「千里の道も一歩から」は、「千里先」が正しい目的地である場合に限って成立するわけだから、熟慮に欠けるなら、下手を打つだけ、破滅の元である。
結論から言いますと…
『目的地がちゃんとしているから、コツコツと、一歩づつ着実に進んでいくことに意味が出てくるわけで、目的地なり到達地、目標や目的が間違っていたら、千里・一歩はどうにもトンチンカンなことをしていることになってしまう。』
『故に、自分の誤りやミス、失敗に気づかないと、千里・一歩は、地獄への旅路になってしまう。』
『もし、間違っていることに気づいたのなら、その間違ったことやうまくいっていないことを変えることから、始めないといけない。』
…てな次第でございます。
ことわざ「千里の道も一歩から」は、コツコツやること、実直な努力の大切さを語っているわけですが、それも場合によりにけり、でございます。
当たり前といえば当たり前で、間違っていることを実直にやっても仕方がありません。
何か物事を成し遂げるには、「実直にやっていくこと」は、重要かつ重大な用件ではあります。おそらく、これに欠けて成し遂げられた大事などは、ないように思います。
しかしながら、「実直にやっていさえすれば、そのやっていることが重要なことになったり、有意味になったりするわけではない」という次第でございます。
この点、絶対に、取り違えてはならないかと存じます。
「一生懸命やればいい」が成立するのは、小学校の低学年の社会まででありましょう。
それ以外のところでは、ダメはダメだし、無意味は無意味なママでございます。
ダメや無意味になるものは、相応の根拠と歴史的積み重ね、経験科学的結論があるからこそ、「そう」言われているわけでございます。
ダメであったからダメなのであって、そのダメ事情を無視しても、結果は同じ『ダメ』でありましょう。
大事なことは、「間違っていることを、間違ったまま、コツコツが大事を金看板に押し立てて、続けるな」ということでございます。
えぐい言い方ですが、破滅しないためには、そうすべきかと存じます。
2012年2月23日 2:53 PM
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