『43. 銃を突きつけるより耳を愛撫する方が、しばしば効果的だ。』
人は、恐怖や脅かしには屈しない。
その場だけは、屈するのであって、裏では着々と復讐の準備を整えているものである。
人は棺桶のふたが閉じるまでわからないというが、立派な墓が建っていても、誰も墓参りに来ないなんて故人は、それこそ掃いて腐るほどある。
逆に、小さくても、常に香華の絶えない墓もあるわけである。
再度いうが、人は脅しに屈しない。暴力と恐怖で統治に成功した国家などない。必ず滅びたのが、歴史の教えるところである。
では、人は、何に屈するかというと、甘言である。耳に優しい言葉である。
このフェレンギ人の言葉については、自分をもとにして考えると実によくわかる。
自分の好きな人はどんな人か。どんな人が友達か、どんな上司を尊敬しているか、どんな部下に慕われているか。
そう考えたときに、暴力的ですぐ切れるような人を選んではないし、選んでもない。
そんな人とは、仕方がないから付き合っているだけである。
そんな人からの頼まれごとは、優先順位でいえば下の下で、決して、気持ちよく行うことはなかろう。
誰が、暴力的で脅しをかけてくるような人と、付き合おう。パートナーとして付き合おうか。
世間は自分の鏡である。
自分がそうなら、他人は己を映す鏡のように、同じに決まっている。
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『44. フェイザーを持った奴と議論するな。』
フェイザーとは、米ドラマ「スタートレック」作中に出て来る、光線銃のこと。
その通りである。議論は、議論のできる人か、議論をしても殴り返してこない人とやるべき。
よく議論を吹っかけられる人は、そういう安全な人と思われている。
うっとおしいなら、知的武装をすべし、である。
よく練られたブログを見つけてきて読むだけでも、一言は持てる。
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『45. 儲けには限度がある。しかし損に限界はない。』
儲けに限度があるのは、必ず競合企業が出て来るからである。
だからこそ、利益は頭打ちとなる。
ある商売が儲かっているかどうかを調べるには、競合点がどのくらいあるかを調べてみる。
ある地域に、同じようなお店があれば、その地域なり地区は、人の流れやその他があるのであろう、その商売に適しているということだ。
儲けのないところに、新しい店はできない。
たとえば、漬物屋なんてのは、街に老舗の一軒でもあればいいわけで、街には一軒分くらいの需要しかないというわけだ。
なら、よほどの勝算がない限り、ライバル店がでてくることもない。
逆に、余剰の利益があるところでは、ライバル店はそれを目指して、つぎつぎに新規開業する。
ラーメン通りができるのも道理であって、その周辺は、ラーメンの需要があまりあるのである。
このように、利益というのは、他店の出店でいつの日か必ず逓減するものであるから、それを踏まえて、商売の舵を取っていかねばならないというわけである。
そして、大切なのは、儲けとは逆に、損は、いくらでも膨れてしまうことである。
どうしてか。
単純なのだが、損は誰かの利益だからである。
人件費は従業員にとっては給料であるし、家賃は、大家や貸しビル屋にとって、売り上げのかなめである。
水道ガス電気も言わずもがな、仕入れも仕入先の売り上げとなっている。
あなたは、誰かにとっての利益となっているわけで、油断したり、ぐずぐずしていて売り損ねていては、鼻毛の一本までむしられる定めなのである。
コストをダダ流ししていれば、砂糖に群がる蟻のように、最後の1かけらまで吸い取ろうとするだろう。
よき経営者は、明日からコスト削減を考えない。コスト削減は常のことである。
「稼ごうとして、儲けさせてはならない」と、フェレンギ人なら言うだろう。
2010年11月11日 2:49 PM
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