「わかる」のは瞬間的で、偶然に左右されて、いつ「それ」が起きるかわからないからこそ、「あきらめるな」が有効なのである。
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス | Tags: できる・できない
「あきらめが肝心」とも言いますし、「あきらめてはいけない」とも申します。
どちらが正しいかは、時と場合によります。
たとえば、本試験が目の前に控えている場合です。
「点になるかどうか微妙なところ」が未学習ならば、試験戦術上、やらずに放棄した方が賢明です。
その浮いた時間の分だけ、頻出事項を復習した方が、圧倒的に点数に、引いては、合格に資することでしょう。
反面、本試験まで日がまだまだあって、時間に余裕があるなら、当該「点になるかどうか微妙なところ」もやってしまって、最終得点を数点、底上げをするのが賢明だと言えましょう。
このように、「あきらめるべきか」「あきらめない」のは、時と場合に拠るわけでございます。
絶対的に、金科玉条に「あきらめない」が正しいわけではないのであります。
しかし、でございます。
お勉強の基本と言うのは、「あきらめない」が基本です。
というのも、ぱかっ!と、ぴかっ!と、はっっ!と、ひょっこりと、「わかる」のは、瞬間的なものだからです。
これまでずっとわからないことや、今一ピンと来ていないことが、「あーそういうこと」という「わかる」に変化する時と場合は、多くは偶然に左右されるもので、突発的なものなのであります。
「それ」が、いつ起きて、どこで訪れるのかは、計ることができないのであります。
だからこそ、「あきらめず」にお勉強に取り組むことが大切、と言われる所以(ゆえん)なのでございます。。
お勉強の分岐点(ターニングポイント)は、「諦めないで続けている中にある」というのが、わたくしの経験から言えるように思います。
まあ、逆を言うと、「あきらめるな!」がこんなに流布されているのは、「あきらめるべきかどうか」の判断は、高度な行為だからです。
自他の情勢を客観的に、正確に掴んでおり、見通しが正しく、知識と知恵が十分で、判断力に富んでいないと、「あきらめるべきかどうか」は正しく選べないのです。
こうした「優れた判断力の持ち主」は得てして少ないので、大半の人は、判断に失敗します。
だからこそ、「できないこと」を声高に言うよりも、十把ひとからげに「あきらめるな!」の一本にまとめていってるんじゃないかなー、と思うのでありました。
「あきらめずにやってたら、時と事情の変化がある」のも、「あきらめない」が強く叫ばれる一端でありましょう。
ま、お勉強に限って言えば、「あきらめずにやって行くうちに、わかってくるもんだ」と考えていて、大きな間違いはありません。
2012年11月5日 3:01 PM
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