19歳の予備校生が試験中に携帯を使ってカンニングをした、なんてことだ!と大騒ぎしていたら、今度は沖縄県警の警察学校の生徒である巡査達が、卒業試験の問題を盗み見する始末。
あらら、という感じでございます。
わたくしが驚くのは、カンニングそのものの行為ではなく、カンニングをした人の倫理観や品格のなさではありません。
驚くのは、なにゆえに、それほど杜撰なカンニングをするのか、という点でございます。
カンニングの真相が明らかになるにつれて、「馬鹿じゃねえの」としか思えないのが、上記2件のカンニング事件の顛末でございます。
皆様方におきましては、一度、科挙の試験の本を読むことをお勧めいたします。
科挙の歴史とは、カンニングの歴史でもございます。
大昔の科挙の試験問題など、誰も話題にしませんが、事がカンニングに到りますと、現代においても、実に豊かな話の種になるのでございます。
テキストの内容が書かれたびっしり肌着・下着・帯。
着物の模様に紛れるように書かれた語句や用語。
うっすらと筆に掘られた論語の文言。
「すずり」かなと思ったら教科書だった。
髪をしばる布にあれやこれやの文字・熟語。
工芸品クラスのカンニングペーパー。
昔の人は、熱心に、熱意をもって、カンニングをしようと工夫に工夫を重ねたのでございます。
しかしながら、上記2件のカンニングは、何たるずさんで、低能で、幼稚なカンニングでありましょうか。
反吐が出るのは、彼らのつまらなすぎる、下らぬ、卑しい幼稚な人間性を垣間見るからでございます。
最新のIT器具を駆使し、練りに練ったカンニングであれば、ここまで騒がれなかったように思います。
怪盗小説・探偵小説なみのあっと驚くカンニングなら、学校の管理の甘さのほうを批判したことでしょう。
少なくとも、わたくしたちの受け取り方は、大きく違ってきたはずでございます。
試験あればカンニングあり、チート行為あり、でございます。
社会に出れば、試験のような手続きで物が進むところなど、ほとんどありません。
「技」というものは、盗むものでございます。書も絵も彫刻も、仕事のやり方、電話のかけ方、手紙の効果的な出し方、礼状のタイミングなどなど、全部、仕事のできる人のやり方のパクリでございます。
技術など、パクリ上等の世界でございます。マツシタ・マネシタ・ダメでしたの世界でございます。
カンニングの行為は、許されません。わたしが同じ受験生だったら、許しませんし、たまったものではありません。
が、やりようはあるだろう、という気が致します。
せめて、やるからには、探偵小説・怪盗小説のトリック並みに、手をかけたカンニングをしていただきたく存じます。
「そこまでするくらいなら、まじめに試験勉強をしたほうがいいんでないかい」
「その努力と熱意を勉強に」
「まじめにやったほうが、はやいような気もする」
と、わたしたちを感心もさせ、呆気に取るくらいのカンニングをする、知性と実行力とを、今後のカンニング犯に望むものでございます。
2011年4月6日 11:46 AM
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