よくわからないことやできないことに対しては、一気に「できよう」とするよりも、「もうよく少しわかりたいな」という態度、漸進的な心持ちが必要である。
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス | Tags: できる・できない
いま、自分が「できているなー」と思っていることを、考えてみてください。
例えば、目の前のお仕事です。家事その他の雑事・雑用でございます。
考えてみれば、たくさんございます。
例えば、パソコンのキーボード入力、パソコンの操作や組み立てから、自転車の運転、自動車の車庫入れ、男女の営み、配偶者の取り扱い、などなどでございます。
それらの多くは、かつての「できない状態・うまくない状態」から始まって、だんだんと現在のヴェテラン状態に到ったのではないかと存じます。
ところが、です。
なぜか人は、今できていることを、「昔もできていた」とか「昔もすぐにできた」と決め付けているのでございます。
そんなことは決してなかったはずで、現実齟齬の甚だしいこと、醤油とソース並みであります。
いま自分が「できること」でさえ、次第に「できる」の精度が上がったものなのに、一足飛びに「できて然るべき」と考えることは、誤りでございます。
できないこと全部に対して、すぐに、一気に「できるようになること」など、全く辻褄が合いません。
すぐに、一気に済ませるのができないことが、「できないこと」です。
よくわからないことやできないことに対しては、一気に「できよう」とするよりも、「もうよく少しわかりたいな」という態度、漸進的な心持ちが必要であるかと存じます。
逆を言えば、最初から全部が全部を、完全に、詳細かつ仔細にわかりきろうとするのは、「物事がわかってない」証拠だと思います。
つまり、「できる」ということが、どういう過程(プロセス)を経てそこに到るのかを、全く知っていない・把握していないから、そんな事が言えるんだ、という塩梅でございます。
もっといえば、わからない・できない事に対して、一気に済ませよう・できようとするのは、かなりの『希望』や『そうありたい願望』,、『早く済ませたい欲』が入っていないかを、調べるべきかと存じます。
したいという意思と、できるという事実は、全く違います。
配偶者の顔を思い浮かべてみれば、両者の違いは即解するかと思います。
「どうすれば、もう少しよくわかるかなー」と思いを巡らすことが、現実的な思考であり、よくわかっていく要領なんでないかいな、と考える次第でございます。
2012年4月9日 11:51 AM
★みんなとシェアする