独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

石の上にも3年は、禅宗だけの話です

まずは初めに結論を。一口で言うと。まとめ。要旨。

石の上にも3年ということわざは、禅宗だけの話であるから、わたしたちは、何でもかんでもを苔の一念でやっても仕方がない。

物事を単純に考えるべきだと、最近は思っております。つまり、物事を飛躍して考えてはいけない、という寸法でございます。

ことわざの解説にはよく、「転じて」という言葉がございます。

「石の上にも3年」の意味は、石の上で座禅を3年も組めば悟りが開ける、転じて、辛抱が肝心、続ける事が大事といった次第でございます。

当該「転じて」なのですが、よくよく注意をしないといけません。「石の上にも3年」とは、禅の世界なら成立することであります。

座って無念無想になる「座禅」に価値のある禅であるから、3年も石の上でじっと座っていれば、立派だと思われるのでございます。そういう、価値体系なのでございます。

3年も座り続ける修行をすれば、おそらく、どこぞの寺の住職に迎えられることもあるのでしょう。

3年も座った後には、ある程度の社会的地位と生活の保障がなされる、という次第であるから、当の本人は、「安心して」座れるのです。要は就職活動の一環です。

座ったあとに何らかの価値があるからこそ、座り続ける、または、座り続けることを「意味あること」にしている「世界」であるから、「石の上にも3年」ということわざが成立しているのでございます。

しかし、現代においては、座禅なんてものがそれほどの価値がありませんから、石の上でじっとしていれば、禅宗の坊主でさえ、用事や雑用を頼むか、バケツの水をかけて追い払いことでしょう。

ホント誰か、一度禅寺の門の前でずっと座ってみてください。15分後に警察が来るでしょう。

何でもかんでもを、「苔」の一念でやっても仕方がない、という次第でございます。

辛抱が肝心だからとはいえ、単に惰性でやっているだけだったり、単にやってたらいいんでしょ、みたいな思考放棄では、これまた、あまり有用な意味がないことように考えます。

惰性でやるべきことと、そうでないことの線引きは、結構、重要なことだと思います。

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