弘法、筆を選らばず、なんて申します。
しかし、わたくしたちは、大帥様のような偉人ではありませんから、道具はもとより身の回りのことについて、アレコレと心を練らなくてはならないのでございます。
お勉強におきましては、環境作りが大切でございます。
というのも、お勉強におきましては、集中することが、とても大事だからでございます。
集中した状態でお勉強をしますと、通常以上に、理解度や記憶の具合が良くなるものでございます。
お勉強の成果は、どれだけ集中した状態を保てるかにあるように考える次第でございます。
ですから、わたくしたちは、いかに集中状態を保てるかに、意を払わねばならないのでございます。
よく、お勉強をするところには、漫画や雑誌、本、テレビなどを置かないようにいいますが、それらはお勉強への集中を害するからでございます。
携帯の電源も落としておき、手元や視界に入らないところに置いておくべきでございます。
こうした処置は、当たり前といえば、当たり前といえましょう。
他に気が散るものがあると、集中を持続するために、余計な力が入ってしまいます。
集中しなkればと思いながら、その気になるものを忘れようと・意識の外に置こうとするのは、実にかったるい作業でございます。
ブレーキを踏みながらアクセルを踏むが如しでありまして、エネルギーを倍、使っているようなものでございます。
そんな状態が続くと、1時間もすれば、ぐったりとしてしまうでしょう。
蛇足ながら、そのぐったり感が、精神的な疲労の蓄積につながり、たまりにたまったところで、お勉強は挫折と相なる次第でございます。
思い返してみますと、基本的にわたくしたちは、いつ理解して、いつ憶えたのか、というお勉強で最も肝心なことが、わかっておりません。
いつ起きたのか、いつそうなったのか、実際には誰も知らないものでありまして、気がついたら憶えていたり理解できていたりするわけでございます。
この、理解や記憶というのは、やはり、集中状態のときに起こっているのではないかと、考える次第でございます。
また、びりびりと集中しなければならないときもございます。
難しいところや難解なところ、ボリュームの多いところは、片手間なお勉強では到底、やり終えることができません。
どうしても集中して、自身の力をそこ1点に絞り込んで、取り組む必要が出て来るわけでございます。
もの凄く難解なところや複雑なところでも、集中に集中してやりますと、ばりばりと消化できること多々でございます。
集中が、お勉強の多くを為しているとお考えくださればと存じます。
お勉強の際、せっかく高まった集中をぶった切るのは、全くもったいない行為でございます。
子供が泣いたとか、自家用車につけた車上荒し用のブザーが鳴ったとか、焦げ臭い、膀胱がぱんぱんなど、こうした事情があるのでしたら、お勉強の中断も仕方がありませんが、できるだけ、集中を切らさぬよう、処置すべきでございます。
配偶者に呼びつけられないよう、くれぐれも手厚い処理をしておくか、前もって用事を済ませておくべきでございます。ちょっとばかり寂しい顔をするかもしれませんが。
お勉強で重要なのは、集中に入ることと集中を維持することでございます。
お勉強そのものの作業と同じくらいに、集中は大事でありますので、ご配慮くださればと存じます。
合否の境は、どれだけ集中した時間を確保できたか、でございます。
2010年12月8日 7:16 PM
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