試験は水物でございます。
そら、合格率よりも不合格率のほうが高いのですから、何とも、落ちるものとしかいいようがないのでございます。
合格率を成功率、不合格の率を失敗率、なんて風に言い換えれば、よりいっそう、試験というものの落ち方がわかるかと存じます。
10%の合格率なら、10%の成功率でありまして、言い換えるなら、失敗率90%。
手術ならば、誰も受ける奴はいない、という感じのパーセンテージなのでございます。
もともと本来、試験というものは落ちるものであることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
ただ、勘違いして花らないのは、勉強不足やら努力不足などは、運不運の問題ではありません。
それは、なるべくしてなった、としかいいようがございません。
運が問題となってくるのは、きちんとした努力を払い、相応の時間をお勉強に充てたのに、落ちてしまった場合でございます。
過去問もみっちりやった。
テキストも精読・多読を行なった。
模試を受けたがA判定であった。
まあ、自身と手ごたえがあった。
このような方々だけが、運を問題にできるのでございます。
運悪く、何かのいたずらで、実質的には合格している人が、不運にも落ちてしまうのが、試験の現実でございます。
ですから、落ちたこと自体は、済んだこと・仕方のなかったこととして、水に流すしかないのでございます。
もう一度いいますが、「運」が問題であったのでございます。
逆を言うなら、このまま相応の努力を続ければ、いつの日か、必ず受かるわけでもあるのでございます。
どうしてかというと、ある特定の誰かだけが、落ち続けるということは、運を考える上で、ないからでございます。
運はおっそろしいほどに平等でございます。だから、ギャンブルは成り立ってございます。
1人だけも勝ち続ける人間がいたら、賭けは成立しません。その人が世界中の賭け金の全てを取っていくからでございます。
幸運と不運とが巡り巡るのが、運の世界でございます。
ですから、相応の実力を有している人なら、合格するだけの実力がある人ならば、今回は不運に落ちても、次回、次々回でほぼ受かってございます。
不運ばかりが続くことも、運の上ではないからでございます。
ちゃんとしたという自負があるのでしたら、あと1年の辛抱だと、踏ん切り付けてくださればと存じます。
それさえできれば、穏当に合格できることでしょう。
そして、忘れてならぬのは、幸運ばかりが続くわけがないことでございます。
ときおり、あんまり勉強をしていないのに、ひょっこり受かる人がいるのも、試験の事実、運の為せる現実でございます。
しかし、運は、先もいいましたように、等しく万人にあるものでございます。
何かを得たならば、何かを失うものでございます。何かを失えば、何かを得るのが、わたくしたちでございます。
人生経験の豊富な方こそ、この運・偶然と言う真理がお分かりいただけるのではないでしょうか。
あんなに絶好調な人が、あっというまに転落していくのを、状況が悪化していくのを、わたくしたちは何人と見てきました。
お勉強の世界においては、運という問題もあることを、頭の片隅に入れておいてくださればと存じます。
いうまでもありませんが、本試験時に、幸運を頼みにするなんてことはおやめくださいね。
試験なんかで運を使うのは、非常なる損だと思います。運は使わずに済ませて、いつぞやのために貯めておきましょう。
2010年12月27日 9:13 AM
★みんなとシェアする