』ということ。

面白いゲームを「やめようとする方」は、わたしたち一人びとりです。

しかし、「続けさせようとする方」は、集団・チームで企画提案プロモーションをしてくるのです。

戦いの構造は、「個」対「集団」であり、多勢に無勢、衆寡敵せず、まず負けます。

「バランスよく付き合う」「程よく楽しむ、遊ぶ」のは理想論で、現実には、もはや、そんなコントロールの効くものでないのです。

気づけば、平日1時間はざら。休日だと半日。そんなものを1年やって御覧なさい。ぞっとしますよ。

読みたいなと思った全集は読めるし、行きたいなと思ったところはほとんど行けます。

ゆっくりと、地獄の釜で煮られているのです!わたしたちは。

「勉強をしてからゲームをしろ」は、最低限の決まりです。

で、加えるに、「これから大事なとき」とか「今が峠」というときには、「ゲーム類は、アンインストールすべし」と決めておくべきです。

アンインストールくらいしか、逃げられない、止められないと思います。

試験勉強が終わってから、ドップリはまればいいのです。ゲームは逃げませんから。

でも、“機会”は逃げるし、消えます。そして、二度と取り戻せないのです。

塩っぽい白い汗染みにクエン酸

夏の暑さで、大量に汗をかくと、おそらくは汗の塩なのでしょう、白い汗染みが生じます。

この汗染み、シャツやズボンなら洗えばいいだけの話です。

しかし、洗濯になじまないものもあります。

たとえば、帽子。で、ベルト。リュックの肩ベルト。かばんやバッグの取っ手部分などなどです。

これら、気軽に洗濯できないものに付着した汗染みは、クエン酸を使うと、綺麗に取れます。

正確に言うと、「白っぽさ」が見えなくなります。

要領はカンタンです。

霧吹きにクエン酸を入れて、水で溶かし、適当に吹き付けるだけです。

シュシュシュと2~3回吹きかけて、天日干しなり陰干しすれば、あの塩っぽい汗染みは、消えているはずです。

理屈的に言えば、汗由来のナトリウムを、クエン酸で反応させただけなのですが、どうしてなかなか、スッキリと消えてなくなるのでした。

まあ、汗自体はなくなっていないので、綺麗か綺麗でないかというと、綺麗ではありませんが、とりあえずは見えなくなります。

塩っぽい白い汗染みにお悩みの方は、クエン酸を使ってみてください。

なお、掃除用のクエン酸でも大丈夫だとは思います。

でも、肌に触れるものもあるので、念のために、食用グレードのクエン酸の利用を推奨します。

わたしが使っているのは、「ニチガのクエン酸1キログラム」です。費用対効果は一番です。

勉強の手の抜くという発想

一生懸命にがんばる姿勢は、大事ではあります。

「がんばり」は、人間の1つの評価であることは、間違いありません。

経営者なり上級管理職なりは、自分の手足となって、自分の言ったことを確実に消化・処理してくれる人を探しています。

彼らは、自分の言ったことに対して、手を抜くとか勝手に変えることを、とても嫌います。そっくりそのまま、実現してほしいのです。

だから、「愚直にがんばる」=「手を抜かない」「勝手なことをしない」という姿勢が評価されるのです。

試験勉強においても、愚直にがんばるというのは、実力を付ける最も簡便かつ確実な方法であります。

しかし、ただただ「がんばるだけ」では、試験勉強はうまく進まないことを、頭の片隅に置いておくべきです。

つまり、逆の「勉強の手を抜く」という発想も、持っておくべきなのです。

なぜかというと、余計なことをしなくなるからです。

不合格になる人で必ずいるのは、「必要じゃない作業に時間を費やして、肝心なことに着手できなかった、または、十分な時間を割けられなかった人」です。

漫然とがんばるだけでは、余計なことを省いたり、不必要なことを避けることができなくなります。

ただやるだけ、ただ読むだけ、他だ書くだけ、ただ解くだけだからです。

愚直にがんばるのが、1つの評価足りえるのは、経営者や上級管理職といった「能力のある人の指導監督の下にある場合」です。

試験勉強とは、1人でやるものですから、「愚直にがんばる」ことがそっくりそのまま、通用するものではありません。

試験勉強においては、「出るところはどこか」「もっと楽にできないか」「やらなくていいのはどこか」など、「勉強の手を抜く」発想こそが、効率や能率を上げる第一歩です。

1つだけ注意を。

「余計なことをしない」のは、勉強だけに止めます。余計なことをしない人間は、つまらない人が多いからです。

効率だけで人生を生きて何が楽しいのか、わたしには理解しかねます。