武士ほど、運に左右される職業もありません。
どれほどいくさで首級を上げても、属した大名が負ければ、何の価値も見返りもないのでございます。
武士は相身互いと申します。
いくさに負けて落ちていく武者に、知り合いの者がいたときは、見なかった振りをするのが、戦国武士で習いございます。
それは、いつ我が身が逆の立場になるかわからないためであるからでございます。
たまたま、そのいくさでは、勝てた方に属していた、だけなのでございます。
わたくしを含め、関東・東北圏以外の人は、たまたま災害に遭わなかっただけであって、いつ、同強度の災害に遭うのかわかりません。
被災地の寄付は、いわば、将来的に自分が同じ境遇になったときに受け取れるだろう、無記名・無証書の保険でもあるのでございます。
わたくしは、100%の善意など、ないものと考えます。
わたくし自身は、将来的に何らかの見返りがあるだろうと思うから、お金を出すものでございます。
100%の善意など、釈迦かキリストくらいの歴史的な偉人にしかできないものでございます。
100%の善意で寄付をするのなら、その人自身が最低限度に生きていけるもの以外はすべて売り払って、寄付しなければならなくなります。
それこそが、純度100%の善意であって、自分の家屋敷、車を売ってまで寄付する人など、いないことでありましょう。
わたくしは、心情がどうであれ、動機がどうであれ、結果的に、お金が被災地に行くことが大事と考えるものでございます。
多くは方便でございます。
100%に近い95%の純度の寄付は良くて、50%の純度は良くない、という線引きが可能でしょうか。
純度は落ちても、いつ返って来るかわからないけれども、自分に返ってくると思って寄付して、そのお金が、被災地の水や食料になるほうが遥かによいことでありましょう。
純度の差はあれ、お金はガソリンに、水に、医薬品に、おむつに、そして、それらを輸送する人、分配する人、店頭に並べる人の原資になるものでございます。
寄付の動機が、「情けは人のためならず、自分のため」でも、全くよいように存じます。
2011年3月16日 1:58 AM
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